雨音の中で

 ――危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえます様に。



 晴れ渡る青空を見ながらこれから雨が降ると言ったのはアルマだったかキュカだったか、どちらにせよローラントの人間であった事は確かだった様に思う。空母を操る事に長けているジェレミアにしてみても空模様の予測というのは得意の部類に入ると思っていたが、まさかこんなに風も穏やかなのにと身構えずにいたら本当に降り出したので、空の事はローラントの者に任せた方が良さそうだと、雨の中を走りながらジェレミアは舌打ちした。
 これが普段の、例えば買出しに出かけていたりだとか、薪を拾いに行っている時だとか、そんな場合であったらいかに短気であるジェレミアだって忌々しげに舌打ちなどしないのだが、戦闘中なら話は別だ。しかも、こんな視界も足場も悪いジャングルの中なら尚更と言えた。
 ジャングルはジャングルでも、ここは幻惑のジャングルと言って、黒い鏡の欠片を破壊しない限りは先へと進む事が出来ないらしい。欠片を破壊する為に木々の間を駆け抜けて、欠片から生み出される敵達を撃退していたのだが、何せ広い森だから欠片を探すのにも一苦労だ。無限に出てくるんじゃないかと思わせる程の敵のMOBを双剣で切り裂きながら欠片の在り処を探していたら、疲労した体に雨が降り注いできたという訳で、ジェレミアの不愉快さは極限にまで達していたと言って良い。ただでさえ走り回って疲れているし、無傷という訳でも無い。出血だってそれなりにしているのに、追い討ちをかける様にこの雨だ。舌打ちだってしたくなる。
 敵方のMOBも流石に本降りの雨であれば身動きが鈍くなるらしく、自然と休戦状態となり、ジェレミアも空母に一旦戻ろうと走りながら辺りを見回した。だが困った事に、散々走り回ったせいで何処に空母が停泊しているのか今の状態では分からなかった。帰巣本能が強いMOBを一匹でも連れておくんだったと後悔しても遅く、雨が止むまでどこかで休息を取らざるを得ないだろう。幸い負った傷もそこまで深くはなかったから、体温を雨に奪われすぎない様にすれば何とか持ち堪えられそうだった。
 ジャングルの中は当たり前だが木が多い。大木も多くなる。そうなれば根元に洞のある大木も、自然と多くなる。都合が良いのは根元のその洞に草むらでも出来ている木だ。そうでなくても他の木々に埋れている様な、背景の一つとなってしまっている様な木であれば良い。ジェレミアは走りながら入れる木を探した。大木の下での雨宿りなど、体温を奪われてしまうだけだから、出来ればちょっとした空間に入って風が当たらない様にしたかったのだ。
 暫らく探していい加減本当にくたびれたというその時、漸く入れそうな洞がある木を見つけて、ジェレミアは内心ほっとしながら急いでその洞の中に滑り込んだ。だが、それと同時に何か異様な気配を感じて思わず身構えると、荒い息の大きな動物がこちらを威嚇するかの様に睨んでいるのが見えた。
「……お前か」
 しかし威嚇していたそれはジェレミアの姿を認識すると、警戒を解いて木に背中を預ける。息は荒いままだが、それもそうだろう、体のあちこちに怪我をしていて血だらけだった。ジェレミアが驚きを通り越して呆れるしか出来ないくらいの怪我は、致命傷となるものではないものの、放っておけば大変な事になるだろう。何だってこいつは無茶苦茶な闘い方しか出来んのだとジェレミアは思ったが、それは自分の事は棚に上げているという事実に気付いてないとも言えた。
「得意な森だからってはしゃぎすぎたのか王様? 生憎だがあたしじゃ空母まで連れて行ってやる事が出来んぞ」
「……うるせぇよ」
 ジェレミアの皮肉に眉を顰めたものの、力無く反論した彼は、元は森に住んでいるという獣人王だった。彼の体格は大きいが、洞もそれなりに広くてジェレミアも入る事が出来るので、彼女も遠慮なく中で座る。日中とは言え雨が降っているので中は暗く、彼の傷の程度を詳しく知る事が出来ないが、彼がぐったりしている所を見るとすぐにでも手当てをしてやった方が良いのだろう。彼は他の仲間と違って野生の血が流れているので帰巣本能もある程度あるから、どこに空母があるかは分かるのだろうが、先程ジェレミアが言った様に彼女では体格的にも空母に連れて行ってやる事が出来ない。雨が降っていなければ他の仲間を探したい所だ。
「……お前こそ大丈夫なのか」
「お前の怪我に比べたら可愛いものさ。あたしの心配じゃなくて自分の心配しろ」
 彼が自分の怪我を気に掛ける様な事を言ったものだから、ジェレミアはまた呆れながらそう言った。人の心配をしどころかと思ったのだ。呼吸すらゆっくりと、だが少し苦しそうにしているというのに、他人の怪我を気にしている場合ではないだろう。漸く暗がりに慣れてきた目を凝らしながらジェレミアが彼を見ると、さっきから彼が手で押さえている脇腹に目が行った。一番の出血はそこからの様だ。彼女はいつも被っている雨を含んだ頭巾を脱いで固く絞り、服の両袖を破って洞の外で雨に晒してから同様に絞ると、不思議そうな顔をしている彼の側で膝を付いた。
「手を退けろ。焼け石に水だろうが、何もせんよりはマシだろう」
 そして彼の手を退けさせると、片方の破いた袖で傷口の周りの血を拭った。痛みを感じたのだろう彼が少しだけくぐもった声を出したが、それは我慢して貰うしかない。肉が少し抉れている様な傷だったが、ランドドラゴンだのハーピーだのパンサーキメラだのの爪が鋭い敵も居たのだから大方そういったMOBと闘って負傷したのだろう。彼は馬鹿正直に真正面から闘うものだから、怪我も他の仲間に比べて多いのだ。
 拭った傷口からは新たな出血が確認出来るが、自然治癒能力が高いらしい彼のその傷は既に少しずつ塞がりを見せている様だった。塞がっても傷痕は残るだろうけれども、彼は全く気にしていない。初対面時から既に体中には傷があった。国を興す時に反対派と戦をしたらしいから、その時にでも負傷したのだろうと思っていたが、良く見れば幼少時に負ったのだろう怪我の痕もうっすらとある。彼をこんなに間近で見た事が無かったから、つい繁々と眺めてしまった。よく見れば拳も随分怪我をしている。鏡の欠片を一つくらい破壊したのだろう。
 眺めながら、傷口にもう片方の破った袖を畳んで少し厚くしたものをあてがい、裂いた頭巾を包帯代わりに巻く。彼の腰布を使っても良かったかと思ったが、もう裂いたのだから使わないと勿体無い。
「……寒くねえのか」
「うん? いや、別に。折り曲げてるとこしか破ってないし」
「いや……そうじゃなくて」
 ジェレミアが服を破ってまで自分の傷口の手当てをした事が申し訳ないと思ったのか、彼がほんの少しばつの悪そうな顔で尋ねたので、ジェレミアは袖口を見遣りながら否定した。普段から袖を折っているのでその部分は無くても差し支えない。だが彼はそうじゃないと言いたいのか、無言でジェレミアの肩を指した。そこでやっとジェレミアは彼の言いたい事を理解し、ああ、と声を出した。
ジェレミアの普段の格好はそれなりに露出が多い。何もそれは意図して露出している訳ではなくて、身軽に動きやすい様にと考えての格好だ。肩も腹も太股も出ているが、その代わり身に纏う服は保温性に優れているから然程寒いとは思わない。だが、確かに雨に降られたのだから水気を含んでいて、言われて初めてそう言えば寒いなと思った。
「あのな、さっきも言ったけど、あたしの心配より自分の心配しろ。
 気付いてるのか? お前、出血しすぎで顔が青いぞ」
「………」
 マントで彼の体を包みながらそう言ってやると、彼は何も言えないのか押し黙ってしまった。雨が降り始めたくらいにこの洞に避難したのか、彼のマントはそんなに濡れていないのが不幸中の幸いではなかろうか。これでずぶ濡れだったら危険だ。洞の中は風が吹き込まないが少し肌寒い。出血で体温が奪われている彼には安全な場所であると同時に危険な場所でもある。実際、彼の体は小刻みに震えていた。寒いのだろう。
「夜だったら良かったんだがな……」
「変身出来るからか?」
「ああ…少しだが回復も早まるからな…。
 多少無理をしても動けるから、空母にも帰れるんだが……こんな状態じゃ奇襲をかけられても十分に戦えん」
 マントに包まった彼は背を丸めて悔しそうにそう呟いた。戦う事が余程好きなのかとジェレミアは本気で思ったが、多分違うだろう。恐らく、脇腹の傷は不意を突かれて負ったものなのだ。一瞬の油断が生んだその傷が、ジェレミアに手間を掛けさせたという事が嫌なのだろう。その怪我さえなければ、多分彼は戻ろうと思えばジェレミアを抱えてでも空母に戻れる筈だ。
 だが、ジェレミアは彼のその言葉が不服だった。何だかそれはもし奇襲を掛けられたら迎撃する者が自分一人だと言っている様な気がしたのだ。ジェレミアは大した怪我もしてないし、十分に戦える。少なくとも、今の彼よりは動ける。見縊られたものだ、とジェレミアは眉を顰めた。
「……ふん、戦えない今のお前を見たら、獣王城の奴らはどう思うだろうな」
「………」
「お前の部下は動けないお前に頼る様な木偶ばかりか?」
「……おい、俺をどれだけ罵っても構わんが、あいつらを虚仮にするのは止めろ」
 ジェレミアの言にひどく不愉快そうな顔をした彼の眼は、少しだけ黄金色が混ざっていた。彼は怒ったり気が昂ぶったり、獣化したりするとその目が琥珀色から黄金色に変わる。怒ったのだろう。彼は自分の事よりも国の事を、国の民や兵士を優先する癖がある。自分の事を見下されても全く反応しないが、自国民の事を悪く言われたら怒るのだ、彼は。ジェレミアだって自分の事より叔父の事を悪く言われたら激昂する。似た様なものだ。
「虚仮にしてるのはどっちだ、お前、あたしがお前の代わりに戦えないとでも思ってるのか?」
「………」
「悪いがあたしは大臣の姪でも育ちがよろしくなくてな、重傷者の後ろで震えて縮こまってる様なお嬢様じゃない」
 ジェレミアの問いに何か言おうとした彼は口を開いたものの、結局何も言えずにそのまま閉じられ、彼女は更に畳み掛けた。彼の中でジェレミアは一応は女として分類されているのだろうが、だからと言って男が女を必ずしも護らねばならないという訳ではないだろう。戦場では負傷したのがどちらであれ、戦えて動ける方が護る側だ。王である以前に一人の戦士であった彼は、癖で他人を護る様な戦い方をするが、今この状況ではそれもままなるまい。ならば奇襲が掛けられた時に先に表に出るのはジェレミアだ。暫らくお互い睨み合っていたが、先に折れたのは彼の方で、ふ、と眼の色を治めた。
「……悪かったな。足手纏いにならん様に、精々さっさと治すさ」
「そうしろ」
 ふう、と一呼吸入れて詫びた彼は、ジェレミアの返事に心なしほっとした様な顔をした。つい先日、月読みの塔での発言のせいで事あるごとにジェレミアに嫌味を言われているものだから、これ以上彼女の機嫌を損ねては面倒だと思ってるのだろう。
 止みそうもない雨音が洞の中でも木霊する。二人入るには十分なスペースだが火を焚くには狭い空間なので、暖を取る事もままならず、ジェレミアも体温が下がってきた事に気が付いた。指先の色が変わり始めているが息を吹きかけてしまうとまた彼が要らぬ気遣いをしてしまうだろうから同じ様に背を丸めて縮こまろうかと思ったのだが、ちらと目を遣ると先程よりも青い顔の彼が黙って目を伏せてじっとしている。背を丸めているものだから、不謹慎だが大きな子供の様に思えてしまった。
 ジェレミアはどうするかと少し考えたのだが、やがて何か思いついたのか、着ていた藍が少し混ざった桃色のベストのクロスした紐を解いて脱いだ。音に気付いた彼がこちらを見てぎょっとした様な顔をしたが、ジェレミアはそういった事に対しての恥じらいというものが生来から殆ど無い為に大して悪びれもしない。雨を一番含んでしまっているのはそのベストだったので思い切り固く絞ると、自分が座っていた場所に広げて置いた。乾きはしないだろうが、念の為だ。
「動けるか。少し前にずれろ」
「………?」
 そしてジェレミアは中腰のまま彼に寄ると、不可解そうな顔をした彼に少し動く様に言い、洞の木の壁との間に隙間を作って貰うとその隙間に割り込んで、後ろから彼のマントの留め具を外した。腰を浮かせて貰って下敷きになっていたマントを彼から剥ぎ取ると、ジェレミアはそのマントを自分の肩から掛けて座り、そして自分の体に彼の背を預けさせた。驚いたのは彼だ。
「な、何やってんだお前」
「うるさいな、動くな。あたしも寒いしお前も寒いならこうするしか無いだろう。あんまり動くとまた傷口が開くぞ」
「………」
 言いながらマントでお互いの身を一緒に包んだジェレミアに、彼はもう何を言っても無駄だと諦めたのか、加重しすぎない様に力を抜いてジェレミアに背を預けた。顔は見えないが、多分情けないと思っている事だろう。彼は普段から上半身にマント以外は何も着けていないので、ジェレミアも冷たくない様にとわざわざベストを脱いだのだ。彼女的には黒い服で胸元を隠しているから良いだろうと思っているのだが、彼にとってみればそういう問題ではないという事に、残念ながら彼女は気付いていない。
 マントの下で、彼の体を抱える様に脇の下から前へと腕を伸ばす。手を組むと彼の胸元のふわふわしたものが指を擽った。体の一部となっていて思わず装飾と見てしまっていたからすっかり忘れていたが、彼には立派に胸毛があるんだったとその時点でジェレミアは漸く思い出した。そしてはたと思い出した事があったので、組んだ指を解いてその中をまさぐる。
「……何だ」
「いや……ああ、これ」
 僅かに抵抗したのか、彼が尋ねたのだがジェレミアも何と答えて良いのか分からずはぐらかしたが、指先がある一点に辿り着いたので、彼も不承不承ではある様だが何となく分かった様だ。そこには、傷痕がある。
 以前ベルガーが負傷した彼の手当てをした時、傷の部位が胸元だったので治療の為に胸毛を剃り落としたのだが、そこに存在していた傷痕に眉を顰めたのは何もベルガーだけではなく、ジェレミア達だって思わず沈黙してしまったものだ。その傷痕が彼がどんな意志の強さで民を率いたのかという事を物語っている様な気がして、何も聞く事が出来なかった。下手をすれば命さえ落としていただろうに、それでも彼は何事も無かった様に平然としている。ただ、傷痕を見たらジェレミア達の様に妙な顔をされてしまうから、体毛で隠してるのだろう。
「……危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえます様に」
「?」
「叔父上が良く言ってた言葉だ」
 その傷痕を指でなぞりながら言ったジェレミアに、彼がほんの少しだけ顔を向けてきたので、彼女はそう答えた。彼の傷痕を見て、叔父が良く言っていた言葉を思い出したものだから、つい口からついて出てしまったのだ。
 彼の戦い方や体に残された痕を見ると、女神に無事を祈るよりも先に敵に立ち向かっていく姿が容易に想像出来る。獣人達もマナの女神を信仰している様だが、彼は基本的に祈らない様で、ジェレミアはその事については好ましく思っている。ジェレミアだって女神に祈るだけ祈って何もしないなどという事はしたくない。まして、何か起これば女神を恨む事など絶対に嫌だ。そんなのは卑怯者のやる事だと思っている。
「万が一奇襲が掛かっても、あたしが護ってやろう。下僕は王様を護るのが仕事だからな」
「……だから、あれは」
「冗談だ。お前のこの傷見たら、もうどうでも良くなった」
「………」
 どんな想いで彼があの国を興したのか、ジェレミアには分からない。ただ、険しく厳しい道であっただろうという事は、この傷から分かる。それこそ隠さねばならない程の大きな痕を負う程の事を、彼はあの森の者達の想いを汲み取って成し遂げたのだ。苛めるのも程々にしておかねばなるまい。奇妙な沈黙を誤魔化す様に、ジェレミアは傷をなぞるのを止めてからふわふわした彼の体毛で遊び始めた。
 彼の背から伝わる鼓動が心地良い。触れる体温が先程よりは高くなった様で、規則正しい吐息も聞こえてきたから、ほんの少し顔を覗き込んでみると彼は目を閉じていた。眠っている様にも見えるが、恐らく完全には眠っていない状態だろう。失った体力を回復させる為の、浅い眠りだ。ジェレミアも暖を取らせて貰う為にまた指先を彼の胸元の茂みに入れたのだが、中々暖かいので案外これも防寒対策に役立っているんだろうと思わず感心してしまった。
 その体勢のまま、ジェレミアは随分と長い時間雨音を聞きながらじっと彼の体を抱いていた。他の動物の足音も聞こえない中、妙に響くのは彼の吐息だけで、せめて彼の安らかなこの時間が少しでも長く続きます様にとジェレミアはぼんやりと思っていた。



 目の前に広がる不気味な空間を睨みながら、ジェレミアは双剣を抜いて構える。幻惑のジャングルを何とか抜けた後、ミラージュパレスへと辿り着いたは良いものの、エジーナの黒い鏡に精霊が吸い込まれた挙句にロジェの双子の兄とかいう男が出てきた。何か小難しい事をロジェと話していたが、早い話が敵だ。パレスの奥に居る幻夢の主教とやらを倒さねば先へは進めないらしい。
 主教を倒すのはロジェに任せるとして、ジェレミア達はその他の敵を殲滅するのみなのだから、思う存分暴れる事が出来る。何せ幻惑のジャングルでは雨のお陰で思う様に動く事が出来なかったのだから、今回は満足いく程戦えそうだ。
「中々楽しめそうじゃないか。大暴れ出来そうだな」
「……お前が暴れたら洒落にならなさそうだ」
 ジェレミアの後ろで呆れた様に言ったのは、誰でも無い獣人王だった。彼はあの後、夜を迎えて少雨になったのを見計らってから獣化して、本当にジェレミアを抱えて空母まで駆けてくれた。傷口は当然の様に開いたが、ヒーリングホームと顰めっ面のベルガーの手当てによってもう塞がっている。ジェレミアの服が破れていたものだからキュカ辺りが余計な詮索を入れてきたが、ユリエルがにこやかにそんな事で盛り上がっている暇は無いと言ってくれたので面倒な事にならずに済んだ。元々お互いそういう色気は無いタイプの人種なので詮索されても面白い答えなど用意出来ず、精々胸毛が温かったくらいしか言う事が無い。言った所でまた変な誤解を招きそうなので言わなかったが。
 わらわらと沸いて出るMOBを見て、そろそろ行くかと首を鳴らしたジェレミアより先に、彼がゆっくりと歩み出す。抜け駆けかとジェレミアは思ったが、彼は顔を少しジェレミアに向けると、にやっと笑った。


「危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえます様に。
 痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えます様に。
 人生という戦場で味方を探すのではなく、自分自身の力を見出せます様に。
 不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取る為に耐える心を願えます様に。」


 そして言われた言葉に、ジェレミアは思わず目を見開いた。最初のフレーズは叔父が良く言っていたから知っているが、その後は知らない。しかも何故彼が知っているのかという疑問もある。ジェレミアの驚いた顔が面白かったのか、彼は喉の奥で笑う。悪戯が成功した子供の様な顔をしていた。
「先代が王位を譲ってくれた時に教えてくれた教訓だ。
 勇敢に立ち向かえる様に、打ち克つ心を乞える様に、力を見出せる様に、自由を勝ち取る為に……。
 俺はいつもそうやって戦ってきた。これからも変わらんだろう」
「じゃあ今からも、そんな風に立ち回るって事だな」
「まあな」
 彼の言に、漸くジェレミアも同じ様ににやりと笑う。そして彼と肩を並べると、どちらが合図を出す事も無く同時に地面を蹴った。前方には敵方のMOBが、彼らの方へと向かってきていた。



 危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえます様に。
 痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えます様に。
 人生という戦場で味方を探すのではなく、自分自身の力を見出せます様に。
 不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取る為に耐える心を願えます様に。
 成功の中にのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意の時にこそ、
 あなたの御手に握られていることに気付けます様に。

(ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より 石川拓治訳)