ビーフシチュー

 世界を悪しき者から守る為の旅の道中とは言え、聖剣の勇者達にも娯楽というものは必要である。街に立ち寄ればそれなりの楽しみというものはあれども、やはりそこは食べ盛育ち盛りの年齢の集まりであるから、食事は何よりの楽しみだ。水の精霊ウンディーネを仲間にする道中に立ち寄った雪の都ことエルランドは、ここ最近でひどくなった寒さをどうにか乗り切ろうと、住民達が以前にも増して煮込み料理を作る様になったらしい。宿屋でそんな事を言いながら女将が振る舞ってくれたのは、久しぶりに旅人が来たと喜んで作ってくれたビーフシチューだった。
「良いのか? ここだと牛肉って結構貴重なんじゃないか?」
「寒さが厳しくなったお陰で肉の保存がしやすくなったって言っても、そんなに長くは保たないからね。定期船も中々港に入って来れなくなったし、食べる人が居ないなら折角のデミグラスソースが駄目になっちゃうから」
 薪ストーブの近くに設えられたテーブルの上に置かれた、大ぶりに切られた人参やじゃがいも、牛肉がごろごろと入っているビーフシチューは、初めての寒さにかじかむ手をすり合わせたデュランの目には随分なごちそうに映る。勿論それは同席しているシャルロットや、皿の中のシチューをまじまじと見ているケヴィンにも同様であった。
 月夜の森で育ったケヴィンは行く先々の街や村で出会う料理に興味津々で、それはもう食いっぷりが良い。モンスターを倒す度にこれは食える、これは食えそうにない、などと選別するのが得意で、野宿の際の食料にはあまり困らないが、調理するのはデュランであるのでメニューは困る。街に辿り着く度に手に入れたモンスターの肉や食用に出来る野草などを売ればそこそこ金にもなるし、宿屋や食堂に持ち込めば調理してもらえるので胃袋は満たされるけれども、それでも時折追いつかない程ケヴィンはとにかくよく食べた。デュランも育ての親であるステラからよく食べると言われたものだが、そのデュランより食べる量が多い。
「なあデュラン、これも「しちゅー」なのか?」
「ん? ああ、煮込みだからな。パロで食ったチョッピーノもシチューの仲間だ」
「うー……難しい……」
 そんなケヴィンが料理名を聞き、以前ローラントの奪還の手助けをしたリースがパロで別れる際に振る舞ってくれた料理とは違う事に首を傾げたので、デュランはどう説明したものか悩む。どうも何も、チョッピーノも煮込みなので同じと言えば良いのだが、それで納得してくれるかどうかは分からない。あの時はカニやエビの殻までその鋭い歯と頑強な顎で噛み砕いて食べていたので、リースも驚いていたし流石にデュランも慌てて止めた。口の中を怪我されてしまっては堪ったものではない。
「むずかしいことはかんがえなくてもいーでち! はやくたべまちょ」
「そうだな、じゃ、遠慮なく」
 立ち上る湯気をすんすんと嗅ぐケヴィンを尻目に、シャルロットが空腹の限界と言わんばかりにスプーンを持った手を掲げたので、デュランもスプーンを持って有り難く戴く事にした。そんな彼らを見てケヴィンも掬った一匙を息を吹きかけ冷ましてから口に運ぶと、その瞬間表情がぱあっと明るいものになった。
 シャルロットもそうだがケヴィンは実に分かりやすくて、美味いと感じるものを口にした瞬間、こんな風にキラキラと輝かせた目を見開く。その反応が面白くてデュランもシャルロットもケヴィンの一口目の反応を見ている傾向があり、今日もそうだった。シャロットが食事を急かしたのは自分の空腹もあっただろうが、これが見たかったのもあるに違いない。
「すごい! これもうまいな!」
「あら、そうかい? おかわりもあるからね」
「いっぱい、ある?」
「おやおや、そんなに気に入ったかい? 嬉しいね、いっぱいあるよ」
「やった!」
 濃厚なデミグラスソースが効いたスープが、長時間煮込まれてとろける様な柔らかさになった脛肉に染みて口の中に広がる。肉の臭みを消す為の香味野菜の風味は主張しすぎておらず、雑味が殆ど無かった。随分丁寧にフォンドヴォーを作ってあるんだなと感心しながらローズマリーを散らしたフォカッチャをちぎったデュランは、嬉しそうに次々とシチューを口に運ぶケヴィンをにこにこ笑って見ながら食べているシャルロットに思わず喉の奥で笑ってしまう。
 先述したが、ケヴィンは食べる量が多い。そして、食べている時は実に美味そうに食べる。例えば今デュランがサーモンのマリネと共に口に放ったフォカッチャも、初めて食べたらしい時は満面の笑みで頬張っていた。あれはジャドであったと思うが、程よいしょっぱさと、その時食べたフォカッチャはライ麦が混ざったものであったから適度な酸味があり、移動や戦闘で疲れていたケヴィンの口に大層合ったらしい。単なるフォカッチャでそんなに喜ぶかねえ、と呆れつつも嬉しそうにした食堂の女性がサービスでレバーペーストをココット皿に入れて持ってきてくれて、それも喜んでたっぷり塗って食べていた。
「エルランド、寒いけど、あったかくてうまいものある。オイラ、気に入った!」
「おやまあ、有難うねえ。同じ味だと飽きるでしょ、サワークリームも出してあげようね」
「あーっ、シャルロットもさわーくりーむほしいでち!」
「お前らちょっとは遠慮しろよ……すんません」
「ふふふ、お兄さんもたんとお食べな」
 既に二杯食べたケヴィンが元気よく空の皿を女将に出すと、その一言が嬉しかったのか、女将はストーブの隅で保温されている鍋からシチューを盛ってケヴィンの前に置いてからキッチンの方へと足を向けた。確かにこの濃さのビーフシチューならばサワークリームと相性抜群であろうし、デュランもスープが染みたじゃがいもに乗せて食べたいとは思ったが言えずにいたというのに、美味そうに食べただけでそれが出てくるケヴィンが何だか羨ましい。
「シャルロットもシチューおかわりしたいから、ケヴィンしゃんにパンあげまち」
「良いのか? ありがとう、シャルロット」
「ふふん、シャルロットはおねーしゃんでちからね! どーいたちまちて!」
 胃袋はそこまで大きくないシャルロットは、サワークリームを乗せたシチューを食べたいのか、自分の取皿に乗せられたパンをケヴィンに寄越して得意げに胸を張った。サーモンはウォトカと黒胡椒―これもこの地では随分と高級なものであろう―でマリネされていたのでデュランしか食べる事が出来ず、二人の食の興味はもっぱらビーフシチューだ。優しい宿屋の主で良かった、と安堵しつつも、デュランはウンディーネを仲間にしたらエルランドへの帰路で仕留めたモンスターが食べられそうなら女将に土産で持ってこようとサーモンをクヴァスで飲み下すのだった。