猛獣の飼い方10の基本・その6:むりにいうことをきかせようとしてはいけません

 ナイトソウルズの外が随分と騒がしい中、ベルガーはその喧騒も耳に入らぬかの様にヒーリングホームの前でじっと祈りを捧げていた。艇内も外と変わらず騒がしいのだが、ベルガーにとってみれば大した事ではないらしい。
 ベルガーは戦闘に出るよりナイトソウルズに残り、こうやって祈っている事の方が多い。そうしていればナイトソウルズに構築されたヒーリングホームの治癒能力が高まるからである。戦況が段々と厳しくなっていく中、軽くはない傷を負う仲間が増えてきたので治癒能力を引き上げる力のあるベルガーが居残るのは自然な流れだった。それについてはベルガーも何の不満も持っていない。元より体力がある訳ではないのでどちらかと言えばこの役回りの方が性に合っているのだ。
 そうして外の喧騒が随分と収まり、艇内も静けさを取り戻したのを感じて、ベルガーはゆっくりと目を開き、組んでいた指を一本ずつ解いて細く長い吐息を吐くと胸の前で聖印を切った。戦闘が終わった事を、女神に感謝したのである。
 同じ姿勢のまま長時間祈っていた為に身体中の痛みを感じたので立ち上がって伸びをしていたら、ばたばたと慌ただしい足音が近付いているのが聞こえてきたので何事かと振り返ると、黄金色の鎧を身に付けた騎士が息を切らして駆けてくるのが見えた。
「どうしたのかねロキ殿、血相変えて」
「も、申し訳ないがヒーリングホームの取り崩しは少し待って貰えないだろうか。まだ怪我人が居るのだ」
 戦闘が終わればナイトソウルズ内に構築した施設は燃料削減や飛行速度を考慮して取り崩すのだが、怪我人が居る場合は暫くの間取り崩しを延長する。ロキはそれを伝えに来たのだろうが、それにしても慌てぶりが尋常ではないのでベルガーは思わず顔を顰めてしまった。
「今回は怪我の程度がそんなに酷いのかね」
「傷自体はそう無いのだが、あちこち負傷していて出血が酷い。早めに塞ぐに越した事はなかろうから」
「そうか、ではこちらまで連れて来て貰えるか。気持ち程度だが塞がるのも早まるからな」
「ああ、分かった」
 ロキはベルガーの言葉を受けてまた元来た通路を駆けて行き、ベルガーはその後ろ姿を見ながら溜め息を吐いた。連れてこられる人物の想像がついている為である。
「余計なお世話だ、別に手当てなんぞ要らん!」
「馬鹿を言え、放っておいたら化膿して腐るだろうが!」
「俺の体はそんなやわじゃねぇんだよ!」
 そして暫くもしない内に向こうの方から何やら言い争う声が聞こえてきて、ベルガーはもう一度沈痛な面持ちで溜め息を吐いた。



「……よくまあ毎回毎回……学習しないか」
「うるせぇよ」
 彼をここまで送り届けたロキはまだ外の後始末が残っているのか、足早にその場を去ってしまった。残された彼とベルガーは暫く沈黙したままだったのだが、ヒーリングホームの恩恵を受けて少しずつ傷が塞がってきた彼を見てベルガーは呆れた様に彼に言ったのだが、彼は機嫌の悪そうな顔でベルガーに反論した。こういう時の彼は普通の人間であれば心底怯えきってしまわれるのだが、生憎とベルガーは大して怖いとは思わない。そういう部分が少し鈍い為である。なので彼の不機嫌さ全開のオーラなど全く気にせず言葉を続けた。
「そう見た事がある訳ではないが、君は召喚したMOBより先に突っ込んでいくからな。
 あれでは怪我が増えるのも当たり前だ」
「後ろであれこれ指揮するより自分で動いた方が早い。細かい事は好かん」
 彼が大雑把なのは知っているが、ここまで大雑把な性格でよく王になれたものだとベルガーは思う。神経質過ぎるのも良くないが、それにしても自分の身くらいはもう少し大事にした方が良いと思っているのは何もベルガーだけではあるまい。彼は獣人の王なのだ、その存在を失えばビーストキングダムの民がどれ程動揺すると思っているのか、彼は考えているのだろうか。
「細かくならずとも結構だが、自分の立場を頭に置きたまえ。君が死ねば君の国はどうなる」
「……うるせぇよ」
 ベルガーのその言にそれ以上の口答えをしなかった所を見ると、どうも少しは自分が重要な立場に居る事を自覚しているらしい。自覚の無い王というのは厄介なのだ。そういう所はフォルセナの王子と似ているかも知れない。あの王子も無鉄砲に敵陣に突っ込んでいくとロキがぼやいていた。彼の負傷を一番気に掛けているのはロキなのだが、恐らく仕えている主と似ていて放っておけないのだろうとベルガーは思う。何だか少しロキに同情してしまった。
「大体、好きで国建てた訳でも好きで王になった訳でもない」
「ほう? それは初耳だな」
 徐々に塞がっていく傷の経過を見ながら彼がぽつりと呟いたその言葉に、ベルガーは顔には出さなかったが少し驚いた。彼の発言内容にも驚きなのだが、まさか彼が自分から身の上話をするとは思わなかったからだ。
 普段の彼は寡黙で、他人とあまり言葉を交わさない。それは彼が一線を引いている訳ではなく、単に何を話して良いか分からないからであろう。行動を共にしている仲間は国こそ違えど人間であって、然程の隔たりは見受けられない。だが彼は獣人だ。過去人間に迫害を受け夜の森へと追い遣られた種族の、王である。皆表面上には出さないが、彼と接する時は少なからず気を遣う様だった。その気遣いを不快と思ったのか気の毒だと思ったのか、それは分からないが、彼も自然と他の者と会話する事を控えた様だった。だから普段滅多に話さない彼が突然自分にそういう話をした事がベルガーにとって驚きだったのだ。
「だが、無理矢理王に祀り上げられた訳ではなかろう? 君の性格を鑑みるに、本気で嫌なら拒否した筈だ」
「……成り行きだ」
 腕に受けていた切り傷が塞がったのを確認してから掌を閉じたり開いたりしながら彼は言葉少なに返事を返す。彼の武器はその拳だ、腕が完全に治らねば彼にとっても仲間にとっても痛手となる。何を以てして獣人王となるのかはベルガーには分からないが、少なくとも彼の持つ強さも一因となっているのだろう。
「国なんて建てなくても獣人は今まで営みを続けてきた、だから俺もそれで良いと思ってた。
 だが、人間に虐げられた事を根に持ってウジウジしてる奴らが少なからず居るのは事実だ。
 もう誰もその事を覚えている奴なんて居ないにも関わらず、な」
「………」
「いつまでも過去の事に縛られて陰湿にしてても仕方ないだろう。
 そんなに人間を見返してやりたいなら行動を起こして証明してやれば良いんだ、そうすりゃ自信にもなる。
 誰もそうしないから俺がやった、それだけだ」
 彼は面倒な事は嫌っているらしいのだが、それでも生まれ育った森や周りを取り巻く者達を想う心は誰にも負けない程強かったのだろう。だから誰もやらなかった事を敢えてやったのだ。自分がやらなければ誰もやらないと思ったのではないだろうか。本当は彼だって表立った事はなるべくしたくない筈だ。
 そこまで言うと、言いたかった事は全部言ってしまったのか彼はまた黙った。黙って一応は全部塞がった傷を見て体を捻ってみたり腕や足を曲げてみたりして異常が無いか確認している。
 興味は無いかもしれないが、それでもやはりベルガーは思う。好きで王になった訳でも、好きで国を建てた訳でもなくても、たとえ成り行きであったとしても、それでも彼は彼の国の民に慕われている。先にウェンデルへ避難してきた獣人達は、事の次第を伝えた後に真っ先に彼の弁明をしたのだ。王は決して人間相手に戦をしようとした訳ではない、先に攻めてきたのはペダンの方だ、と。そして、自分達兵士はどうなっても良い、だが王と村人だけは死なせてはならない、王は我ら獣人を導く者だときっぱりと言ったのだ。それだけ心酔している者が居るという事を、彼は自覚しているのだろうか。
「護れなかった事を思い出して繰り返さぬ為に先陣切るのは全く以て結構だ、だが君の命は君だけのものではない。
 君は他の獣人の想いを汲み取って国を建てたのだろう。その事についての責任は全て君にある。
 民を悲しませるな。民を嘆かせるな。君にはその義務だってある」
「………」
 ベルガーは聖職者ではあるが、説教を喰らわせるのは好きではない。そういう事は自分で気付いて貰わねば成長に繋がらないと思っているからである。彼に敢えて懇々と諭したのは、彼が何度も今回の様に浅からぬ怪我をしてくるからだ。まだ程度が軽い内にナイトソウルズ付近に引き返してくればそう回復に手間取らないのに、彼は余程の事が無い限り戻ってこない。他の仲間には自分が壁となってでも敵を食い止めて引き返す事を指示するにも関わらずだ。
「君はどうも君自身の命を軽んじる傾向があるが、マナの女神の前ではどんな生き物の命も平等だ。
 分かっているだろうが退く時は退きたまえ」
「……説教臭ぇ神官だな」
「それだけ君が危なっかしいという事だ」
 彼の嫌味をさらりと流したベルガーは、彼の怪我が漸く完全に治った事を確認してから彼に見える様にもう一度胸の前で聖印を切ってみせた。彼もそれ以上何か言うのが面倒だったのか、何も言わずにむっつりとした表情のままそれを見ていた。



 後日。
 ナイトソウルズの外はまた慌しい空気に包まれ、ベルガーは今もまたヒーリングホームの前で祈りを捧げている。相変わらずペダンは戦争を止めようとしないし、それどころか戦局は激しくなる一方だ。マナの女神の力を以てしても、人間の愚かしい部分は消し去る事は出来ない。その事をまざまざと見せ付けられベルガーは暗い気持ちになる。だがこうして祈りを捧げている時だけは、そういう事を考えずにいられるから余程心が楽だった。
そうして外の喧騒が徐々に静まってきた頃、ゆっくりと顔を上げたベルガーの耳に入ってきたのは、慌しい足音だった。その音に、ベルガーは苦虫を噛み潰した様な顔をして目を伏せる。
「し、神官殿、済まないがヒーリングホームの取り崩しはもう少し待って頂けないか……!」
「……連れてきたまえ」
 今回はナイトソウルズに待機していたロキがまた慌てて告げに来た言葉に、ベルガーは怒りも呆れも通り越してそう言うしか無く、ロキも頭が痛いやら気の毒やらで一度溜息を吐いてからまた直ぐに踵を返した。その後ろ姿を見届けながらベルガーは何だか遠い目をしてしまう。
「だから別に手当ては要らねえって言ってるだろうが!」
「どうして毎回そうなる! 神官殿も退く時は退けと仰っただろう!」
「俺の退き際はお前らの退き際とは違うんだよ!」
……そうして聞こえてきた言い争う声に、ベルガーは重い重い溜息を吐いて項垂れ、少しだけ胃が痛くなったのを感じた。

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無理に言う事を聞かせようとしてはいけません。
その猛獣は天邪鬼ですので、言う事を聞かないどころか嫌がらせの様に反発してきてしまいます。
どうしても言う事を聞かせようと思うなら、胃に穴が開いても構わないという覚悟をしましょう。