reason

 戦いというのは、刹那の瞬間のやり取りの繰り返しだ。一瞬の油断が命取りになるし、判断ミスも許されない。そんな永久にも感じてしまいそうな時間を駆け抜けては敵を倒していくのが戦士だ。無傷で済むならそれに越した事は無いが、そんな事は滅多に無く、だから自分の様に戦闘に不向きな者が怪我人の手当てをするのだとベルガーは思っている。
 否、ベルガーだって一応一通りの攻撃魔法を使えるし、魔力も高いのだから戦力に数えらて然るべきなのだが、それ以上に己の持つ治癒能力や知識を自他共に優先する傾向があるので、どうしても怪我人を診る事の方が多くなる。軽症であれば怪我人本人がそれなりの処置を施すが、程度が重くなればベルガーがその怪我に見合うだけの手当てをする。ナイトソウルズの飛行時の燃料の事も考慮して、戦闘時以外ではヒーリングホームは滅多に設営しないのだ。勿論一刻を争う場合は例外なのだが。
 戦場に出れば自然とそれぞれの役割というのが振り分けられ、先陣をきる者、それを援護する者、全体の指揮を執る者などに分かれる。それによって必然的に怪我をする頻度が高い者もまた、自然と出てくる。大体は自分で判断してある程度で退き、母船で回復を図るものなのだが、何度言っても決して退かない者も居る訳で、ベルガーは大抵そういう者の手当てをする事になる。ただ、そういった者は本当に特殊で、ベルガーは今の所そんな頑固な者は一人しか思い当たらない。他の仲間もその者については言っても無駄だと半ば諦めているし、ベルガーだって早い段階で諦めている。仕方ないのだ、その者はベルガー達人間とは違った文化の中で育っているのだから。
 そう、件の者は、獣人王そのひとである。彼に限らず獣人族は手当てというものを重要視せず、彼の部下達だって退くという事を殆どしない。何故かはよく分からないのだが、恐らく彼らの闘争本能に基づく行動なのだろう。退く事よりも、闘う事を選んでしまうのではないかとベルガーは思っているが、それにしたって毎回こちらが思わず顔を顰めてしまう程の傷を負っているのだから、いい加減退くという事を覚えて欲しい。
 そして相変わらず今日も怪我をしたまま戦闘を終えて戻ってきた彼の背中を蹴らんばかりに自分の元に連れてきたジェレミアに苦笑しつつ、ベルガーは内心小さく溜め息を吐きながらむっつりとした顔で押し黙る彼に座る様に床を指差すのだった。



 彼の怪我というものは、他の仲間達が負ってくる怪我とは少し違って、武器による傷というよりも何かの爪痕と思わせる様なものが多い。指揮官を先に倒す方が後々の戦況に有利であるという事を鑑みれば、彼は恐らく敵の指揮官を守るMOBを真っ先に倒しにかかるのだろう。戦いは先手必勝だというのが彼の考えであるらしいから、あながちその考えは間違いではあるまい。
 しかし……
「……今日はまた一段と酷いな……」
 この戦いの中、様々な怪我を負った兵士を診てきたベルガーではあるが、流石に今日の彼の様な負傷をすればいくら何でも傷が塞がるまでヒーリングホームを使うであろうから傷口が浅くなる筈なのだが、思わず眉を顰めてしまう程の深さの傷を負った彼はそれでも悪びれもせずに仏頂面でベルガーの前にどっかりと座っている。悪いか、とでも言いたそうな顔に小言の一つや二つくらい言いたいものだが、言った所で彼は聞くまい。付き合いは浅いが、もう何度も彼の手当てをしているので、そういう事は分かっている。
 申し訳程度にヒーリングホームを使ったのか、出血はある程度治まっているものの深く刻まれた傷は塞がらず、赤みを帯びた肉が見えそうだ。聖都に居れば争いによる怪我などほぼ見る事が無い為に、ベルガーは彼が戦いの中で負った傷を見る度に閉口せざるを得なくなってしまう。本当に彼という男は自らを大事にしないのだ。その存在を失えば彼の国がどうなってしまうのかという事を考えた事が無いのかと問い質してやりたいくらいに。王であるという自覚が無いのではないかとベルガーが疑ってしまう程だ。
 さてどういう手当てをしたものか、と道具箱の中から包帯を出しながら思案したベルガーは、胡坐をかいて頬肘をつきながらそっぽを向いている彼の傷口にほんの少しだけ触れる。あまり触れると彼に痛みを与えてしまうので普段は傷に殆ど触れないのだが、今回ばかりは事情が異なっていた。傷口が見え難い、のだ。彼の胸元を覆うものによって。
「……すまないが、胸毛を剃っても」
「断る」
「………」
 構わないだろうかと言い終わる前に遮った彼の拒絶は短いものだった。が、それではいそうですかと引き下がるベルガーでも、勿論無い。怪我人を手当てするのがベルガーの役割なのであって、放っておく訳にもいかないのだ。
「傷口が塞がる時に毛を巻き込んでも知らんぞ」
「……えぐい脅し方だな」
「事実を述べたまでだ」
 彼がベルガーの言った事に眉根を寄せたのだが、こちらだって嘘は言っていないのだから仕方ない。 むくれた表情で彼はベルガーを睨んだが、そんなものではベルガーは怯まない。ベルガーにしてみれば、彼は大きな子供の様なものだ。言う事を聞かずに無茶をしては生傷だらけで帰ってくる子供だと、ベルガーは真剣に思っている。自分より体格が大きい子供ではあるが。
「普段手当てする時も頭とかなら剃るのか?」
「剃らねば手当て出来ぬだろう?」
「……分かったよ、煩ぇな」
 押し問答を続けても全く引き下がりそうに無いベルガーに観念したのかそれとも面倒臭いと思ったのか、彼は眉間にぎゅっと皺を寄せてどうにでもしろと言いたそうにぷいと顔を背ける。そもそも何故そんなに剃る事を頑なに嫌がっていたのかは分からないが、ベルガーにしてみれば怪我の治療の方を優先すべきだと思うので悪いとも思わず、道具箱の中から剃刀を取り出した。
「……ところで、何故君は上着を着ないのかね? 少しは防護になるだろうに」
 傷に刺激を与えない様に剃刀を滑らせながら、そこでベルガーは常日頃思っていた事を口にした。多分ベルガー以外にも同じ疑問を抱いている者も居るだろう。聞く機会が無いだけで。
 ベルガーが聞いた様に、彼は普段から上半身に服というものを着けずに直接マントを羽織っている。そのマントも肌触りは悪い訳では無いのだが、服くらいは着た方が良いとベルガーは思う。文化は違うと言っても彼は王なのだし、それなりの格好をした方が良いのではないかと思ったのだ。実際、ウェンデルに避難してきた獣人達は人間とほぼ変わらない服装だった。
 だが、ベルガーのその言に対し、彼は何か考える様な表情を見せ、ベルガーがはて、と思っているとおもむろに口を開いた。
「お前ら人間の世界は、他の国とも交易が盛んだろうし、自分達の国でも布なんて作れるんだろうが……
 月夜の森は反物を作れる植物があまり育たんのだ」
「………」
 彼のその言葉を聞いて、ベルガーは自分が彼の国の事情をすっかり失念していた事に気付き、顔には出さなかったが自分の迂闊さに内心舌打ちした。ベルガーにしてみれば珍しい心情ではあるが、本人はそれには全く気付かなかった。
 彼の住まう森は、ベルガー達人間が住む世界と違って、陽が昇らない。それ故、陽の元で育つ植物も上手く育たないだろう。獣人は人間とは接触を持たない種族であるから、交易もほぼ無いと言って良い。だから月夜の森で育つもので全てを賄わなければならないのだ。自分達が当たり前の様に手に入れる事が出来るものを、彼ら獣人は同じ様に手にする事は出来ない。
「確かに、王だからそれなりの身形をした方が良いんだろうが……
 着るものに苦労する程資源が少ない国で、王だからという理由で着飾るのはごめんだ。
 大体、俺達は戦いの時は変身するから、服を着ると逆に邪魔だ」
「……なるほどな」
 言われてみれば、変身した彼を見る事は稀であったが、本来の姿に身を変えた彼にとっては衣服というものは邪魔であろう。それに、その毛皮自体が防具となり防寒着となるのだから、そこまで衣類というものは重要ではないだろう。獣人は月夜の森に追い遣られたと言われているが、考えようによっては適した環境の森だったのかも知れない。否、彼ら獣人が適応していかざるを得なかったと言った方が正解なのかも知れないのだが。
「ふむ、ではこれも一応防寒の意味があったのだな」
「……それもある」
 どこか納得した様な面持ちで彼の胸元を見ながらそう言ったベルガーに、彼は何か意味を含んだ様な返事をする。そこでまた首を傾げそうになったベルガーは、傷口辺りの毛だけを剃っても不恰好かと思い全部剃っていた手元に何かの感触を感じ、何気なく視線をそちらに寄越した。その瞬間に思わず手が止まり、息を飲んでしまった。
「……これは……」
 そこには、まだ僅かしか見えていないが、確かに傷痕があった。それも、普段彼が放っておく傷の様な生易しいものではない。思わず指先でまさぐって見えない傷痕を辿ってしまったが、ひどく深く、また大きな傷痕だった。肉が抉れ、場所が場所なだけに一歩間違えれば最悪の事態も免れなかったであろうという事が想像に難くない傷だ。経験した事が無く、また見た事も無いその過去の出来事が何故か脳裏に映像として駆け抜けていったものだから、ベルガーは思わず奥歯を噛み締めて背筋が凍るのに耐えた。
「……おい、いつまで触ってやがんだ。とっとと剃ってとっとと手当て終わらせてくれ」
「あ、あぁ、すまない」
 彼が不機嫌そうに顔を顰めてそう言ったので、ベルガーも我に返った様に剃刀を持ち直す。しかし徐々に姿を現すその傷痕に、自然と眉間の皺が深くなっていった。どんな闘いを経たら、どんな者と闘ったらこんな傷を負うのか、検討がつかない。このペダンとの一連の戦いの中でも、彼はここまでの傷を負う事は無かったのだ。興味があると言えば不謹慎だが、疑問ではある。
「差し支えなければ、この……傷痕の事を聞いても構わんかね」
 そして、剃り終わって剃刀を元に戻してから傷口に塗る為の傷薬を鉢の中で混ぜながら飽くまでも平常心を装ってさり気なくベルガーがそう尋ねると、彼はきょとんとした顔をした。まるで予想もしてなかった質問だとでも言いたそうな顔だ。ベルガーだってそんな顔をされるとは予想もしていなかったのだが。
「どうもこうも……国を興す時に小競り合いがあるのは当たり前だろう。
 どんなに主導力を持っている者であっても、反対する者は必ず居る」
「戦をしたのかね?」
「従わない者を野放しにしておくと纏まるもんも纏まん。
 獣人は力の強い者に従う傾向があるからな、降伏させれば大抵はこちらに従う」
 つまり、彼は国を興す際に反乱を起こした一部の者達を制圧する為に月夜の森の中で戦をしたのだ。獣人は基本的に体術を使うから、変身した時の鋭い爪で襲い掛かられては無傷では済むまい。彼の性格からして先陣をきり、また殿を勤めた筈だ。そして、その戦の中で傷を負った部位があまりにも目立ってしまう所であったから隠しているに違いない。若い彼が今よりも更に若い頃の出来事であったから、強さも指導力も今の彼に及びはしなかっただろうし、だからその傷も負ってしまったのではないだろうか。そして傷は癒えても、服で隠すという考えは先の彼の発言からして最初から無かったのだろう。
「寒くもねぇし隠せるし、俺としてはちょうど良いと思ったんだが」
「……まあ、利に適っているから良いのではないかね」
 まるで子供の様な発言に思わず失笑しかけたベルガーは、すんでの所でその笑いを噛み殺す。笑えば当たり前だが彼が不機嫌になると思ったらだ。なるほどなあ、と間延びした納得はしかし、声には出さなかった。
 患部に薬を塗ったガーゼをあて、包帯を巻いていく。大人しくしてくれていれば自然治癒力も高い彼の事だから普通の人間の二倍近い早さで完治するのだが、残念ながら彼は大人しくするという概念が無い様で、いつも体のどこかに生傷を負っている。いつもそうやって治してきたと彼は以前手当てをしていたベルガーに言ったが、私もいつもこうやって治させて貰っていると言ったら何を言っても無駄かと判断したらしい彼は文句を言わなくなった。それでも体は無意識に動いてしまうらしく、戦場では駆け回っている様で、傷が塞がるのが遅い。遅いと言っても普通の人間と同じくらいの早さだから支障は無いのかも知れないが。
「まあ、君の謎が一つ解けたので今日の所は大目に見ておこう」
「謎って何だ」
「そのままの意味だが」
「そうかよ」
 そして包帯を巻き終わったベルガーが妙に納得した様な顔で頷きながらそう言ったのを見て、彼は釈然としない表情を見せたのだが、突っ込んで聞いてもろくな事は無いと分かっているのか、それ以上は何も言わなかった。



 余談であるが、その2日後くらいに闇夜の中の交戦となった時に獣化した彼が変身を解いた時には、彼の胸毛は元通りになっていたそうだ。その事についてナイトソウルズの面々から剃っても結局はすぐに元通りなのかよと総突っ込みを食らった彼が暫らく獣化しなかったのは言うまでも無い。