ステーキ

 椅子の真ん中に座る事をデュランやシャルロットの躾により覚えたケヴィンも、音や匂いを察知すればそわそわしだす。それが好物のものであれば尚更で、待望の肉のものであれば落ち着きを無くす。以前はそれに対して苦言を呈していたシャルロットであったが、今はもう見慣れたものであるし、その様子の彼が大きな子供の様に見えて可愛らしく思えるので、よほどの事が無い限りは口出しをしない。身を乗り出そうとしたり、待ちきれずに立ち上がろうとすると流石に注意はするけれども、旅の中で食に対する我慢を覚えたケヴィンは今ではそういった行為は行儀が悪いと分かっていて、座ったままじっと待っていた。
 ここはフォルセナの城下町、デュランの故郷だ。マナストーンから解放されてしまった神獣を倒す為に力を貸してもらっている聖獣フラミーにより、世界各地へと文字通り飛んで行ける事となったのだが、光の古代遺跡に赴く際にシャルロットが光の司祭を見舞いたいと言ったのでウェンデルへ立ち寄った。生憎と面会は叶わなかったけれども見舞いの花としてシャルロットの生まれ故郷である森に咲くランプ花を飾ってもらう様に言付け、街で食事をしたのだが、僧侶が多く住まう街では殆ど肉料理にありつけずにケヴィンが意気消沈してしまった。お陰でライトゲイザーと戦う前に携帯食として用意していた干し肉が全て無くなった程の落ち込みように、デュランは本来の予定の神獣討伐順を変更し土の神獣を倒す事にして、その前にフォルセナに立ち寄り肉料理を食べようと提案した。ケヴィンは勿論、シャルロットも大いに喜んだし、デュランも楽しみではあったので、席でそわそわしているケヴィンの気持ちはよく分かる。
「でもデュランしゃん、おかねはだいじょうぶなんでちか?」
「俺達の武器防具に比べたら可愛い金額だろ、ステーキなんて。それに……おいケヴィン、腰浮いてるぞ。料理来たから座れ」
「うん!」
 旅を始めた頃の、金の使い方が欲望に忠実だったシャルロットの言葉とは思えない発言に、デュランは管理を担当している財布の中身を思い出しながらケヴィンを諌める。食事時で賑やかな店内には住民だけではなく兵士の姿もちらほら見受けられ、食事と会話に夢中になっている人々のテーブルの合間を縫って運ばれてくる自分達がオーダーした料理に、デュランも腰の据わりを正した。ワゴンに乗せられた三人分のステーキ、正確に言えば一際大きな一皿に、思わず他の客の目線が向けられる程で、自分がオーダーしたものではないのにデュランはあれを完食出来るのかと何となく不安になる。
「はーい、お待ちどうさま、リブロースのハーフポンドとヒレの1ポンド、サーロインの3ポンドね。鉄板熱いから気をつけて」
「うわでっけえ……どうも」
「デュランも大食いの方だけど、連れの子はもっと大食いなんだね。3ポンドとか久しぶりに焼いたよ」
 ここまで大きさが違えば同じタイミングで運んで来るには調理時間を上手く見計らわないといけないが、この食堂は肉を焼かせたらフォルセナで右に出る者は居ないとまで言われる調理人が居るので、完璧な状態で運ばれてきた。しかしそんな調理人でも滅多に焼く事が無いと言わしめる肉塊が鉄板の上で焼ける音を立て、ケヴィンの前に置かれると、彼はここ最近で一番の目の輝きを見せた。肉が焦げない様にと敷かれた玉ねぎやパスタ、付け合せのじゃがいも、ブロッコリーなど、恐らく視界に入っていないに違いない。
「デュラン、食っても良い?」
「良いぞ、火傷すんなよ。シャルロットも火傷しねえようにな」
「はーいでち!」
 脂で汚れない様にと貸し出されたエプロンを着けた三人はナイフとフォークを手に取ると、早速切り分け口に運ぶ。そのケヴィンの一口目を見ていた二人は、大ぶりに切り分けた一切れを口に入れた彼が目を瞑って幸せそうな表情で顔を満たした事に思わず顔を綻ばせたし、自分達も口内に広がった肉と肉汁の旨味に似たような表情を浮かばせた。
「うまーい! この肉、脂少なめでうまいな!」
「3ポンドもあるから少なめのとこ選んでくれって言ったんだよ」
「シャルロットのはとろけるようでち〜」
「お前は少ないし、脂身多くても良いかと思ってな。あー、やっぱり肉、うめーな……」
 三者三様で肉の部位を変えたのはデュランの采配で、量が少ないシャルロットは脂が多くても良いかもしれないが皆が思わず見てしまう程の量にしたケヴィンはシャルロットと同じ部位であれば確実に胸焼けを起こすし、場合によっては腹を下すかもしれない。それは避けたいと考えてのオーダーだったが、どうやら二人共気に入ってくれたらしく、それは表情を見れば分かる。肉の熱さに額に汗を浮かべ、一心不乱にナイフとフォークを使って食べるケヴィンの食べるスピードは全く変わらず、故郷の周辺の草原でのびのびと育てられた牛がこうやって満足げに食べられるのは悪い気はしない。柔らかな食感の、こちらも脂身が控えめで肉汁が滴るヒレ肉を口に運びながらデュランはそんな事を思う。シャルロットの努力とデュランの指導によって、ケヴィンのナイフとフォークの使い方も随分様になってきた。
「デュランとシャルロットも、この肉食ってみるか? はい」
「お、良いのか? じゃあ俺も」
「ありがとしゃんでち! あたちのもどーぞ!」
 そしてケヴィンが真ん中から肉を切ったかと思うと、ミディアムレアの暗赤色の一切れをデュランとシャルロットの皿にそれぞれ置いた。まだ熱いままの鉄板の上に置かれたその肉は、火が通る良い音を立てている。ケヴィンは自分が美味と感じたものをこうやって二人に分ける癖があり、シャルロットは最初の内は他人が食べているものを貰ったり自分が食べているものをあげたりする事に抵抗があった様なのだが、今では全く気にせずこんな風に交換したりする様になっていた。
「デュランのもシャルロットのも、うまいな! でも、みんなで食ってるから、うまいのがもっとうまくなってるんだな!」
「おっ、良い事言うじゃねえかケヴィン」
「シャルロットもそれはおおいにどーいするでち!」
 濃い味付けのステーキに対し薄味に作られたオニオンスープを汗を拭いながら飲むシャルロットが、ケヴィンの言葉に深く頷く。デュランが家族と囲んだ食事を思い出したのと同様、彼女も光の司祭やヒースと囲んだ食卓を思い出したのだろう。いつの事になるか分からないが、この旅が終わって各自が故郷に帰る事があったとしてもまたこうやって三人で食事がしたいし、いつまで経っても一口目で心底幸せそうな顔を見せるケヴィンをシャルロットと一緒に眺めたいとデュランは願った。口の中の肉の味と、言いそびれていた二人の幸せそうな顔と引き換えのステーキ代など惜しくもなければ安いものだという感想を、山の麓で採水される天然炭酸水で飲み下したデュランの心の中には、ケヴィンが完食出来ないのではなどという不安はどこにも存在していなかった。