赤さんたちと僕

 世の中には不思議な現象が起こる事もあるのだと、世界樹への探索の中で僕は学んでいる。でも、いくら何でもこれは不思議と言うより不可解極まりないし、ある意味理不尽だと、僕は腕の中に居る柔らかい生き物に翻弄されて途方に暮れながら思う。
「あーぅ、まー」
「ふぁー、うぁーん」
「うぅ、いくら双子だからって同時に泣き出さないでくださいよぉ……」
「みぇー、まーま」
「まーぁ」
「ママは居ませぇん、僕でごめんなさい〜」
 鈍色の髪の赤ちゃんの泣き声に続いて黒髪の赤ちゃんが、多分母親を探して泣き声を上げる。まるで合唱の様だけど、そこに僕の泣き声も混ぜてしまいたい。と言うか、僕も半べそをかきながら抱っこしているのでもう混ざっている様なものだ。世の中の赤ちゃんを抱えている人達ってこんなに大変なんだ……、と僕は体を揺らしながら何とか双子の赤ちゃんが眠ってくれる様に必死で宥める。不明瞭な泣き声を上げる時は大抵眠たい時なのだと教えてもらったのだけど、何で眠たいなら寝ないんだろう? 泣く必要ってあるんだろうか。
「あー、うぁー、……ふわぁ」
「あくびするなら泣かないで寝ましょうよぉ」
「うぁー、あー、まん……」
「ひえぇ、首に吸い付かないでくださいっ」
 赤ちゃんが一人だけでも大変だと言うのに、二人だと尚更大変で、全く別の動きをする双子に苦戦を強いられている僕は、一刻も早くペリドット達が帰って来てくれる事を願っていた。



 この赤ちゃん達、僕の子供ではない。僕のギルドの人達の赤ちゃんでも、もちろんない。説明すると長くなるんだけど……一言で説明しろ? そんなあ。えっと、僕の主治医でセフリムの宿の隣にある診療所の主のクロサイト先生のお友達のパチカさんが持ってきた、満腹感が得られるらしい試薬をクロサイト先生と双子の弟さんのセラフィさんが試したらこうなった……これで大丈夫? とにかくそういう訳で、昨日の夕食前に飲んだお二人が朝起きたら赤ちゃんになっていた。
 何で食べ過ぎる傾向がある僕が飲まなかったのかと言うと、クロサイト先生が先に自分が飲んでみると言って聞かなかったから。まだどういう副作用が出るのか分からない試薬を僕に飲ませたくなかったらしい。セラフィさんが飲むのも渋ったけど(何せクロサイト先生は自他共に認めるド級のブラコンだから)、彼は幼少の砌は体が弱く、それで薬を服用する事も多くて、薬への耐性が結構強いそうだ。だからお二人で飲んだんだけど、これと言った効果は無くて、そんなものだと言いながらお二人はいつもと同じ様に寝た。そして、セラフィさんと一緒に寝ていたペリドットが赤ちゃんの泣き声がすると思って目を覚ましたら、もうこうなっちゃってたらしい。慌てて見に行ったクロサイト先生も赤ちゃんの姿で自室のベッドの上でほにゃほにゃ泣いていたらしくて、僕はその後叩き起こされた。
 僕達はそれはもう驚いたなんてものじゃなかったので、パチカさんに原因を尋ねてみた。曰く、膨満感を得られる成分が入っている果物を使って試薬を作ってみたけど、宝仙桃から抽出した成分だったから若返りの秘薬になっちゃったかもしれない、らしい。それはそれですごいけど若返りすぎだし、何よりクロサイト先生とセラフィさんがこのままなのはとんでもなく困る。だから何が何でも戻す薬作ってくださいと言うと、パチカさんは一時的なものだと思うけどなー、なんて言いながら鎚を片手に助手のスフールさんを連れて素材を探しに行ってしまった。
 その間にも赤ちゃんになっちゃったお二人は仲良く泣くし、お乳を欲しがるし、その、粗相もする。不幸中の幸いと言っては何だけど、出産を控えているペリドットが生まれてくる赤ちゃん(偶然にもこちらも双子!)の為におむつや御包みを用意していたから慌てずに済んだ。だけど、困った事はたくさんあった。
「おむつ……僕達が替えて大丈夫かな……」
「穿かせちゃったし、もう今更だと思うけど」
「セラフィさんはペリドットに任せるけど、クロサイト先生は……ローズちゃんにはさすがに……だよね……」
「モリオンも片腕なんだから、ギベオンやってね」
「元に戻ったクロサイト先生からの仕打ちが怖い……」
 赤ちゃんになったお二人にはペリドットがすぐさまおむつを穿かせていたけど、当然替えないといけない。セラフィさんは良くても(いや本人にとっては全然良くないだろうけど今赤ちゃんだし)クロサイト先生は娘さんにさせる訳にもいかない。という事で、僕がペリドットの隣で教えてもらいながらおむつを替える事になった。
「濡れてて気持ち悪かったですね、替えましょうね」
「みぇー、あーん、あぶ……」
「中身取ったら新しいのに交換して、すぐ前にあてて。じゃないと」
「え、あ、わあぁっ!」
「はぅー」
「……おしっこかけられちゃう事があるからって言おうとしたけど先にかけられちゃったね……」
「うぅ……すっきりした顔がにくい……でも可愛い……」
 故郷で母親の劇団に所属していた頃、団員さんの赤ちゃんのお世話をしていた事があるらしいペリドットはおむつを替えるのも手馴れたもので、あやしながらおむつカバーの中の布おむつを素早く替えたけど、僕はもちろんそんな事出来なかった上におしっこをひっかけられた。ぷるっ、と震えた小さくて柔らかい体のクロサイト先生……いや何かこう呼ぶの色々問題があるな……便宜上こう呼ぼう、クロちゃんはいやにすっきりした顔で下に敷かれたシーツを掴んで遊んでいる。無邪気なその顔に怒れなくて、僕はおむつ替えを終えてから着替える羽目になった。
「ベオにいさま、ペリドットねえさま、りんごとニンジンすりおろしてきましたよ」
「一応加熱して冷ましてある。甘いから食べる筈だが」
「あっ、有難うローズちゃんにモリオン」
 着替えてきた僕がダイニングに戻ると、大急ぎで敷いたカーペットの上で座って手を叩いて音を出す遊びをクロちゃんとセラフィさ……ちゃんがペリドットとしていて、そこにローズちゃんとモリオンがキッチンから小さなスープボウルを二つ乗せたトレイを持ってきた。
 おむつは良いけどお二人の食事が無いので宿の女将さんに事情を説明して教えてもらったところ、これくらいの月齢ならもう林檎や人参を与えても良いそうで、ストックされていたものをいくつかくれた。それをローズちゃんとモリオンがすりおろしてくれた訳だ。
 スタイの代わりにタオルを首に掛けたお二人を、僕とペリドットが膝に乗せて座らせる。ローズちゃんとモリオンが冷めているのを確認してからスプーンで与えると、先に口に入れたのはクロちゃんの方だった。
「おいしいですか?」
「まんまー」
「きにいったみたいです。よかった」
 ローズちゃんの質問を理解したのかどうかは分からないけど、クロちゃんはご機嫌そうな声を出して口を開けて次の一匙を待っている。同じくご機嫌そうなローズちゃんの隣で、モリオンが困った様な顔をした。
「ペリドット、助けてくれ、セラフィ殿がスプーンまで食べようとする」
「まー!」
「ああ、はいはい、あげますからね、おててないない。わぁー、お利口さん、まんまどうぞ」
「あー」
「プ、プロだ……」
 吸い付く力が強かったのか、セラフィちゃんが咥えたスプーンを無理に引き抜こうか迷ったモリオンが結局抜くと、両手を伸ばしながら振って抗議された。そこにすかさずペリドットが柔らかい両腕を優しく掴み、おくるみからはみ出た素肌の膝の上に乗せると、褒めながらモリオンに次の一匙を目線で催促して咥えさせた。その鮮やかな流れに僕達はぽかんとする。赤ちゃんのお世話はこの中ではペリドットしか経験が無いので頼るしかないけど、それにしても手慣れすぎていて参考に出来るかどうか分からない。
 林檎と人参のすりおろしを完食したお二人は、空になったスープボウルをスプーンで叩き音を出して遊んでいる。それを横目に、ペリドットとモリオンとローズちゃんは買い物に出掛けていった。林檎と人参だけを与える訳にもいかないし、かと言って母乳は無いから、絶界雲上域からタルシスに連れてこられた雲上野ヤギの乳を買いに行ったのだ。赤ちゃんは牛乳よりヤギ乳の方が良いんだって。ペリドットは妊婦だし、モリオンは片腕だし、ローズちゃんはまだ八歳というのもあるので僕が行った方が良かったのかもしれないのだけど、街中に買い物に行くだけとは言えたまには三人で出掛けたいだろうと思って僕がお守りをする事になった。
 そういう事で、三人を見送った僕はお腹いっぱいになって適度に遊んで眠たくなったお二人から冒頭の泣き声の大合唱攻撃を食らっている。
「うぁーん、うぁー、まー」
「うぅ……何を訴えたいのかさっぱり分からない……」
「にゃー、ぅなーん」
「えっ猫の鳴き声みたいな声も出るんだ」
 頭を僕の胸に擦り付けて泣くクロちゃんに途方に暮れていると、今度はセラフィちゃんが親指をしゃぶりながら子猫みたいな泣き声を上げたので僕はびっくりする。赤ちゃんの泣き声って猫みたいになるんだ……と妙な感心をした僕は、だけど次の瞬間悲鳴を上げた。クロちゃんが何の前触れも無く吐いたのだ。
「わああぁぁっ、だっ、大丈夫ですか?!」
「ぁぶー、うぇ、えー」
 タオル敷いてて良かったと思いながらクロちゃんの口の中に残っている吐瀉物を掻き出し、タオルで拭いたけど、おしっこを掛けられて着替えたばかりの僕はまた服を汚されてしまった。着替えたいのは山々なんだけど、お二人をここに置いて着替えを取りには行けないし、かと言って僕の部屋に連れて行っても置いているものが多すぎて着替えている間に怪我でもされたら困る。仕方なく僕は未だぐずっているお二人を下ろして寝転がせ、急いで着ていた黒インナーを脱いだ。巨神を倒した今、探索にはあまり出ていないのだけど、ずっと着ていたからか着心地が良くて普段着にしてしまっている黒インナーは本日二枚目の犠牲が出た。
 目線を離さない様にしながらインナーを畳んでいると、クロちゃんは泣いているけどセラフィちゃんは親指を咥えたまま眠りかけていた。時々思い出した様に泣くけど、多分泣き疲れたんだろう、暫くするとクロちゃんの泣き声なんて全く気にせず寝てしまった。その愛らしい寝顔(僕の知ってるセラフィさんは目付きが凶悪なので赤ちゃんの時は名前の通り天使みたいだったんだなって思った)を見ながらおしゃぶり欲しかったのかも、とクロちゃんを抱っこして立ったまま体を揺らしたりしてあやしていたんだけど、彼は相変わらずぐずって僕の首の付け根を食みつつ不明瞭な泣き声を上げてて、僕の肩は涎まみれになっている。赤ちゃんだから仕方ないけど、拭きたい。うう。
 セラフィちゃんが指を咥えて寝ている事だし、クロちゃんも指咥えさせたら満足しないかなあ。そんな事を考えた僕が、縦抱きしているクロちゃんを横抱きにして安定させつつ、自分の指を口元に持って行こうとしたその時、信じられない光景が目に飛び込んできた。僕の胸にクロちゃんが吸い付いてきてしまった、のだ。
「ひええぇっ、あのすみません、それはいくら何でもちょっと!」
「まぁー!!」
「まんまは出ません!!」
 焦った僕が慌てて体を離すと、クロちゃんはスプーンまで食べようとして抗議したセラフィちゃんと同じ様な抗議の声を上げたけど、さすがに僕だって胸を吸われたくない。残念ながら僕は今まで生きてきた中で赤ちゃんとその母さんとの交流をした事が無くて、それでも赤ちゃんはおっぱいを飲みながら寝ちゃうと聞いた事はあるけど、さすがに僕が胸を吸わせながら寝かしつけるのはちょっとどうかと思う。胸筋は確かに大きいし、他のギルドの人からも胸がでかいと揶揄された事はあるけど……いやでもやっぱり絵面がやばい。
 そんな事をぐるぐる考えている間にもクロちゃんは泣いているし、寝てくれる気配は無いし、僕もほとほと困り果ててしまっているので、背に腹は代えられないか……? などと思い、意を決して先程の体勢に戻そうとすると、勝手口がある方からガチャガチャと音が聞こえてきた。よ、良かった、三人が帰ってきてくれたみたいだ。
「ただいま、おまたせー……どうしたのギベオン、半裸で」
「クロちゃんに吐かれちゃって……着替え取りにも行けなかったから」
「あらら、げっぷさせたのにね。泣きすぎちゃったかな」
 比較的軽そうな荷物を持っているペリドットが不思議そうな顔をして尋ねてきたので答えると、ローズちゃんやモリオンも納得した様に苦笑してくれる。あらぬ誤解は受けずに済んで良かった……。
「おしゃぶり買ってきたから、使おうか。でも煮沸消毒が先だし、その間に寝ちゃうかな」
「わたし、やってきます」
「じゃあ私も行こう。湯冷ましが出来ている筈だから、飲ませた方が良いかもしれんな。結構汗をかいている」
「ほんとだ。ひょっとして汗で肌着が濡れて気持ち悪いのもあるかも。お着替えしましょうねぇー」
 帰ってきた三人が比較的小声で話しているとは言え、さっきより確実に騒がしくなっているのにセラフィちゃんは起きる気配が無い。実に安らかに寝ている。それに対してクロちゃんは相変わらず僕の腕でほにゃほにゃ泣いていて、だけど手で目を擦る様な仕草を見せたから、多分もうちょっとで寝るんじゃないだろうか。ただ、風邪をひかれると困るので、クロちゃんの着替えはペリドットに任せて僕は自分が着替える為に一旦自室へ引っ込んだ。インナーのストック何枚か置いてて本当に良かったと思いつつ、汚れたインナーは裏庭で洗って干した。
 ダイニングに戻ってくると、着替え終わったクロちゃんがおしゃぶりを咥えて、こちらも指ではなくおしゃぶりを咥えているセラフィちゃんの隣で寝ていた。僕の寝かしつけチャレンジは失敗に終わった訳だけど、一人は寝かせられたんだから大失敗ではないと思いたい。並んで眠っているお二人は本当に小さくてふわふわしてぷにぷにで、こんな可愛い生き物が成長するとああなるんだから人間って不思議だな……と僕は思ったけど口には出さなかった。
「それにしても、大騒動だね。ちゃんと元に戻れると良いけど」
「パチカさん、どこになにをさがしにいかれたんでしょうね?」
 お二人の寝顔を側で寝そべって見ているローズちゃんが首を傾げながら言った疑問に、僕達も首を捻る。成長を促す薬でも作るんだろうけどその材料なんて見当もつかない。でもパチカさんもスフールさんも鎚を持って行ったあたり、どこかの迷宮で材料を探している可能性は高い。怪我しなきゃ良いなあ。
「戻れる前提で言うが、もう暫くこのままでも良いんじゃないか。ペリドットの育児の良い練習にもなるし、何よりクロサイト殿もセラフィ殿もいつもは世話をする側なのだから、たまにはされる側になっても良いだろう」
「……まあ、そうだね」
 ソファに座ったままお二人を眺めているモリオンの言葉に、僕も妙な気持ちで頷く。確かに僕がタルシスに来てからというものお二人には多大にお世話になったから、少しは恩返しをしないといけない。元に戻ったお二人は多分覚えてないんだろうけど。
 僕達のそんな会話など全く聞こえていない、おしゃぶりを吸っている音をちゅくちゅくと立てながら幸せそうに眠っているやわらかほっぺの赤ちゃん達は、お腹を空かせて泣き出すまでの暫くの間、僕達を和ませてくれていた。



 世の中には不思議な現象が起こる事もあるのだと、世界樹への探索の中で僕は……あ、それはもう良い? パチカさんが作った、結果的に若返りの秘薬になってしまった薬を飲んで赤ちゃんになったクロサイト先生とセラフィさんは、その後二日程赤ちゃんのままだったけど、パチカさんが持ってきたメテオパンプキンと紅鬼林檎、黄柏の樹皮から作られた練り薬を食べて元に戻る事が出来た。もちろん、元に戻ったお二人には赤ちゃんになっていた時の記憶なんて無かった。
「パチカ君も妙な薬を作ってくれるものだ……戻れたから良かったが、戻れなかったらどうするつもりだったのだ」
「どうもしないだろうな、あの男なら」
「そうだな……」
 三日程赤ちゃんになっていた事を告げると、クロちゃん……じゃなかった、クロサイト先生とセラフィさんは赤ちゃんの時の表情からは想像もつかない様な苦い顔をしたけど、僕にとっては見慣れた表情で、何となくほっとしてしまった。
「君にも迷惑をかけたな。すまない」
「あ、いえ、それなりに楽しかったです。赤ちゃんを抱っこした事殆ど無かったので」
「私は君に抱っこされていたのか?」
「ペリドットがセラフィさんを抱っこしてたので……でも僕もペリドットもお二人どちらも抱っこしましたよ」
 僕の回答に、クロサイト先生もセラフィさんも沈痛な面持ちで目を伏せる。不可抗力とは言え、自分より年下の者達におむつ替えをされたりヤギ乳を与えられたり、風呂に入れられたりしたのだ。恥ずかしさもあったかもしれない。ペリドット達にも言ってないけど、クロちゃんから胸を吸われそうになった事だけは絶対言わないでおこうと僕は心に決めた。元から言うつもりなんて無かったけど。
「そういえば、パチカさんがつくったおくすり、もうないんでしょうか? まちがってだれかのんだらたいへんだとおもうんですけど」
「ああ、確か試薬と言って持ってきた瓶には……まだ入っていたぞ、いかん、戻れると分かった以上彼なら面白がって誰かに飲ませるぞ! 止めに行ってくる!!」
 ローズちゃんの疑問に珍しく真っ青になったクロサイト先生は、そう言うや否や慌ててダイニングから駆け出して行ってしまい、セラフィさんも焦った様な表情で続いた。残った僕達は顔を見合わせて、元に戻る薬を持ってきてくれたパチカさんが赤ちゃんになったお二人に頻りにめごいめごいと言い、おれも赤ちゃんの世話してみようかな〜などと言っていたのを思い出し、クロサイト先生の様に青い顔になってスフールさんの無事を祈った。