曹長と軍医

 背中や腰を程良く圧迫する掌の感触が心地よく、ユーリは薄く開いた口の隙間から呻きにも似た声を漏らす。毎日樹海で剣や斧を振るい、上半身に筋肉が以前にも増してついたのは喜ばしい事だが、しかし凝るのも事実で、たまにこうやってマッサージをして貰っていた。
「ボーズ、お前、俺より若ぇんだから情けねぇ声出すんじゃねえよ」
「だって気持ち良いんで……あ〜、そこもう少し強くしてください」
「ったく……」
 マッサージが上手いヴィクトールが呆れながらも所望された強さでユーリの腰を押す。本当ならバーブチカがやる筈の役なのであるが、彼よりヴィクトールの方が上手い事もあり、ユーリは毎回ヴィクトールにやって貰っていた。
「ユーリ君、痛かったらすぐに言いたまえよ。蹴飛ばしてやるから」
「うっせーよ変態医者、てめぇがやれねぇからって僻んでんじゃねえ」
「誰が僻むか。私の旦那様に痛い思いをさせたら許さんと言っているだけだ」
「へーへー、じゃあそろそろてめぇもコツを覚えるこったな」
 ぐ、ぐ、と絶妙な力加減でツボを押さえてくるヴィクトールの掌は、バーブチカのそれより大きい。彼は本国でも収監されていた囚人に対して鞭を振るっていたので扱いに長けており、肉刺が出来る事も少ない為に、マッサージで掌全体を使う事にも困らない。バーブチカはあまり杖などを握る機会は無かったから肉刺がそれなりに出来てしまい、ユーリがいつもその手を優しく撫でている。
「肩の方もやっとくか、この辺凝ったりしてねぇか?」
「ぴゃっ?!」
 剣や斧を振り被る事も多いユーリの肩を心配したらしいヴィクトールが項を指先で押すと、ユーリは奇妙な叫びを上げた。彼が奇声を発するのはままある事だが、しかしマッサージをしているというタイミングが悪かった。バーブチカが不愉快そうに、眉を顰めたのである。
「……脳筋、何をした」
「いや、違うんだ……何か……押すとこ間違えた」
「良い度胸だ、表に出ろ」
「おーおー、そうだな、いい加減てめぇとは決着つけなきゃならんと思ってたしな」
「ちょ、ちょっと二人共、ケンカしないでくださいよ」
 突然二人が自分を介して険悪なムードになったものだから、慌てたユーリが飛び起きる。しかし仲裁しようにもバーブチカもヴィクトールも聞く耳を持たず、睨み合いながら扉に足を向けようとした、その時だった。

「先生もヴィクトール君も俺にゲンコツ落とされたいのかな?」

 それまで黙って部屋の隅で盾の持ち手の修繕をしていたイリヤーの声が二人の足を止める。彼はギルドの中で最年長という事もあるが、ろくでもない父親を死に至らせたバーブチカやヴィクトールにとってみれば「良い父親」の代表格であり、つまりイリヤーに叱られる事は親に叱られるも同然なのである。
「夜も遅いから外でケンカなんて迷惑だから止めた方が良いと俺は思うけど、二人はどう?」
「「やめます」」
「有難う」
 バーブチカもヴィクトールも、故国の職場では職員囚人問わず恐れられていた男であるが、しかしこのイリヤーの前ではおとなしくなる。普段から温厚な人間ほど怒ると恐ろしいと知っているからだ。何より、イリヤーのゲンコツは痛い。二人は食らった事は無くともユーリが一度食らっており、パラディン程ではないがそれなりに硬いソードマンの肩書きを持つ彼でさえ泣きながら謝っていたので、あれは絶対食らいたくないと二人は思った。
 父が止めてくれた事にほっとしたユーリは、しかしその次の瞬間に室内に響いた怒号に身を竦ませた。
「ユーリ=イリイチ!」
「ぴぇっ?!」
「今のはお前が止めるべき諍いだ、ぼうっとしているんじゃない!!」
「うぅっ……だ、Да……」
 親としてというよりも上官の様な叱り方をしたイリヤーに、ユーリは顔を真っ青にして直立になり敬礼する。エトリアに来る直前までは軍人であったイリヤーは、その表情になると元軍医であるバーブチカや元軍人であるヴィクトールよりも数段に威圧感が増す。いつもは比較的穏やかな男であるから余計に怖いのだ。
 半泣きで敬礼したままの姿勢で動けずにいるユーリの隣に、足音も立てずにバーブチカが立つ。そしてユーリと同じく敬礼した。
「イリヤー曹長殿、先程は大変失礼致しました。私の不徳の致す所です、どうかご子息を咎めないでいただけますか」
「仲良し倶楽部をやれとは言いませんが諍いを起こさぬ様にしていただけますか、バーブチカ軍医殿?」
「善処致します、お義父さん」
「………参ったなぁ、先生、俺と6歳しか違わないのに俺がお義父さんなんだもんなあ」
 表情を変えず敬礼の姿のままでバーブチカが義父と呼ぶと、イリヤーは困った様に苦笑する。そう、彼とバーブチカはたった6歳しか変わらないというのに、バーブチカがユーリと事実婚をしている為に義父になってしまうのだ。どうやら機嫌は直ったらしい父にほっとしたユーリが漸く敬礼の手を下ろすと、バーブチカの筋張った指が目尻に伸び、涙を拭った。それが照れ臭くてへへ、と笑うと、バーブチカはユーリにだけ見せる笑みを浮かべ、すまなかったと頭を撫でた。

 尚、部屋の逆の隅に居たアレクセイはすっかり存在を忘れられていたのだが、この騒ぎが終わった後にイリヤーに頭を下げたヴィクトールに対ししつこく義兄さんと言い続けたのでヴィクトールから鞭打ちの刑に処された。



※Да=Yes