ヴルスト

 じゅう、と肉が焼ける音と匂いが辺りに広がり、こんな開けた屋外で焼いて果たして大丈夫なのかと心配するデュランをよそに、黙々と棒状の肉を焼く大男と、少し離れて小麦粉を捏ねた生地を小さく千切り、綿棒で平たく伸ばしているケヴィンが居る。そのケヴィンの肩には赤子がしがみついて、円状に広がる生地を興味深そうに覗き込んでいた。
「ケヴィンしゃん、てぎわがいいでちね。まんまるでち」
「ほんとだな、お前、何で旅の時にそれ作らなかったんだよ」
「だってデュランが全部作ってくれたから……」
 生地を綺麗な円状に伸ばすのは難しいのだが、ケヴィンは慣れているのかあっという間に一枚完成させ、肉を――ヴルストを焼いている鉄板の、空いたスペースに置いた。これだけ薄い生地であればすぐに焼けるので、先程鉄板に乗せた生地は既に焼き上がっている。
 聖剣を巡る旅の中では野宿や素泊まりの時の食事は専らデュランが用意しており、ケヴィンは基本的に指示通りの手伝いだけしていた。主食のパンやポレンタなどの粥もデュランが作っており、例えば煮たり焼いたりなどの単純な作業はケヴィンやシャルロットに任せていたけれども、ステラの手伝いや野戦訓練の経験もあってか、食事の支度はいつもデュラン主体となっていた。その中でも手伝わせはしたので、ケヴィンもシャルロットもペティナイフの使い方はマスターしてくれてはいる。
「他人が作ったものの方が美味く感じるのは否定せんが、手が空いた者がやれる事をやれ。焼けたぞ」
「えっ、あっ、デュラン、あの」
「ああ、はい、いただきます」
 それまで黙々とヴルストを焼いていた男がケヴィンを諫めたかと思うと、焼き上がったヴルストを同じく焼き上がった薄パンに手に持ったトングで乗せてそう言ったので、生地を伸ばしているケヴィンに促されて皿を持ったデュランが慌てて駆け寄る。乗せてもらった薄パンとヴルストからは香ばしい香りが漂い、デュランの鼻腔を一層刺激した。自分の背丈に合わせて組まれた火元に近付くと危険だと言われたシャルロットは、素直にデュランに取り分けてもらう事にしているので、デュランは彼女の分ももう一枚の皿に乗せてもらった。
「……ええと……」
「先に食って構わんぞ」
「うん、デュランもシャルロットも、先に食って」
 来客の身であるとは言え先に食べても良いものかどうかデュランが迷っていると、男がヴルストを摘み上げて焼き加減を確かめながら先に食べる事を勧めた。簡易のコンロではあるがずっと火の側で焼いているので熱いだろうし、少し離れた所には薄切りにした肉を燻製している木箱もあって、放っておいても良いとは言え気を配っておかなければならない。そんな忙しない事をさせたまま、自分が呑気に食べても良いのかとデュランが躊躇っていると、ケヴィンの肩にしがみついている赤子がデュランとシャルロットを見上げて指差した。
「まんまー」
「ルガーは後で。あついあついだから、な?」
「ととも、あと?」
「うん、オイラも後で」
「じいじも、あと?」
「じいじ、食うか?」
「いらん、お前らで食え」
 そこまで腹は空いていないのか、泣き出したりぐずったりはしていないルガーと呼ばれた赤子はデュラン達同様、男も指差した。尋ねられた男は短く不要の旨を伝えたものだから、尚の事デュランは食べにくい。ルガーがケヴィンを「とと」、つまり父と呼んだ――勿論本当の父親ではないが――からには「じいじ」と呼ばれた男はケヴィンの父親な訳で、獣人を統べる王という事になる。そう、ここはケヴィンの故郷であるビーストキングダムであり、デュランとシャルロットは何故か獣人王その人にヴルストを焼いてもらっていた。
「いえ、あの、流石に俺も国王を差し置いて先に食べるのは」
「おいしーい! すごい! このヴルスト、パリッパリでち!! デュランしゃん、あつあつのうちにたべてみるでち!!」
「お前さあ……」
 ただでさえ人間より背丈も体格も大きな獣人であるが、その獣人の中でも王は突出してでかい。そんな王が黙々とヴルストを焼いてくれている光景もシュールだし、よその国の王に手ずから調理してもらっているのも気が引けるというのに、そんな事など全くお構いなしにシャルロットが薄パンに巻いたヴルストにかぶりついたので、デュランは呆れを通り越して脱力してしまった。だが彼女が言う様に、熱い内に食べる方が礼を失さないだろう。そう判断したデュランは、恐恐ながら王に会釈して薄パンからはみ出たヴルストにかぶりついた。
 歯を立てると少し焦げ目がついた皮が小気味良い音を立てて弾け、口の中に肉汁の味が広がり、塩と香草が利いた肉は野生動物の肉の臭みが少ない。デュランは香辛料や香草を塩と混ぜるのが上手いというケヴィンの言葉を受け、王から肉の味付けを頼まれたデュランは心底ほっとしていた。ただ、味付けも良かったのだろうが、肉の選別も良かったのだろうという事は想像に難くない。噛めば噛むほど獣肉臭さが染み出してくるのは仕方ないにしても不快を感じるものではなく、シンプルな言葉で言えば美味かった。
「めっ……ちゃくちゃ美味いです」
「それは重畳」
「シャルロット、シカのヴルストたべるのはじめてでち! ブタならありまちけど」
「豚はミントスにしか居らんな、森は大体猪と鹿だ。坊、熱いから待て」
「あーい」
 焼き上がったヴルストを皿に乗せ、ケヴィンが生地を伸ばしているカンバス地を敷いた丸太の切り株の上に置いた王は、それに手を伸ばそうとしたルガーをケヴィンより先に止めた。肉汁が染み込んだ薄パンをヴルストと一緒に口に入れたデュランの横で、シャルロットが自分のヴルストのまだ口をつけていない方を熱さを我慢しながら指で一口大に折り、一頻り息を吹きかけ冷ますと、ケヴィンの肩で丸い目をしているルガーの口元に寄せた。
「まんま!」
「そう、まんまでち。おちこーさんでちね!」
 食べるスピードがデュランに比べて遅いシャルロットは、くりくりとした瞳でヴルストを見ているルガーに先に食べさせてやろうと思ったらしく、嬉しそうに口に入れたルガーをにこにこしながら見ている。月読みの塔の麓で戦った相手であるとは言え、そんな因縁もこの赤子には関係無い。そんなシャルロットに、ケヴィンは礼代わりに笑った。
「はい、これで最後」
「ん……、お前ももう食え」
「うん」
 生地を全て伸ばし終わり、鉄板に乗せたケヴィンは、自分の皿に盛られたヴルストを薄パンで巻いて大きな口でかぶり付いた。ケヴィンの一口目を見る事が好きなデュランとシャルロットは、それが彼の父親が作ったものであるので今回ばかりは満面の笑みも大きな賛辞も聞けないのではないかと思いながら見ていたが、ケヴィンはいつもよりは控え目ではあったが若干表情を明るくした。
「デュラン、やっぱり肉の味付け、上手だな! うまい!」
「肉が良かったんだよ」
「うん、肉の選び方、オイラまだ獣人王より上手くない」
「経験だ、こんなのは」
 ケヴィンの言う「肉の選び方」は「仕留める獣の選別」なのであるが、どんな生活をしていたらそんな経験が身につくのかはデュランには分からなかった。それはシャルロットも同じである筈だが、そんなもんでちか、などと適当な事を言いながら肉汁で柔らかくなった薄パンを食べている。全粒粉を使った素朴な薄パンは、こちらも噛めば噛む程に味が増した。
「じいじ、あれ、まんま?」
「あれは違う」
「え、あれ、どうするの?」
「ローラントとアルテナに持って行ってくれ。洒落たものの返礼があれなのもどうかと思うが、他に思い付かん」
 そして僅かに煙が漏れている、燻製用の木箱を指したルガーに王が首を横に振り、その燻製肉の行き先をケヴィンに告げた。ローラントのアルマからは星型糖を、アルテナのヴァルダからは薔薇のヴァレニエを贈られてしまった王は珍しく困った様に眉根を寄せて木箱を見遣っていて、どこか途方に暮れている様にも見える。そんな王の心情を知ってから知らずか、既に二つ目を半分食べているデュランとは対象的にやっと一つ食べ終わったシャルロットがえへんと胸を張った。
「じゃあ、ラッピングはシャルロットがやってあげまち! あぶらがみとほうそうしと、かわいいリボンでラッピングすればいいんでち」
「中身は燻製肉だぞ?」
「おにくにかわいいラッピングしちゃいけないきまりなんてないでち」
「……まあ、良い。任せる」
 正論と言えば正論なのだが、それを正面切ってこの王に言えるシャルロットがすごい。どこにそんな度胸があるのかとデュランは勿論、ケヴィンも思ったが、次の一口を所望するルガーに気を取られてそれどころではなかった。
「んま!」
「うん、うまいな」
「ハーブ、大丈夫かと思ったけど平気っぽいな。良かった」
「獣人は虫下しなのか何なのか知らんが、赤子の頃が一番香草を食う」
「そうなんですか?!」
「城や村に戻ってくるとそんなに食わなくなるんだがな。加熱したものを食う様になるからだと思うが」
「あ、そっか、赤ん坊の頃は森で動物に育てられるんでしたね……」
「ぜんぶナマでたべてたら、たしかにハーブはひつようなきがしまち……」
 ヴルストも全て焼き終わり、木箱の蓋をスライドして開けて燻製の状態を見た王が自分の言葉に言及したので、デュランはまた獣人の生態に少しだけ詳しくなってしまった。月読みの塔で赤子のルガーが森の中に入っていくのを見て、どうやって食っていくのだろうという疑問はデュランだけではなくシャルロットも抱いたのだが、こんなところで解明されるとは思ってなかったので珍妙な表情になる。ただそれが常識であるケヴィンは二人が感じた奇っ怪さは分からなかった様で、首を傾げながら薄パンには巻かず三本目のヴルストを齧った。
「あ、そうだ。デュランにシャルロット、獣人王が土産に塩持って帰れって」
「塩?」
「フォルセナは海が遠くて塩が貴重だと黄金の騎士に昔聞いた事がある。岩塩もあるがそれも多くはないとか何とか……ウェンデルもジャドから運んでくるからフォルセナ同様だと闇の神官が言っていた気がする」
 ヴルストを齧りつつ、ルガーに薄パンを食べさせていたケヴィンは、城から持ってきた荷物の一つである麻袋を両手が塞がっている為に顎でしゃくった。中にはそれなりの重さの小さな麻袋が入っており、中身は塩だ。それを王は土産として用意してくれたらしい。
 王が言った様に、フォルセナは海が遠いという事と、近くに岩塩が採れる場も少ない為、塩が貴重品だ。フェンネルやコリアンダー、セージなどの香辛料や香草を上手く使って塩の使用を抑えるという工夫が昔からされてきたし、ウェンデルも似た様なものだった。だから塩釜焼きなどは贅沢の極みとも言えて、パロやバイゼルで見かけた魚の塩釜焼きには二人共驚愕の眼差しを向けたものだ。ビーストキングダムやミントスは海と隣接しているので、製塩も盛んなのだろう。
「そうか、そう言えば父さんとは……」
「随分世話になった。あの神官は……世話になったとは言いたくないが」
「おくちヤケドさせられたんでちたっけ?」
「よせ、思い出したくない」
 ローラントのアルマやアルテナのヴァルダから聞かせてもらった二十年近く前のペダンとの戦争の話は、デュランの父であったロキとかつての闇の司祭――例の戦争の後に司祭位に叙階したのだろう――であったベルガーがこの王と戦友であった事を三人に教えてくれた。その中で聞いた、若かりし頃の王がベルガーに薬湯を無理矢理飲まされて口を火傷させられたという逸話はシャルロットにはインパクトが強く、つい聞いてしまったのだが、良い思い出ではなかったらしい王は初めて顰め面を見せた。あまり馬が合わなかった相手なのかもしれない、とデュランは思った。
「……まあ、昔ワシが縁を得た者の縁者と息子が、同じ様に縁を得た事は僥倖と思っとる。今後もこれと仲良くしてやってくれ」
 木箱で燻していた肉を真新しい麻袋に全て詰め終わった王が、ヴルストも薄パンも全て平らげたデュラン達にそんな事を言ったので、三人は目を丸くした。特にケヴィンは父がそんな事を言うとは思いもしなかったので、ぽかんとしたまま何度か瞬きをした。だがいち早くその言葉を飲み込めたデュランは、今日一番の笑みで答えた。
「俺もシャルロットも、ケヴィンが何か食ってるの見るの好きなんです。だからまた来ますし、訪ねてきてほしいと思ってますよ」
「そのときは、ルガーぼうやもいっしょにきてほしいでち! ねっ!」
「あーい!」
 デュランの言を受けてシャルロットが暗に気兼ねなくウェンデルを訪ねてほしいと言い、ケヴィンの腕の中に居るルガーにも同意を求める。意味が分かっているのかどうか、それは判断しかねるが、ルガーは元気よく両手を挙げて返事をした。
「良い仲間……いや、友人を持ったな、ケヴィン」
「うん。トモダチだけは、あんたに負けてない、と思う」
「それは否定出来んな」
 そんなデュランとシャルロットに感嘆にも似た呟きを漏らした王に、ケヴィンは心の底から思った事を素直に口にした。王はそれを否定する事無く、しみじみと頷いたのだった。