ラビの丸焼き

 マナの聖域はマナの剣を抜く為に訪れた時以来の再訪だが、前回訪れた時は急いでいたという事、そして多くの兵士が倒れていて少なからず動揺して感知する事が出来なかったけれども、改めて足を踏み入れると厳かな雰囲気が全域に広がっている。世界で一番マナが濃い場所はここだ、それも頷けるというものだろう。フラミーに聖域まで連れてきてもらった三人は最初こそこの雰囲気に圧倒されてしまっていたが、進まなければ目的が果たせないので奥へと足を踏み入れた。
 神獣が解放された為にマナストーンが失われ、クラスチェンジするにはこのマナの聖域の特別な女神像でなければ不可能となってしまっている。それぞれが目的のクラスになる為のアイテムに変化する種の収集は随分骨が折れたし、その種が欲しいアイテムに変化してくれるまでが長かった。ただ、ペダンで装備品を整えようとすると所持金が大幅に足らず、金策の為に幻惑のジャングルでずっと戦っていたので、種もそれなりに集まってくれた事は不幸中の幸いと言えた。
 その苦労の甲斐あって、ケヴィン達は装備品も整えられたし更なる力を得る為のアイテムも入手出来、そして今マナの聖域に居るという訳だ。地上のどこよりもマナが濃いこの場所のある種の異様さは、エルフの血を継ぐシャルロットが一番感じているのか、彼女の顔色は食べすぎて胸焼けを起こしている時のそれと同じだった。ケヴィンも獣人特有の気配の敏さで落ち着かなさそうであったし、デュランでさえ少し居心地が悪かった。清らかすぎる水には魚は住めないと聞くが、似た様なものかもしれない。
 ただ、そんな緊張は全員がクラスチェンジをした後にあっさり消えた。もう随分前の事の様に思えてしまうが、実際はたったの数ヶ月前、風のマナストーンの前でクラスチェンジをした三人は、ケヴィンとシャルロットが闇に、そんな二人を守れる様にとデュランは光に進んでいる。そしてフェアリーに詳細を聞いてじっくりと考えた結果、死狼の魂に灰の小瓶、聖騎士の証が必要と判明し、その三つを携えてそれぞれの望む力を手に入れた。故国を出た時にこれ程までの力を手に入れる事が出来るなどと思っていなかった三人は改めて力の使い方には十分注意しようと頷き合い、今まで通りアタッカーであるケヴィンをデュランがサポートする様に立ち回り、そんな二人をシャルロットは後方で支援するという方針を確かめ合った。
 クラスチェンジをしたからと言って今までの動きがそこまで変わる訳ではないのだが、念の為その確認をこの聖域でしておこうと、ケヴィン達は先程からラビやラビリオン、キングラビ相手に戦闘時の確認をしていて、いかに大きな力を得たのかを実感した。ナイトやエンチャントレス、バシュカーにクラスチェンジした時も感じた事だが、持て余してしまうのではないかと不安になる様な力だった。特に闇に進んだケヴィンにはその思いが強く、デュランに懸念を漏らした程だ。
「そんな事、無い様にしたいけど、デュランとシャルロット、ケガさせたらどうしよう……」
「あー、ケヴィン、それお前の悪い癖だぞ。心配するより自信持てよ」
「そうでちよ、シャルロットたちだってつよくなったんでちから、だいじょうぶでち!」
「うー……」
 ケヴィンが新たに取得した必殺技が強力であった事は、目の前で見たデュランもシャルロットも十分承知している。しかし、二人を巻き込んでしまったらと躊躇う瞬間があった事を、デュランは見逃さなかった。その僅かな躊躇いが取り返しのつかない事に繋がりかねないかもしれない。自分達から心配しない様にと言われても浮かない顔をしているケヴィンに、デュランは逡巡してから周りを見回し、ふむ、と顎に手をあてた。
「よし、二人とも、メシにしようぜ」
「へ?」
「折角クラスチェンジしたんだ、豪華にラビの丸焼きで祝おうじゃねえか」
 聖域に来た時は場の雰囲気に圧倒されて腹具合など気にしていられなかったが、クラスチェンジを終えて一息吐くと小腹が空いている気が付き、先程倒したラビが転がっているのを見たデュランが指差して言う。以前クラスチェンジした時もパロで祝おうとしたら弟を探す旅に出ると言って同じく漁港に居たリースがチョッピーノをご馳走してくれたので、今回もどこかで何か豪勢なものを食べようかと考えていたのだ。倒した魔物を捌いて食べる事など旅の道中では日常茶飯事であり、ラビもよく食べていたのだから良いだろう。ただ、マナの聖域でそれを作って食べようという発想がすごいとシャルロットは妙な面持ちになる。それでも、自分も空腹ではあったので反対はしなかった。
 聖域にも水辺があり、そこでラビを二羽捌いたデュランと、肉を焼く為の焚き火の準備をしたケヴィンの手際の良さに、すっかりアウトドアの食事の支度が板についてきたと感心しながらシャルロットはプイプイ草や星屑のハーブをペティナイフで刻む。しかし彼女のその手付きも、ウェンデルの神殿の神官達が見れば随分成長したと思う事だろう。
「二人共、焼けるまで時間掛かるから、これ食ってな」
「良いのか? ありがとう、デュラン」
「ありがとしゃんでち!」
 所持している塩と刻んだ星屑のハーブを混ぜ、毛皮を剥ぎ血抜きして内臓を処理したラビの肉に満遍なくまぶしてから、もう使わなくなったが予備として持っているケヴィンのグローブの爪を細工して突き刺して作った即席のバーベキューのギアを通して焼いている間、本格的に空腹になってきたのでデュランが二人にまんまるドロップを手渡した。シャルロットがヒールライトを覚えてからというもの、あまり戦闘中には世話になっていない飴だが、小腹が空いた時はつなぎになるし徒歩の移動の疲労も軽減するので、デュランは必ず自分のポケットに三つは入れている。こんな風にタイミングを見計らって年下二人の口に入れるのももうお手の物だ。自分もその甘酸っぱい飴を口の中で転がしながら器用に肉を焼きつつ、余ったグローブの爪に波状に刺して焚き火の近くで耳の部分の軟骨を焼いているケヴィンをちらと見ると、先程の不安そうな色は今は消えていた。火傷しないぎりぎりの距離で、わくわくしながら胡座をかいて僅かに左右に体を揺らしていている。それにほっとしたのは何も自分だけではなかった様で、同じ様にケヴィンを見ていたシャルロットと目が合い、何となく二人で同時に言葉も無く頷いてしまった。
「よーし、焼け……」
「たー!」
 ラビは小ぶりとは言え丸焼きにすると時間が掛かるので、肉が焼ける匂いに魔物が寄って来るのではないかというデュランの心配は杞憂に終わったらしい。焚き火の火力調整は未だに上手く出来ず、表面がやや焦げてしまったが、慎重にグローブの爪を引き抜いてから愛用のナイフで切り分けると、肉汁が滲み出て三人の空腹を一層刺激した。
「ケヴィン、お前、今日は皮全部食って良いぞ」
「え、でもデュランも皮、好きじゃないか?」
「良いんだよ、お前が全部食え。幻惑のジャングルで一番頑張ったのはお前だしな」
 ラビ肉に限らず皮部分を好むケヴィンとデュランは、特にこんな風に焼いたものが好きだ。シャルロットは表面のザラザラした見た目が嫌いらしく、いつも二人で分けて食べる。だが今日、デュランは二羽分の皮を全てケヴィンに取り分けて与えた。ペダンで高額な武器防具を購入する為に幻惑のジャングルでの金策に一番戦ったのはデュランが言った通りケヴィンであったというのもあるし、先程の不安げな表情を思い出すと少しでも好物を与えて落ち着かせてやろうという兄心の様なものが働く。シャルロットは柔らかい背の肉を与えれば良いだろう。ラビは飛び跳ねる際に腹を一番使うのか、腹肉が一番硬いので、そこは自分が食べるつもりだった。
「……うまい! シャルロット、星屑のハーブと塩混ぜるの、ホント上手くなった!」
「ふふふーん、そうでちょそうでちょ! デュランしゃんのきびしーとっくんのたま、えーと、たまものでち!」
「傭兵はな、どんな不味いものでも美味く食える様な調味料を自分で配合して持ってんだよ。役に立って良かったぜ」
 分けて貰った皮を大きな一口を開けてかぶり付いたケヴィンは、小気味良い音を立てたと同時に満面の笑みを見せてくれて、それがデュランとシャルロットの口元を緩ませる。最初の頃は自分の努力のお陰と頑なに他人の功績を前面に出そうとしなかったシャルロットも、今ではこんな風に自然と他人を称える様になっていて、それも多分食事の支度を殆ど毎日手伝わせた結果だ。
苦しい時も悲しい時も、つらい時も、何か食べる際はこうやって一口目に嬉しそうな顔を見せるケヴィンの事を、二人はとても好いていた。だからどれだけ先を急いでいようと、どれだけ状況が切迫していようと、デュランは絶対に食事の時間を設ける事にしている。空腹というのはそれだけで精神を摩耗させるのだと、彼はフォルセナで長期演習をしている際に学んだ。フォルセナは城や城下町から離れ、モールベアの高原で半月程の演習を年に二回はするのだが、その時にいかにステラが自分達を飢えさせなかったのかも知ったのだ。ケヴィンとシャルロットの保護者を自覚しているデュランは、だから父や王とはまた別の敬愛の念を抱いている伯母と同じ様に、二人を飢えさせない様に気遣ってきた。
 皿代わりにしている硬くなったパンに肉汁が染みていき、柔らかくなると同時に肉の旨味も吸って、ラビ肉と一緒に口に入れると絶妙な旨さが口に広がる。星屑のハーブは清涼感の中にも仄かな苦味があって、またそれが疲れた体に染み渡った。耳の軟骨は縦に長く切り、プイプイ草の千切りを巻いて食べると違った食感が楽しめて美味い。
「デュラン、シャルロットも、いつも一緒に食ってくれて、ありがとう」
 そしてすっかり食べ終わり、焚き火を消してラビの骨を木の根本に埋めたりしていると、ケヴィンが改まって二人にぺこりと頭を下げて礼を言った。素直に礼を言ったり謝ったりするのは食事を美味そうに食べる事と同様、彼の数多い美徳の内の一つだ。そんな事で、と二人は思ったりしたが、ケヴィンは獣人の国の中で唯一の人間との混血であるから一人で食事をする事が多かったのだろう。
「良いって事よ! お前が自分で言ったろ、みんなで食うから美味いのがもっと美味くなるって」
「そーでちよ! まあ、こーんなびしょーじょがいっしょにたべてるんでちから、おいしくなるのはあたりまえでち」
「台無しだよお前」
「んまーっ、デュランしゃん、ひかりのしさいのおまごしゃんにむかってなんでちかそのいいかた!」
「おっ、何だ、やるか?」
「あう、二人共、ケンカはダメ!」
 だからデュランが気にするなと言う様に明るく笑ったというのに、成長を見せたと思っていたらまた自分の功績と胸を張ったシャルロットに呆れた顔をしたデュランは、睨み合った自分達の間に慌てて仲裁に入ったケヴィンの変わらなさに吹いてしまった。そして二人の頭をわしゃわしゃと両手で撫で、まるで円陣を組む様にして言った。
「明日も明後日も、そのまた次の日も、三人でメシが食えるさ。その為に俺がお前達を守るし、お前達も俺を信じて存分に戦え」
「………」
「なあケヴィンにシャルロット、俺は英雄王様に仕える騎士だけどよ、未来の獣人王様と未来の光の司祭様を護る誉れを俺にくれ」
「……みらいのおーごんのきしさまにまもられるなんて、あたちもこーえいでち! ね、ケヴィンしゃん!」
「……うん!」
 デュランのその言葉は心の底からの本心で、自分を護る事に対しても心底そう思ってくれているのだろうとシャルロットは理解しているのだが、それ以上にケヴィンが手に入れた力を鈍らせる事が無い様にと慮っているのだろうと分かったから、ケヴィンより先ににっと笑って同意を求めた。すると彼ははにかむ様に、また幸せを噛み締める様に頷いてくれたものだから、デュランもシャルロットもケヴィンを心ゆくまで撫で回したのだった。