愛のかたち#03

「俺はお前の為の騎士にはなれない」
 そう言った彼のその姿は、紛れもなく騎士そのものだった。彼女はだから、ただその場に立ち尽くしてしまった。



 アルテナはマナが失われた今でも女王が統治している。女王は何もマナの力だけで国を支配していた訳ではなく、脈々と受け継がれた「国を統治する一族」の血が流れている訳なのだから、女王の指示の下、迫り来る極寒との戦いを国民達も受け入れていた。確かに魔法というものが世界から消え失せてしまった後は女王に価値があるのかという疑問を抱いた者も居た様だが、その疑問すら払拭させてしまう程の指導力を女王は持っていた。だから一人娘であるアンジェラも、当然の様に王位を継ぐ者だった。
 アンジェラには、国を継ぐべき責務がある。それが王家のしきたりであり、また課せられた責務であるなら、アンジェラに拒む事は許されない。母は多くは語らなかったが、自分の父となった男の事が本当に好きだったから貴女が生まれたのよと旅から帰り誤解が解けたアンジェラに言った。好きだったのなら結婚すれば良かったのに、とアンジェラは思ったのだが、すぐに結婚出来なかったから自分に父が居ないのだと気が付いた。
 母にもまた、父が居なかったのだとホセから聞いた事がある。代々この国はアルテナ王家が統治してきたが、歴代は全て女王であるという。男を排除したのではなく、単に強い魔力を受け継いだのが女児であっただけで、男児が不要だった訳では無いのだ。そうして、自然とアルテナは女性が中心となった社会へと発達した。何度も述べるが、男性を蔑ろにしていた訳では決して無い。
 だからデュランがアルテナの内情を知った時に、男の存在が小さく見えると言われて、アンジェラはそんな事は無いと言ったものだ。確かに表立つ事は無いけれども、縁の下の力持ちの様な存在だから、見下している訳では無いと言った。暗にデュランが自分から小さく見られている様だと言った気がしたから、誤解を招くのは嫌だと思った。実際、確かにアルテナでは男という存在が目立たない為に意識した事は無かったのだが、アンジェラは旅の中でそれこそ身近に男性と接して、女では無理な事でも男なら出来るのだと痛感した。体力も腕力も、そして集中力も全く違う。異なる存在だからこそこの世の均衡が取れる気がした。
 紅蓮の魔導師という同じ敵を掲げていたからかどうかは分からないが、アンジェラはデュランの事を好ましく思っていた。周りに居ないタイプの人種であったから気になっただけかとも思っていたが、旅を終える頃には自分の中にあるものが恋情であるという事くらいは年頃のアンジェラには理解出来た。ただ、デュランはフォルセナの一介の騎士であり、アンジェラはアルテナの王女だ。デュランも自分と同じ想いであるという事もまた、アンジェラには分かっていたけれども、デュランがアンジェラを望む事は実質不可能だ。アンジェラはアルテナを継がねばならない。ではデュランがアルテナに来るかと考えると、それも無い事と思われた。
 確かに、お互い好いてはいる。言葉に出した事は無いが、言えばデュランの重荷になる様な気がして、アンジェラは言った事が無い。デュランは普段は口も悪く感情的で武骨だが、彼が仕える王の前では最大限の敬意を払い、礼儀正しい。これが本当にデュランなのかと仲間皆が疑ったものだ。それだけデュランは王に忠誠を誓い、また王の騎士だった。対して自分は、母の様に威厳もなければ力も無い。デュランに騎士の誓いを立てて貰える程の存在ではないと思った。
 だからアンジェラは、敢えて何も言わずに母の下で次期女王になるべく嫌いな勉強を積極的にやる様になった。その積極性にヴィクター達が訝しがる程、アンジェラは熱心に勉強した。思い出にして懐かしめれば良いと思ったからだ。聞けば、ローラントのリースは生涯誰とも番わずにマナの女神と翼あるものの父にのみ仕える巫女になったのだと言う。彼女に想いを寄せていた者を、自分の想いを振り切る形で、彼女は聖女となった。その覚悟は称賛に値すると、アンジェラは思う。国の為に全てを捨てる覚悟など、その時のアンジェラには理解出来なかったのだが、リースの姿勢に強い衝撃を受けた。
 だが、考えてみれば、母もそうだったのではないかとアンジェラは気付いたのだ。母は誰とも番わずに自分を生んだが、情を交わさない相手との間に子供を為すとは思えない。ならばきっと、母も叶わぬ相手を好きになって、自分を生んだのだ。国を捨てるにはあまりにも国を愛していたから、黙って自分を生んだのだろう。母が出来た事を娘である自分が出来ぬ訳が無い。それでも、デュランが英雄王からの書簡を持って使者としてアルテナに訪れた時に、アンジェラの心は揺らいだ。意志が弱いと、悲しむよりも自分に呆れてしまったが、自分の想いがそれだけ強く、また偽らざるものであるという事を確信した。
 しかし番う事は無理だろうけれども好きだと言おうと思っていた矢先に、デュランから話があると、中庭まで呼び出されてから言われた言葉に、アンジェラは立ち尽くすしか無かった。


 俺はお前の為の騎士にはなれない。
 お前はどうか分からないけど、俺はお前が好きだ。それは信じて欲しいと思ってる。
 でも、お前もアルテナを愛して、女王を護りたいのと同じ様に、俺は生涯この剣を英雄王様に捧げると誓ったし、あの方が護るフォルセナを俺も護りたい。
 お前とフォルセナを天秤にかけるつもりは全く無いけど、お前の為の騎士にはなれない。
 ……ただ、お前は迷惑かも知れないけど……、
 騎士の忠誠は、英雄王様に誓った。その代わり、一人の男としての忠誠は生涯お前だけに捧げよう。
 お前がこれから先、誰と一緒になっても、俺はお前だけだとこの場で誓う。
 お前が忘れても構わない。……いや、忘れてくれて構わない。
 これから先のアルテナに、どうか女神の……あのフェアリーの加護があらん事を。


 言い終わったデュランは、ひどくさっぱりとした顔をしていた。彼がそんな事を考えていたとは思ってもいなかったアンジェラは呆然と立ち尽くすしか無かったのだが、やがてデュランの全ての言葉を理解すると、意識もしていないのに涙が零れた。
 武骨でぶっきら棒なデュランがそんな誓いを立てるとは思っていなかったし、またそんな風に自分の事を想っていてくれているとも思わなかったから、番えないという悲しみよりもデュランが生涯の想いを誓ってくれた喜びが強くて、胸をいっぱいにした幸せが涙を押し上げたのだ。
 確かに、番う事は出来ないだろう。けれども想いを繋げておく事は出来る。顔を覆って泣き始めた自分の側で跪き、見上げたデュランに抱き付いたアンジェラは、母の誤解が解けた時よりも世界を護れた時よりも幸せだと泣いた。これが愛のかたちなのだと、初めて知った気がしていた。