見上げてもなお頂が見えない様な、空高く聳え立つ美しい緑の樹を視界に収めた彼は、目を細めてこぼれ落ちる太陽の光を浴びる。懐かしい気もしたのだが、その樹を見るのは初めてであるからその懐古はおかしいと思いつつ、自然と唇からは懐かしいという言葉が漏れ出ていた。
 彼がこの地から遠く、それこそ辿り着くには何年もかかる程の辺境の地で冒険者稼業に身をやつしていたのは、二十年近く前になるだろうか。長らく流浪の身であった彼は既に自分の年齢を数えるのも忘れてしまったし、故郷の名すら危うい。だがその冒険者稼業をしていた時に滞在したタルシスという街の名ははっきり覚えていて、当時の冒険譚も不思議と思い出せてしまう。楽しかったという事なのだろうと彼は解釈しており、事実彼の人生の中でも最も輝かしい日々であった。
 緩やかな丘を利用して作られたタルシスの街からは、遠くに聳え立つ世界樹と呼ばれる樹が臨めた。朝焼けに輝き夕焼けに映え、夜でもぼんやり輝きを放つ雄大で美しい世界樹は全ての冒険者の憧れであり、その樹の元に辿り着く事は多くの冒険者の夢であった。勿論、彼にとってもそうだった。富も名誉も手に入れられる事を夢見た訳ではなく、本当に純粋にその樹の元に辿り着きたかったのだ。
 ただ残念な事に彼は最初に世界樹の元に辿り着けはしなかったし、世界樹の本当の姿である巨神を倒したギルドの一員でもなかった。探索の前線に居たギルドであった事は間違いないが、巨神を倒したただ一つのギルドではなかったのだ。彼は、巨神が倒され新たな世界樹となる様を見守る事しか出来なかったし、歓喜に渦巻く中で呆然と立ち尽くすしかなかった。
 先も述べたが、彼は名誉が欲しかった訳ではない。尊敬されたかった訳でも、崇められたかった訳でもない。彼は、走り続けたかったのだ。それが彼の夢であったのに、そこで終わってしまった気がしたのだ。
 巨神が倒され、新たな世界樹へと姿を変えた後、彼はギルドを辞して放浪の身になった。冒険していた中で培った攻撃や防御の術は彼の行く先々で大いに役に立ち、傭兵にもなれば用心棒にもなった。乞われれば魔物の討伐にも参加した。しかし、彼にはタルシスで過ごしていた時の様な心の湧き上がりは感じられなかった。心の空洞に常に冷風が吹き抜けている様な、そんな年月をただ淡々と過ごした。
 そしてどれだけ放浪を続けたのか、立ち寄った街で懐かしい世界樹という言葉を耳にした瞬間、熱風に襲われた様な錯覚に見舞われた彼は無意識にそれがどこにあるのかを尋ね、返答で得られた名の街を目指していた。あの頃の様な日々がまた送れる、また走る事が出来る、何も考えずにただひたすら、夢中になって何かを目指す事が出来る。そう思うと鳥肌すら立った。
 もう若い頃の様に、雷を乗せた鎚の一撃を振り下ろす事は出来ない。放浪を続ける中で彼は鎚ではなく剣を使う事を選んでいたからだ。だが強靭で鋼の様な肉体は健在であるし、誰かの盾になる事も出来れば、盾ごと敵にぶつかる事も出来る。まだ夢を見る事は出来るだろう。否、出来るのだ。彼はハイ・ラガードという名の街に足を踏み入れ、冒険者と思しき者達が行き交う光景に言い様もない憧憬を覚え、全身を歓びで満たした。


「なあ、そこのあんた、もしかして入るギルド探してる?
 うち盾役まだ居ないんだけど、良かったら来てくれないかな」
「ああ、ちょうど良かった、今から探そうとしていたところでした。
 こんなおじさんでも拾ってくれるなら有難いです」
「おじさんって。まだまだ現役でしょ、そんな良いガタイしといてさ。
 じゃあうちのモン達紹介するから、塒にしてる宿案内するよ」
「はい、どうぞよろしく。あ、申し遅れました、私は―――」