アルバイト

「アルバイト?」
 明日から二日間休みにして体を休めようという運びになり、久々に踊る孔雀亭に飲みに来ていたギベオンは、オーダーしたジン・バックをカウンターに出してくれた女主人のガーネットから言われたその単語をオウム返しに聞いた。
「交易場の配達員さんの中で風邪が流行ってるらしくて、寝込んじゃってる人も多くて人手が足らずに困ってるそうなの。
 もし良かったら頼まれてくれないかしら」
 冒険者が多く滞在するタルシスでは、彼らに届く荷物の他にも住民に届いたり発送したりする荷物も多い。それを運ぶ者が少ないとなると、確かに困るだろう。ギベオンは故郷から届くものなど先輩のジャスパーからの手紙くらいしか無いが、例えばクロサイトの元に届くかつての卒業生からの異国の品や、セラフィが時折買っている珍しい香などは商店が個人で取り寄せたりするものもある。ギベオンが買う茶も、交易場から配達する者が居るから商店に届けられるので、他人事ではないと言えた。
「僕で良ければ、お手伝いしますよ。何時にどこに行けば良いですか?」
「本当? 助かるわ。じゃあ、朝九時にカーゴ交易場に行ってちょうだい。港長が説明してくれると思うわ。報酬とかの詳細もね」
「はい、分かりました」
「よろしくね」
 何か用事があった訳でも無し、一日寝ても良かったが、どうせなら体を動かしていた方が良いと思ったので引き受けたギベオンに、ガーネットはいつも通りの微笑みを見せた。口を付けたジン・バックは、相変わらずレモンジュースの酸味とジンジャーエールの辛味が絶妙で、探索で疲れていたギベオンの体に染み入っていった。



 翌朝、言われた通りカーゴ交易場に行ったギベオンは、こいつを頼むと肩から下げる鞄と小包がいくつか入った荷車を指さされた。鞄の中には手紙が数十通入っており、手渡された紙には地図が記されている。
「いや、助かったぜほんと。壊れやすいもんは入れてないが、小包の取り扱いには気を付けてくれな」
「はい」
「あとバイト代の件だけど、今日の仕事終わったら現金で払うから。
 それと、こないだ来た商団の奴から貰ったんだが、蛍石な。お前、石好きだったろ」
「蛍石っ?! ほんとですか?!」
「あ、ああ」
 ギベオンはあまり金について執着心というものが無いので報酬の金額が提示されなかった事にも反応は無かったのだが、蛍石と聞いた途端に顔をぱっと明るくして目を輝かせたので、港長が驚いてちょっとだけたじろいだ。ギベオンは鉱石が好きで造詣も深いとクロサイトから聞いていたが、こんなにも喜ぶとは思っていなかった港長は珍しい石が手に入ったらそれと引き換えに配達を頼んでも良いかな、などと思ったのだった。



 渡された地図と、郵便物に書かれている住所を照らし合わせながら、一軒一軒に配達していく。銀嵐ノ霊峰を探索する日々が続いているので、長時間暖かな陽に当たるのは久しぶりだ。特に今日はかなりの陽気で、それ故に黒のタートルネックのインナー姿のギベオンには暖かすぎてまだ一時間も経っていないというのに汗をかいてしまい、彼は袖でぐいと額を拭った。
「こんにちはー。お手紙届いてますよ」
「おや、今日は珍しい子が配達してるね」
「配達員さん達が風邪ひいちゃったらしくて。僕は今日探索お休みだから、アルバイトです」
「そうかい、ご苦労様」
 ギベオンは冒険者ギルドに登録し、ギルドを結成している冒険者だが、タルシスに滞在する冒険者達とは違って元々クロサイトの診療所の患者として滞在していた事も手伝って、今でも診療所に居る。だからクロサイトをかかりつけ医としている近隣住民達にとって、ギベオンは冒険者というよりも「クロサイト先生の所の居候君」なので、親しげに話し掛けてくれていた。
「ああ、ちょっとお待ち、この間娘が寝込んだ時にクロサイト先生から戴いた白姫リンゴでジャムを作ったんだよ。持ってお帰り」
「良いんですかっ? 有難うございます!」
 遠くの街で働いているらしい息子からの手紙を受け取ったその女性は、次の配達先へ行こうとしたギベオンを呼び止めて台所へ引っ込み、彼の大きな手のひらに収まるものの中身が詰まってずっしりと重たい瓶を持たせてくれた。クロサイトは探索が早めに終わって日暮れまでに時間がある時は必ず近所の回診に出掛けており、持ち帰った果物や野菜を体調を崩している住民にお裾分けする事がある。そうすると、住民達は作ったものを差し入れたりしてくれる。
 腰巻きのポーチ部分にジャムの瓶を入れ、何軒かの民家を配達して回っている内に、住民達から「診療所の居候君」として顔を知られているギベオンは人懐こい事に加え年齢より幼く見える事も手伝って、行く先々で食べ物を貰った。飴であったり、クッキーであったり、染料が入っているらしい小包を届けた家の住民に至ってはさっき焼いたのよ、皆でお食べ、などと言いながらシルク白豚の一口ミートパイを紙袋に入れて持たせてくれた。世の中にはやたらと食べ物を貰う人種という者が存在するが、ギベオンもその内の一人だ。何せ彼は、金剛獣ノ岩窟で皆とはぐれて迷子になった際、たまたま通り掛かった別のギルドの者からパンを貰ったという逸話を持っている。心細い表情をしているギベオンを見た者は、何か食べさせないといけない気分になるらしい。
 貰ったものが腰巻きのポーチに入らないので荷車に入れていると、配達して荷物は減っている筈なのに荷車の重さはそこまで軽くなってくれず、ギベオンの額から流れる汗は更に量を増していった。極寒の地と言っても過言ではない土地の出身である彼には今日の様な陽気は暖かいというより暑く感じてしまい、見晴らしの良い坂道を上った所で汗を拭いながら持って来ていたスキットルの水を飲むと、体が火照っているせいなのか胃に落ちていく水が常温である筈なのに随分と冷たく感じられた。ギベオンの故郷では足を踏み入れない場所の綺麗な雪をとかして飲み水にする事も多いのに対し、タルシスでは豊かな水がある土地なので風呂も湯槽に湯を張るし、街のあちこちには汲み上げ式のポンプがあって驚いた。ペリドットも水が貴重な土地出身であるから、二人で風呂には感動したものだ。交易場の荷台を傍らに置き、配達中に水が飲めるなんて良いところだなあ、などと呑気に考えている彼は、その大きな図体故に擦れ違った者達が「クマが郵便配達してる……」などと思われていると知る由も無かった。



「いらっしゃらない?」
「ええ、この間深霧ノ幽谷でお亡くなりになって……」
「あ……」
 手紙や小包を配達した先々の家で食べ物を貰ったり頼まれものを別の家まで届けていたらすっかりと時間が過ぎてしまい、残すところはセフリムの宿への配達と相成ったのだが、宿に届いた荷物も管理している女将がいつも浮かべている笑顔を曇らせて伝えたその事実に、ギベオンも言葉を失った。自分達も明日を約束されている身ではないし、ひょっとすると次の探索で死ぬかも知れないという危機感は持っているけれども、本人を知らぬとは言え同じ冒険者が命を落としたと聞くのはつらいものがある。
 小包に目を落とすと、男性のものであろう字がタグに踊っている。死んだ者の親なのか、兄弟なのか、それとも友人なのか、ギベオンは知る事が出来ない。中に入っている品が何かも知らないが、ずっしりと重たいそれは遠くから運ばれてきた事を物語る様に、包み紙が所々汚れたり擦れたりしていた。もう少し、あと数日だけでも早く届いていれば、受取人は生きていたかも知れない。そう思うと遣る瀬無く、ギベオンはその小包に対して黙礼した。
 他の荷物や手紙を女将に任せ、受取人が居ない小包を荷車に載せて交易場に戻る途中、水を飲んで休憩していた場所で再び立ち止まる。小高い丘を利用して作られた街であるタルシスでは様々な場所から世界樹を見る事が出来、ギベオンが足を止めたその場所からもよく見えた。初めてこの街に来た時に見たあの巨木は、少しずつ近付けているがまだまだ遠い存在である事には変わりなく、到達を夢見て進もうとするギルドは多い。
 だが所属するギルドの主であるギベオンは最初の到達者になるつもりなど無く、ただ単に「世界樹を間近で見たい」というだけの理由で探索をしている。勿論タルシスに来て冒険をしている者など、様々な理由や事情がある者が大半であろうし、ギベオンだけが特殊なのではない。しかしたったそれだけの理由で、果たしてギルドの全員を危険な目に遭わせてしまっても良いのだろうかという疑問は拭い去れなかった。
 元はギベオンの主治医であったクロサイトは地場の医者で近隣住民やセフリムの宿の冒険者のかかりつけ医であるし、セラフィは樹海で死んだ冒険者達の遺体を埋葬する特殊清掃者として働いていたと言ってもペリドットを妻に迎えた今は紛れもない新婚であるし、ローズに至ってはウロビトの封縛の力を持っているがまだ八歳だ。そんな皆を危険に晒す冒険に、果たして同行させて良いのだろうか。
 あの樹を目指す途中で、何人もの冒険者が命を落としている。今日の小包の受取人になる筈だった者も、その一人だ。これから先、自分や自分のギルドの者達もそうなってしまわないだろうか。自分は果たしてその責任を取れるのだろうか。たった一つだけ届けられなかった小包を見ながら、ギベオンはそんな事をぼんやりと考えたけれども、交易場に戻っても結局答えは出せなかった。



「ただいま帰りましたー」
「ああ、おかえり。ご苦労様……何だねその大荷物は」
「いえあの……近所の皆さんから戴きました……」
 濃い蒼の蛍石が埋まっているごつごつとした岩石と、配達途中で貰ったたくさんの差し入れを収めた麻袋を手に診療所に帰ってきたギベオンを見て、ダイニングでローズと一緒にジェンガに興じていたクロサイトは怪訝な顔をしながら尋ねた。隣のセフリムの宿にも配達をしたのだから、その際にこの荷物を置いて行けば良かったというのに、すっかりその考えが抜けてしまっていたギベオンは交易場からそこそこの荷物を抱えて帰る羽目になってしまい、診療所に続く長い階段を上りきる頃には息も上がってしまっていた。
 ギベオンがその麻袋をジェンガの邪魔にならない様に机の上に置いて袖で額の汗を拭っていると、ローズがコップに水を入れて持ってきてくれた。礼を言いつつ麻袋に菓子やミートパイが入っている事を伝えれば、破顔して嬉しそうな声を上げた。セラフィは裏庭でペリドットにワルツの稽古をつけて貰っているそうで、休憩して遅めのブレイクタイムにでもしようと呼んできておくれ、とローズに頼んだクロサイトは、ジェンガを片付けながらギベオンに尋ねた。
「どうしたね、うかない顔をしているな」
「あ……、……その、実は……」
 この人は本当に人の心を見抜く事が上手いと思ったギベオンは、素直に今日あった事を白状した。配達予定の小包が届けられなかった事、その小包を持ち帰ると事情を聞いた港長も苦い顔をしてタグに「受取人死亡のため返送」と書いた事、果たして自分のギルドの全員を危険な冒険に連れて行って良いのかと悩んでしまった事、全て話した。
「成る程。知らぬ者とは言え、死んだと知るのはつらいな」
「はい……あの小包の差出人の方が送り返されたものを受け取った時にどう思われるのかを考えると……ちょっと遣る瀬無くて……」
「そうだな」
 皿にクッキーを出し、小ぶりのスコーンがあったのでリンゴのジャムの瓶を開けてスプーンを置いたギベオンの表情は暗い。迷いが顔に出やすい彼は本当に分かりやすく、クロサイトはふむ、と顎鬚を軽く撫ぜた。
「私は君の熱意に負けた、だから冒険者に復帰した。それは私の意志だし、私に何かあっても私自身に責任がある。
 フィーもペリ子君も君に賛同すると自分の意志で決めた事だ。ローズに関しては、許可した私に責任がある。
 皆それぞれ、自分の責任を負っている」
「………」
「折角五人居るのだ、五人でその大きな責任を分担して負おうではないかね。君一人が負う事は無い」
「………」
「返事は」
「……はい、有難う御座います!」
 クロサイトの言葉にぽかんとした顔を見せたギベオンは、しかし彼の言葉をゆっくり咀嚼し反芻して漸く飲み込むと、元気よく返事をした。その返事に満足した様にクロサイトは一度だけ頷き、ダイニングに戻ってきたセラフィやペリドット、ローズに座る様に促して、ベオ君のアルバイト代のご相伴に預かろうかと笑った。ギベオンにとって今日一番の報酬は、頂戴した食べ物でも現金でも蛍石でもなく皆で談笑するこの幸せであり、改めてその幸せを噛み締めさせた切っ掛けを与えてくれたあの小包に心の中でもう一度黙礼した。明日にでも受取人は誰であったのかを調べ、亡くなった場所に蛍石を供えようと思っていた。