猛獣の飼い方10の基本・その4:ときどきあまえんぼうになります

 テケリは彼を初めて見た時から、とんでもなく恐そうで、正直取っ付き難そうだと思っていた。無愛想な言葉に眉間にぎゅっと寄せられた皺、いつでも機嫌の悪そうな表情(どうもそれは地顔であるらしいのだが)は十才の子供が怯えるには十分な理由となり、故にテケリは表面上には出さずとも少なからず彼に怯えていた。
 テケリ本人は人見知りなどしないタイプだし、持ち前の明るさですぐに誰とも親しくはなれるのだが、彼の様なタイプの相手は流石に近寄り難いし話し掛けづらい。何の用事も無く呼び掛けたりなどしようものなら怒られそうで、だからテケリは今まで彼と殆んど会話らしい会話を交した事が無かった。これと言って用事が無かった為である。
 他の者、例えばキュカなどは以前からの知り合いであるので軽口も叩けるし、他国の者であっても気軽に声を掛ける事が出来るのだが、彼にだけはどうしても話し掛ける事が出来ない。これはテケリ自身にとっても多少不思議な事でもあった。
 悪い人ではない。それはテケリにだって十分に分かっている。ペダン兵に囲まれた玉座の間で脱出を手助けしてくれたのは間違い無く彼であるし、そもそも悪い人なら民にあれだけ慕われない。傍から見ても彼は自国民からの人望が厚く、慕われている。そして何よりテケリを決して荷物扱いしなかった。
 テケリは「子供を危険に晒すなど」とそれまでに何度も言われた事がある身である。ユリエル達も口には出さなかったが行動を共にする事については前向きな考えは持っていなかっただろう。だから王である前に一人の戦士である彼からは真っ先に言われると思っていたのだ。子供が居ても足手纏いだ、と。
 だが、テケリの予想に反して彼は一言もそんな言葉を言わなかったし、またそんな考えも持たなかった様であった。テケリは森で生活していた森の人と呼ばれる民族の最後の生き残りである。森で生きていたのだから気配には敏感だし、他人の考えている事にも敏感なのだ。だが正直、彼の考えはテケリにはさっぱり分からなかった。恐らく彼も森で生活している種族だから思考を読まれない様にシャットダウンする事もお手の物だからだと思われるのだが、それにしても表情くらいは変わるだろう。そう思って見てみても、彼が表情を変える事は稀なのである。だがそれを踏まえてみても、彼はテケリを邪魔者だとは全く思っていない様であった。多分彼自身が幼い頃から何らかの形で戦ってきた経験があるからだろうとは思われるのだが、それもテケリの推測にしか過ぎない。
 そんな彼の印象が変わった出来事がある。いつの戦闘だったか、テケリが不意を突かれて結構な傷を負った時、たまたま近くに彼が居たのだが、彼はあろう事かテケリを抱えて全速力でナイトソウルズまで駆けてくれたのだ。テケリはあの時本気で面食らい、頭が混乱してナイトソウルズ付近で降ろしてくれた彼に礼すらも言えなかったが、何も言わずにまた戦場に戻ろうとして走り出そうとする彼の背に向かって叫んだのだ。
『ま、まだテケリだって戦えるでありますっ!』
 テケリの記憶違いでなければ、彼だってそれなりの傷を負っていた。決して浅くは無い怪我だってしていた。それなのに回復するのを待たずに駆け出した彼は、己の傷の回復よりも戦況の方が大事だったのだろう。それは分かる。しかしテケリにとってみれば置いて行かれるのは嫌だったのだ。子供だから置いて行かれると、そう思ってしまった。
 だが、泣きそうになったテケリの耳に届いたのは予想もしない彼の怒号だった。

『だったら完璧に治して万全の状態で戻ってきやがれ!!』

 まさか彼の口からそんな言葉が返ってくるとは思っていなかったテケリはぽかんとしてしまったのだが、彼はテケリの返事を待たずにあっと言う間にまた戦場へと走り去ってしまった。どんどん小さくなっていく彼の後姿を見ながら、テケリは漸く彼の言葉を飲み込み、そして嬉しくなってしまった。
 危ないからここに居ろ、ではなかった。戻って来い、と、確かに彼はそう言った。彼はテケリを一人の戦士としてきちんと見ていたのだ。そして恐らく彼の場合、労わる様な言葉を持ち合わせていないのだろう。言葉は乱暴で素っ気無くてもきちんと相手を思い遣っている。テケリはその時、漸くそれに気付いた。
 それ以来、テケリは幾分か彼への取っ付き難さを感じる事がなくなった。たまにではあるが、一言二言会話を交わす様にもなった。森に住んでいたという接点はある為、相互の知識は仲間内の役に少しは立っている様でもあった。距離感は以前の様には感じない。
 だから、テケリは思い切ってみる事にしてみたのだ。馬鹿にされる確率が高い事を重々承知しながら。



「あ、あのですね、ガウザーさん」
 戦闘の無い暫しの小休止の時、ぼうっと甲板で外を眺めていた彼の背中に、テケリはそれでも勇気を振り絞って声を掛けた。彼は誰も居ない所に一人で居る事が多く、だから見付けるのは甲板が多い。テケリの呼びかけに反応を示した彼はゆっくりと振り返ったのだが、相変わらず表情は無愛想だった。
「何だボーズ、俺に用か? 珍しいな」
 別に彼が仲間内の輪から外れているという訳ではないのだが、しかし全体を見回してみると彼は少し離れた所で仲間を静観している事が多かった。テケリもペダンから一緒に来たロジェ達と一緒に居る事の方が多い。それ故の珍しいという発言であろう。人間と馴れ合うつもりがないのかと思っていたのだが、どうもそれは違うらしい。単にどう接して良いのか分からないだけなのだろうとテケリは思っている。そしてテケリのその考えは的中しているのだが、生憎とテケリには的中しているという事実を知る術は無かった。
「そうであります、用があると言うか……その、お願いがあると言うか」
「……お願い?」
 そのテケリの発言を受けて、彼の表情が不可解なものへと変わった。それはそうだろう、殆ど接点も無い様な人物から何を頼む事があるのかなど彼には分からないのだから。テケリは彼のその表情に少し言うのを躊躇ったのだが、ここまできて引き下がる訳にもいかず、ぎゅっと両手で握り拳を作って、決心したかの様に彼を見上げて、言った。
「あの、あの……えと、」
「……何だ」
「……その……、……か、」

「肩車して欲しいんでありますっ!」

「………………はぁ?」
 必死な表情とは裏腹に告げられた頼みが随分と幼稚なものだった所為か、彼は暫くの間を置いて思わず間抜けな声で聞き返した。
「いやあの、だってウェンデルでガウザーさんてば獣人の子供達に肩車してあげてたし、皆楽しそうだったし、
 それにガウザーさんは背が高いから肩車して貰えたらさぞ気持ち良さそうだと思う訳でありまして、
 テケリは誰にも肩車して貰った事がないので、あのだからそのぅ……」
「………」
 どんどん語尾が小さくなっていくテケリの言葉に彼は何も反応を示さず、沈黙している。テケリは上目遣いでもじもじしながら彼を見たのだが、彼は目をぱちくりさせてテケリを見ていた。
 テケリが言う通り、各国を回る途中でウェンデルへ寄った時、彼は自国民、取り分けミントスの村の者達の様子を気にかけていた。慣れぬ人間社会での生活に戸惑っている者達を少しでも安心させようとしての事だったのか、滞在時間が短くても必ず顔を出しに訪れていたのだ。それをたまたまテケリも見たのだが、村の子供達がわらわらと彼に寄って戯れたり、彼も肩車をして遊んであげたりしていた。その時の彼の表情は普段とは全く違って、まるで子供の様に無邪気に笑っていたのがテケリの印象に残っている。
 だがそれ以上に、テケリは羨ましかったのだ。両親と死に別れ、叔父夫婦に引き取られたと言ってもテケリは抱き上げられたり肩車をされたり、そういう事をして貰った記憶が無い。だから獣人の子供達が羨ましかったのだ。自分もして貰いたい、と、そういう願望が生まれてしまったのである。
 あまりにも返事が戻ってこないので駄目かな、とテケリが思ったその瞬間、彼の口元が僅かに緩み、そして彼が小刻みに体を震わせた。
「………っく、……ふ、ふふ、 あは、あはははははははは!!」
そして我慢も限界だったのだろう、彼は少しだけ口元を手で押さえていたのだがそれもすぐに離し、腹を抱えて笑い出した。
「わ、笑わないで欲しいでありますっ! 結構本気なんでありますよっ!」
「な、何を真剣に頼むかと思えば……か、肩車! ぶははははははは!!」
 まさか彼がこんな風に爆笑するとは思わなかったテケリの方が面食らってしまい、恥ずかしいというより唖然としてしまった。普段の彼は本当に口数も少なく、怒っている様な表情を見た事はあれども笑っている所などウェンデルで見たきりなのである。
「あー、は、腹痛ぇ……か、肩車な、肩車すりゃ良いんだな」
 未だ震える声を堪えながらそう言うと、彼はテケリが何か言う前に自分より一回りも二回りも小さなテケリを軽々と抱え上げ肩の上に乗せると、きちんと片手をテケリの背の方に回してくれた。
「わぁ、高いでありますねぇ!」
 礼を言うより先に感動が口に出たテケリはしかし、乗せて貰った肩が意外に広くない事に驚いてしまった。もっと大きくて広いのかと思っていたのだが、そうではなかった様だ。
「ボーズ、何か見えるか?」
 そのテケリの驚きには気付かなかったのか、彼は何気無い事を聞いてきた。テケリはその言葉に何かあるのかと思って遠くまで見渡してみたのだが、これと言って特別なものは見えなかった。だが普段よりも見上げる空が近く感じ、彼の望む答えかどうかは分からなかったがぽつりと呟いてみた。
「お月様が、いつもより近く見えるでありますねぇ」
 まだ夕方と言える時間ではあるが、もう月がうっすらと天に浮かんでいるのが見える。その月が、今なら手を伸ばせば届きそうな錯覚を覚えてしまう。彼はテケリのその答えに満足したのかどうなのか、テケリからは表情は見えなかったのだが機嫌が悪くはない声でテケリに言葉を投げた。
「俺の目線でないと見えん事もあれば、ボーズの目線からじゃないと見えん事もある。
 忘れるな、お前は戦場に出た戦士である前に一人の子供だ。
 背伸びするのが悪い事とは言わん、だが身の程を知るのも大事だ。
 危険だと判断した時は退け。死ねばそこで終わりだからな」
「………」
「返事は」
「……了解、なのであります」
 彼からそんな事を言われるとは微塵にも思っていなかったテケリは返事も出来ずに沈黙してしまったが、彼が返答を急かしたので我に戻って承諾を口にした。だが恐らく彼の言葉はテケリが意外に思っただけで、彼自身は常日頃テケリに対してそう思っていたに違いない。言う機会が無かっただけなのであろう。
 彼は暫し沈黙したテケリをひょいと甲板に下ろすと、帽子の上からぐしゃぐしゃと頭を撫でた。無骨な手は大きく、撫で方は乱暴ではあったが優しいとテケリは思った。
「そろそろ降りろ。風が冷たくなってきた」
「……ガウザーさんは降りないんでありますか?」
「俺はまだ暫く風に当たりたいんだよ」
 テケリがまだふわふわする足元を踏みしめながら彼を見上げて尋ねると、彼は少しだけ笑みを浮かべて流れてくる風を心地良さそうに受け止めていた。軽やかに吹き抜ける風はナイトソウルズを隠している木々の薫りを運んできてくれる。彼はそれがひどく愛しいのだろうとテケリは思う。テケリだって森に入れば故郷の密林を思い出して心が安らぐからだ。
「じゃあ、ご飯の時間になったら呼ぶでありますね! 風邪ひかない様に気を付けて欲しいのであります!」
 背筋を伸ばして彼を見上げてそう言うと、彼は返事の代わりに手を少し挙げて応えた。それでもテケリはその返事で十分だったので、にこっと笑ってから艇内へと降りる階段へと足早に駆けた。そして、階段の手前でまた彼を振り向いてから、言った。
「あの、さっきは本当に有難うであります。このご恩は一生忘れないであります!」
「……いや別に忘れて構わんが」
「それと、出来たらまたして欲しいのであります!」
「……じゃあ今度は見渡しの良いトコでな」
「さっすが百獣人の王様! 期待してるでありますー」
 どさくさに紛れて次の約束まで取り付けたテケリは年相応の笑みを浮かべ、呆れを通り越して苦笑するしかなかったのだろう彼を見てから他の仲間が居る艇内へと駆け下りて行った。

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時々甘えん坊になります。
但し猛獣が、ではなく、飼い主が。
(そしてその猛獣も、どうもそれを煩わしいとは思っていない様ですよ)