誕生日

 タルシスの街には、素性の知れない者など数多く居る。冒険者になる真っ当な事情がある者などそうそう居らず、だから故郷がどこなのか分からなかったり、はっきりとした年齢を自分でも知らなかったり、そもそも名前を持たぬ者も居たりする。だが、昔からそんな者が多くたむろしていた訳ではなくて、辺境伯が世界樹への到達の触書を出してから集まってくる様になっただけで、クロサイトが幼い頃など世界樹が遠くに臨めるだけの静かな街だった。今では随分と賑やかで活気に溢れている。
 素性の分からない者が増えて久しくなったこの街に診療所を構えるクロサイトは、二月程前に二名新しい患者を迎え入れた。普段は周囲の住民や隣接する宿を塒にしている冒険者相手の診察や怪我の手当てをしているが、乞われれば地方の肥満患者を受け入れて治療にあたる。治療という名の樹海の探索は今までにもそれなりの人数の患者を見事に痩せさせたし、そんじょそこらの駆け出し冒険者よりも遥かに強くさせた。今回受け入れた患者の内、女性であるペリドットは然程時間をかけずに卒業させる事は出来そうであるが、男性であるもう一人の患者のギベオンはクロサイトが初めて見た時思わず絞りがいがあるなと見上げてしまった程だった。
 ギベオンは、とにかく大柄だった。身長もクロサイトより背が高い弟のセラフィより高かったし、横幅もうんとある。何を食べたらこうなったのかと、様々な人間が行き交うタルシスの中に居ても彼は目立った。ただ、うんと太っているという事はある程度の重量を落としやすいという事でもあり、二月も経てばペリドットもそうだがギベオンも目に見えて痩せた。だから、道行く者達が彼らを振り返る事も少なくなった。
 話は元に戻るのだが、素性が知れないと言えば、このギベオンもある意味素性が知れない者の一人でもあった。否、出身国は以前の卒業生であるジャスパーという城塞騎士の後輩であるから水晶宮の都という事も分かっているし、年齢も二十三歳という事も分かっているのだが、この二十三歳、という部分が怪しい。水晶宮の都で六代続く城塞騎士の家柄の嫡男でありながら、出生の記録が無いらしい。話を聞くと、結婚を望まなかった両親が家の存続の為に無理矢理結婚させられ、嫌々設けられた跡継ぎであるそうで、結婚を強いたギベオンの父方の祖母が亡くなったと同時に彼は出生の記録を破棄され、「元から居なかった子供」となってしまったらしかった。
「だから僕、誕生日知らないんですよ」
 いつもの様に樹海に繰り出て魔物から追い掛けられたり戦ったり、採集出来る植物などを探す合間の休憩時間に、クロサイトが診療所に置いてあるカルテの中の誕生日の欄が空欄である事を何気なく言うと、ギベオンはつらつらと説明してからそう答えた。ジャスパーがギベオンを送り出す際、先にクロサイト宛に送られていた手紙の中で、あまり両親の事に触れないでやって欲しいと書いていた為に慎重に話題を選んでいたつもりであったのだが、カウンセリングも兼ねて聞かねばならない事も多かったから尋ねたのだ。得られた回答はクロサイトだけではなくペリドットも沈黙させてしまい、聞こえてくるのは微風に吹かれる木々のざわめきと木陰に潜む小動物の息吹、そして遠くを探索しているのであろう冒険者達の微かな声だけとなった。その気まずさに慌てたのは、誰でもないギベオンだった。
「あ、で、でも、生まれた年だけは分かってるんです。だから、毎年鬼乎ノ日に一つ年をとる事にしてて」
 タルシスに来た時よりも痩せたとはいえ、まだ贅肉がついているギベオンの声は籠もっており、歯切れの悪い言葉が尚の事聞き取りづらい。だがその言い分はきちんとクロサイトにもペリドットにも聞こえており、ペリドットは首を傾げた。
「じゃあ二十三歳っていうのは、去年の鬼乎ノ日になったの?」
「ううん、今年の鬼乎ノ日になるんだ。
 でも生まれて二十三年目だから、もう二十三歳って言った方が良いかなあって思って……」
 ギベオンは初めてクロサイトと対面した時から、二十三歳だと言ってきた。だがいつもは鬼乎ノ日に年を一つ重ねさせていた様で、彼の中では今はまだ二十二歳になる筈だ。なるほど、と顎鬚を撫でて少しだけ考えたクロサイトは、ペリドットは来月誕生日だよねと言っているギベオンにおもむろに提案した。
「では今日を誕生日にしたらどうだね。
 鬼乎ノ日を勝手に誕生日にしていたのなら、今日を勝手に誕生日にしても良かろう」
「へ……?」
「生まれておめでとう。タルシスに戻ったらケーキでも買おう。カルテの君の誕生日の欄に今日の日付を入れておく」
「………」
 クロサイトのその言葉に顔を明るくしてうんうんと頷いているペリドットとは対照的に、何を言われたのか分からない顔をしているギベオンは、しかしその翠の瞳に涙を浮かべたかと思うとぼろぼろと零し始めた。まだ腹が邪魔で膝を抱える事が出来ない為に俯く事しか出来ず、大きな肩を震わせて泣くギベオンに、ペリドットは持って来ていた背嚢の中から取り出したタオルを差し出した。
「クロサイト先生、私、お菓子作るの結構得意なんです。だから、ケーキは私が焼きますね」
「そうか。今日は特別に生クリームも許可しよう。ベオ君が好きな果物を使おうな」
「そうしましょう」
 礼も言えずにタオルを受け取り、顔を覆って泣くギベオンの前で、ペリドットはクロサイトに自分がケーキを焼く許可を貰い、クロサイトも満足そうに頷く。ギベオンと共同生活を送った期間はまだ二月であるのに、ペリドットは実に彼を労り、理解し、彼の良き友人となった。良い患者に恵まれたものだ、と思いながら、クロサイトはギベオンが泣き止むまでペリドットと共にどういうケーキを作るか、そして何を贈り物にするかの話を楽しみ、いつも持っている鞄の中の自分の手帳にギベオンの名と共に今日の日付を書き込んだ。
「白蛇ノ月十八日、二十三歳おめでとう。今日からは堂々と誕生日を言うと良い」
「はい、はい……」
 そして漸く泣き止み、腫らした目を擦りながら顔を上げたギベオンは、クロサイトの言葉に深く頷いた。これでもう彼はクロサイトやペリドットにとって「素性が知れない男」ではなくなり、その事を二人は素直に喜び、洟を啜ったギベオンが有難う御座いますと小さくはにかんだ事にも小さな笑みを浮かべたのだった。