放浪の詩

 理由があってタルシスに来た訳では無かった。

 職業柄ひとところに長居出来るものではなかったし、何かの組織の構成員の命を狙えば報復だって当然の様に念頭に置かねばならないので、各地を転々としては仕事を請け負い、流離いの身となる。長い事そうやって生きてきた彼にとって、その生活は何ら不思議なものでも不自由なものでもなかった。専属にならないかと誘われた事もそれなりの回数あれど心動かされる事案ではなく、ならぬならばと武器を向けられても身のこなしが速く、また暗殺を専門とする彼には無駄で屍の山を築いた経験もある。が、それは何の自慢にもならなければ誇りになる様な事でもない。なめし革で愛用の投擲ナイフを黙々と手入れしながら、彼は何をやっているのやらと幾度思ったか知れない。無駄に年をとり、無駄に人を殺してきただけの人生は、果たして楽しかったと言えるのか、彼には分からなかった。

 そんな流離いの中で、たまたま辿り着いたのがタルシスであっただけ、なのだ。人が集まる場所は隠れるにはうってつけで、賑わう街は十分に彼の身を隠してくれた。暫く何もせず、仕事も請け負わず、近辺を流れる川でもぼんやり見て過ごそうか、そんな事を考えていた彼は、この街に樹海を探索する冒険者達が集まるという事を知らなかった。本気で知らなかった。だから、酒場にたむろする様々な格好をした老若男女が羊皮紙を覗きこみながらああでもないこうでもないと言い合っている光景に驚いた。酒場というのは賑わうものだが、こういう賑わいは初めてだ。

 妙齢の美しい女主人に簡素に酒を頼めば、新米冒険者なのか聞かれたが、答えようがなかった。冒険など生まれてこの方した事がなく、またそんなものをしようと思った事が無かったからだ。そもそも今の流離いは間違いなく死に場所を求めているだけで、生き生きとした周りの客達とは明らかに違うと分かるだろうに、変な事を言う女だとも思った。

 しかし、騒がしい店内に辟易して勘定を済ませ出ようとしたその時。

「ねえおじさんっ! 貴方一人っ?!」

 いきなりおじさん呼ばわりで声を掛けてきた赤い頭巾を被った少女の手が、彼の細い腕を掴もうとして空をきった。突如声を掛けられたからと言って不覚をとる彼ではない。 しかし内心驚いていた彼は、それでも無表情を装った。

「いきなり何だ。ナンパならあっちの若い男にしろ」
「あっち? あーだめだめ、あの人別のギルドの人だもんっ。フリーの人じゃなきゃだめっ」
「ギルド……?」

 敢えて万に一つも無いだろう事を言って怯ませようとしたのだが、少女には通じなかったらしく、再度彼に手を伸ばし、今度は服を掴もうとした。だが、その手も虚空を切る。ひら、と揺れた彼の黒い外套を、少女は悔しそうに見つめる。

「だから何だ。一人だと悪いのか」
「一人ねっ?! どこのギルドにも所属してないねっ?!」
「さっきからそのギルドとか所属とか何だ。分かる様に話せ」
「フリー?! フリーだね?! ねえお願いっ! 私達のギルドに入ってくれないかな?!」
「は……?」

 両手を顔の前で合わせ、頭を下げた少女の表情は必死で、逆に彼の表情は不可解さを増していく。少女の後ろを見やれば、そのギルドとやらの面子なのか、黒髪を赤いリボンで結んだ少女や桃色の髪を両サイドで結んだ少女やメガネをかけたチェックスカートの少女がはらはらした表情でこちらを見ていた。その姿に、彼の口から思わず溜息の様な呆れた声が漏れる。

「……全員ガキじゃないか……」
「あーっ!おじさんもガキって言った! ひどい!」
「いや、ガキだろ……」

 そう、彼女達は少女という形容が相応しい程に子供だった。呆れ顔の彼が言い放った言葉に抗議の声を上げた少女は、しかしめげずにまた彼に手を伸ばし、今度はがっしりと彼の腕を捕まえた。三度目の正直、であろうから、人に触られる事を厭う彼が珍しくもそれを許したのだ。

「じゃあさじゃあさっ! その子供達を助ける為にも私達のギルドにナンパされてくれないっ?!」
「……あぁ、なるほど、引率者が欲しいのか」
「うっ……ま、まあ、一言で言えばそうだよう……」

 彼の言葉にしょんぼりした赤い頭巾の少女は、それでも彼の腕を離す事はなかった。その手からは必死さと微かな震えの振動が伝わる。ここまで必死に必要とされた事が無かった彼は、それにも驚いた。……たまたま暇そうな大人の男がそこに居たという、それだけの事であろうけれども。

「……良いだろう、暫く引率してやる」
「ほ、ほんとっ?!」
「ただし、気が変わったらすぐに抜ける。それが条件だ」
「……い、良いよっ! 気が変わらない様に私達がんばるからっ!」

 彼の出した条件に少女の瞳が迷いで揺らいだがすぐに消え、再度ぎゅっと自分を見上げてきた事に、彼はまた驚いたがやはり表情は変えなかった。今までの人生で出会った事が無い人種が単に珍しかっただけかも知れない。しかしそれでも人殺しばかりしてきた自分を、素性を知らないからとは言えこんな風に必要としてきた人間は初めてであったので、彼は何となくこの街に来た時に遠目に見えた巨大な樹を目指すのも良いかと思った。

死に場所を樹海に決めるのも、悪くない。