友愛のカメオ

 掌に乗る、白磁の素地に女性であろう肖像と美しい装飾が彫られたブローチを、マルコは物憂げな表情で見ている。単なるブローチであるなら特に気に病むものでもないものだが、しかし今の彼にとっては大層な悩みの種となっていた。
 盗品や強奪品、呪いが掛けられている、などといった曰く付きのものであるという訳ではない。また、探索中に見付けた誰かの落とし物という訳でもない。顔見知りのギルドの者から譲られた、少々特殊なブローチで、それはマルコのギルドの片割れのオリバーの目を盗む様にこっそりと手渡された。
 レムリア島に存在する迷宮探索に、マギニアのペルセフォネ姫の勅によって集まった冒険者達が繰り出し始めた当初から、マルコはオリバーと共にギルド登録をして迷宮に繰り出していた。その少し後に探索を開始したニコイチという変わった名前のギルドは、まだ子供と言って差し支えない十一歳の少年と少し気弱そうな青年、そして優しげな医術師の三人で迷宮に足を踏み入れていた。自分達も二人という少人数のギルドである事は棚に上げ、どう見てもその三人では迷宮を踏破する事は出来ないだろうとマルコもオリバーも思ったものだが、彼らを含むレムリアの多くのギルドの予想を大幅に裏切り、三人は探索の最前線に身を置いていた。
 そんな三人と埋もれた城跡の探索を共にし、ヒポグリフを辛うじて倒した後、マギニアに戻ったマルコはオリバーと別行動を取っている時にニコイチの三人に呼び止められ、大智からこのブローチを差し出された。
『私達が以前引き受けた実験依頼で戴いたものなんですが、これを着用していると魔物からとれる素材が多くなる様なんです。よろしければ、これを』
 どうやら大智はアルストロと奏多と相談し、その不思議なブローチを譲る事を決めたらしい。何故とマルコが問うと、大智は医者としてオリバーの妹の事が気掛かりである事とアルストロも妹が居るので他人事とは思えなかった事、奏多は流されやすい性格を抜きにしても二人の希望に特に異論は無かったとの事だった。
 病に罹った妹の高額な薬代を稼ぐ為に冒険者などという阿漕な事をしているオリバーを思えば、このブローチは有難いし大いに役に立つ事だろう。マルコも妹を想うオリバーに好感を持ったからこそ、突っ走りやすい性格の彼を諌めながらギルド運営をしている。だが、薬代を稼ぎきった後、果たしてその後はどうなるのか。
 勿論、ずっと共に居られる訳ではないし、それは現実的ではないとマルコだって思っている。オリバーの妹の病が治る様に祈っているのも事実だ。しかし可能な限り、二人で探索を続けていたいと思う。恋とか愛とかそういう類の感情ではないが、かと言ってこれはどういう感情であるのか、説明は出来ない。
 そんなマルコの複雑な想いを、大智だけは見抜いた。だからこそオリバーの目の無い所でこのブローチを渡し、使用するのかしないのかの判断をマルコに委ねたのだ。そしてこんな貴重なものを貰っても良いのかと尋ねたマルコに、三人は笑って声を揃えた。大智にメテオのコツを教えてくれた礼なのだと。
 溜息を一つ吐く。ペルセフォネが行方不明となってからもマギニアの往来の賑やかさは変わらない中、広場のベンチに座るマルコ一人が暗い顔をしている。本来ならば悩む様な事ではなく、すぐにオリバーに渡すという選択肢をとるべきなのに、未だそれが出来ていない自分が浅ましい。自分が嫌になる、ともう一度溜息を吐いたその時、額に何か温かいものが当てられた。
「辛気臭ぇ顔してどうしたんだ? 腹減ったのか?」
「……君じゃあるまいし、違うよ」
 考え事をしていたせいで側に歩み寄ってきた人物に気が付けず、パンが入った麻袋を当てられたのは大失態と言える。眉間に皺を寄せたマルコが見上げたのは件のオリバーで、人懐こい笑みを浮かべた彼はマルコの隣にどっかりと座ってまあそう言わずに食えよとハムが挟まった楕円形のパンを一つ差し出した。受け取ったパンは焼き立てなのか、温かいというより熱かった。
「で、どうした? 次の迷宮の対策でも考えてんのか?」
「……そんな所かな」
 大口を開けてパンにかぶりついたオリバーに曖昧に答えたマルコは、さり気なく隠したブローチを気取られない様にしながらパンをちぎって口に運ぶ。塩と香辛料がきつめのハムは、冒険者が探索に出る時によく携帯する食料だ。食べ慣れてしまったこのハムも、オリバーが目的を達成すればもう食べられなくなるだろう。そう思うと、何となく噛み締めてしまった。
「オリバー、質問なんだけど、妹さんの病が治ったら君はどうするんだい?」
「どうするって、また金を稼ぐに決まってるだろ? あいつは俺と違って勉強が出来るのに学び舎に行けてないから行かせてやりたいし、綺麗な服も着せてやりたいしな!」
「………」
 食べながら極力平静を装って今後の事を尋ねたマルコは、得られた回答に眼鏡の縁と同じくらい目を丸くした。てっきり故郷で妹と共に暮すのかと思っていたから尋ねもした事が無かったが、どうやら冒険者を辞すつもりは無いらしい。自分の悩みが滑稽なものに思えてきたマルコは、そこで漸く眉根を下げた。
「そうか、じゃあ、僕も引き続き手伝える訳だね」
「頼むぜ、お前が頼りなんだから」
 既に二つ目のパンを口にしているオリバーは、妹の病を治した後もマルコが同行してくれる事を信じて疑っていない。その根拠の無い自信は一体どこから来るのやら、とマルコは苦笑し、迷いが吹っ切れた手で隠していたブローチを胸に着けた。