名医と妙薬

 両親が、死んだ。服毒自殺による心中だった。二人が抱き合って眠る様に息絶えていた寝室の机の上に置かれていた遺書にはタルシスに駆け落ちしてくる前から心中する約束をしていたと書かれていたが、そんな事情を全く知らなかったクロサイトとセラフィは泣く事も出来ずにただ呆然とするばかりだった。
 両親と言っても、彼らの本当の両親ではない。浮浪児をしていた頃に偶然拾われ、養子となった二人は、養い親はどちらも男であったが実に睦じい姿を毎日見ていたし、様々な事を教えてもらった。所謂一般家庭に育った二人にとって上流階級出身のバーブチカが教えてくれる社交のマナーは取得に苦労したけれども、正式に医者となったクロサイトは特に助かったし、タルシスに来て家事が得意になったらしいユーリから教えられた家事一切は随分役に立った。血の繋がった両親は喪ってしまったがバーブチカとユーリという両親が居てくれた事が二人の支えであったというのに、その養い親すら喪ってしまった二人は暫くまともな生活を送る事が出来なかった。
 バーブチカは元から感情の起伏が少ないというより欠落している印象があったし、表情も殆ど変わらなかったが、ユーリが絡むと豊かな感情表現を見せたし微笑すら浮かべた。ユーリが居ない所でクロサイトとセラフィの前で堂々と「私のあの子」と言い放つ事もあった。ユーリもバーブチカに心底惚れており、「今日も世界で一番好きです」と毎日言っていた。そんな養い親がまさか心中するなどクロサイトもセラフィも思ってもいなかったから、死んだ事が信じられなくて二人の墓の前で立ち尽くす日も多かった。
 二人が心中してから数日経ったある日の早朝、クロサイトは隈が目立つ目を擦りながら裏庭に出た。バーブチカの遺書に書かれていた指示により土葬ではなく火葬したので遺骨の一部を持ち帰り、裏庭の木の根元に埋めている。墓は郊外の墓地にあるけれどもどうしても診療所に戻ってきてほしくてクロサイトがセラフィに相談し、弟も反対しなかったので、二人で遺骨を一緒に埋めた。そのセラフィはバーブチカ達が死んでから体調不良が続き、ここ二、三日寝込んでいる。
 二人が別の地で探索をしたという世界樹はこの裏庭から見えるものとは全くの別物だが、それでも二人はテーブルセットを出しては世界樹を臨みながら茶を飲むのが好きであったし、クロサイトもそんな二人と同席する事が楽しみだった。もうこの庭で弟を交えて四人で語らう事は出来ないのだと思うと、無性に悲しかった。
「故人を偲んで祈る事を、ご一緒しても良いかな?」
 世界樹ではなく遺骨の一部を埋めた場所に目を落とし、弟の手を引きこの診療所に初めてユーリに連れられてきた日の事をぼんやりと思い出していると、裏庭の解放している門の入り口に珍しい人物が立っていた。惚けすぎていたのか足音にも気が付かなかったのはクロサイトとしては不覚と言って良いが、その苦い気持ちを顔に出さずに体をその人物の方へ向けた。
「……辺境伯様。この様な時間に、お珍しい」
「この時間でなければ中々自由に動けなくてな」
 立っていたのは早朝であるにも関わらず、既に執務の際にも着用している正装姿の辺境伯だった。地方の領主であるとは言え、遠くに臨む世界樹を目指す冒険者を数多く擁する街の統治者として、日々それなりに忙しい身だ。そんな彼のこの時間でなければ自由に動けないという言葉は確かに納得がいくものだが、クロサイトにはそれが辺境伯の本意ではないだろうという事も分かっていた。
 バーブチカは、この街にユーリと共に来て短期間病院に勤務した後、さっさと自分の診療所を建てた。病院内のしがらみが煩わしかったらしい。その建設の際、反対する病院の幹部達を黙らせる為に辺境伯に直接掛け合ったそうだ。権力を振りかざす者には権力を振りかざせば良い、ただ私には金はあっても権力が無いので貴方のお力をお借りしたい、と思惑を全く隠そうとせず直談判したバーブチカに、実に素直で良いと辺境伯は笑って快諾したとクロサイトは聞いている。
 そんなバーブチカは最期まで病院の者達、特に幹部達と折り合いがつかなかった医者であったから、辺境伯はおおっぴらに墓参りには訪れず、人目も疎らなこの早朝に診療所まで来たのだろう。いくらバーブチカが富を持っていたとしても、タルシスに古くから続く家柄の者達の機嫌を損ねるのはあまり得策ではないと辺境伯も分かっている。
「此度はまことに寂しい事であるな。妻が亡くなった当時、バーブチカ君には随分と救われたものだ」
「……それは初耳です」
 辺境伯の妻は数年前、病を得て亡くなった。当時の辺境伯の憔悴は激しく、街も暫く喪に服した事をクロサイトも覚えているが、バーブチカが辺境伯の元を頻繁に訪ねていた記憶は無い。不思議に思っていると、辺境伯は腰の後ろで手を組んで遺骨が埋められている場所に目を落として言った。


『この度は大変お寂しい事です。
 辺境伯様、私は医者ですから傷付いた者を手当てし癒す事が出来ますし、病を和らげる薬も作る事が出来ますが、
 愛しい方を喪って出来た傷を治したりそれを癒す薬を処方する事は、癒しを司るパナケアでも出来ますまい。
 辺境伯様のこの度の傷を癒すのに、名医や妙薬はこの世に数多く存在していても、
 時間という名医と妙薬には決して敵いません。
 けれども、その悲しみを僅かだけでも共有出来たらと思います。
 奥方様はよそ者の私を友人として接してくださいましたし、私も奥方様を友人と思っております故。
 ほんの暫く、この場で偲ぶ事をお許しいただきたく存じます』


「………」
「妻は、女性の格好をしている時のバーブチカ君を大層気に入っていてな。茶飲み友達になってもらっていたのだよ」
 クロサイトはユーリから教えられただけで本人から直接聞いた訳ではないが、バーブチカは十三歳まで女として育てられており、成人した後でも女性の格好をして女性の振る舞いをする方が楽であったそうだ。裕福な家に生まれ、淑女としての立ち居振る舞いを身に付けさせられたバーブチカは顔立ちの美しさも相まって、仕立てた黒のワンピースを着ると女性にしか見えなかった。更に、両側無精巣症であったから声変わりを殆どせず、その為地声は低い女声そのものだった。
 ただ、タルシスで頻繁に女性の格好をしていた訳ではなく、病院の者達にパートナーと共に会食にご参加を、と言われ、黒いワンピースを仕立てて正装したユーリにエスコートされて参加しており、その席に辺境伯夫妻も居て、その際に辺境伯の妻が気に入ったのだ。以来、バーブチカは時折茶席に誘われ「女性として」出掛けて行った。ある日の茶席で話題に出たのが、タルシスに来る前に身を置いていたエトリアという街での世界樹の探索で、それを聞いた妻が辺境伯に話し、それで辺境伯がタルシスから見える世界樹への到達のお触れを出したという経緯がある。
 バーブチカは本当に、自分の事を殆ど話さない男だった。辺境伯の妻と茶飲み友達であったというのもクロサイトは今初めて知ったし、妻を亡くした辺境伯とその様な会話を交わしたという事も初めて知った。たまに女装して出掛けているな、という認識しか持っていなかったクロサイトも、聞いて良いものかどうなのか分からなくて尋ねた事が無かった。怖がらずにもっと色々な事をお尋ねすれば良かった、と、クロサイトは苦い思いを飲み下すしか無かった。
「君もセラフィ君も、今が一番つらかろう。だがバーブチカ君が言った様に、時間という名医と妙薬が君達にはある。
 ゆっくりと悲しむ暇も無いかも知れぬが、その悲しみを僅かだけでも共有させてもらえるかね」
「……はい」
 辺境伯もまた、タルシスを終末の地に選び異国の地から来た者達の死を悼み、哀悼の意を表すと共に暫しその場で項垂れ黙祷した。クロサイトもそれに倣い、正装したユーリにエスコートされ出掛けて行く黒いトークハットを被ったワンピース姿のバーブチカを思い出しながら黙祷した。名医と妙薬がいつかこの傷を癒してくれれば良いと思っていた。