永遠のひと

 叔父さんはいつだってあたしのヒーローだった。

 母さん以外の家族と不仲だった叔父さんは、十七歳の時に身一つで出奔したらしい(この時点でカッコよくない?)。あたしはその当時生まれてなかったから、叔父さんの事は母さんに聞いて、じいちゃんもばあちゃんももう一人の叔父さん、ややこしいから上の叔父さんって言うけど、三人から聞く叔父さんはあんまり良い印象を受けないのに対して、母さんから聞く叔父さんの話はとても親しみやすかった。
 あたしが生まれた年、叔父さんがまだ十九歳の時、叔父さんは遠く離れたタルシスという場所で何やらすごい英雄になったそうだ。母さんはそれをうちに出入りする行商人から聞いていて、じいちゃん達は鼻で笑って全然信じなかったけど、母さんだけは信じてあいつもでかくなったもんだなーって思ったよと言っていた。届くかどうかは分からなかったけど、母さんはあたしが生まれた旨の手紙を書き、その返事は祝いの品と共にあたしの一歳の誕生日前後に届いたそうだ。いかにも根は真面目っぽい字でお祝いが書かれた手紙は、今でもあたしが持っている。
 出奔したきり故郷に戻らなかった叔父さんは、それでも一度だけ戻ってきた事があって、あたしが七歳になった時だった。必要最低限の小さな荷物と大きな盾、随分とごつい鎚だけを持って帰ってきた叔父さんに、あたしは最初挨拶が出来なかった。じいちゃん達に笑われる程、母さんに前髪の散髪を失敗されて機嫌が悪くて、部屋に閉じ籠っていたからだ。だけど母さんから引っ張り出されて目の前に連れて来られたあたしを見て、叔父さんはそれまでの無愛想な顔を笑顔に変えてこう言った。

「へー、お前、立派なデコしてんなぁ」

 丸出しになったあたしの額を前髪ごとぐしゃぐしゃと撫でた叔父さんの手は、大きくてあったかくて、だけど荒れてて少し痛かった。でもあたしはそれだけで機嫌が直って、すぐに叔父さんに懐いた。
 その後、あたしは父さんに連れられて猟に行く事になっていて、帰ってきた早々叔父さんはあんたもついていきなと母さんに言われて一緒について来てくれる事になった。あたしはこの日初めて猟銃を持って出掛けたんだけど、猟銃を持ったあたしをじいちゃん達は物凄く渋い顔して見たのと対照的に、叔父さんはやっぱり褒めてくれた。

「おっ、似合う似合う、格好良いな! 銃の扱いには気を付けろよ」

 お前はそういう無責任な事を言う、というじいちゃんのお小言を封じ込めた叔父さんの言葉しかあたしは聞こえなかったし、あたしに猟銃の扱い方を覚えてほしかったらしい父さんも母さん以外の味方が出来て嬉しそうにしていた。
 叔父さんは、猟に行くのに鎚と盾も持って来ていた。用心するに越した事無いしな、と言う叔父さんは、銃を扱った事は無かったらしかった。

「叔父さんはなんで銃を使わないの?」
「硝煙の臭いが好きじゃなくてな。
 俺は姉貴みたいに鼻が利く訳じゃないし、酒の匂いに鈍くなったら良い酒造れねえと思ったから」

 まあ結局家飛び出したから酒造りも殆どやってねえけどな、と、母さんが作ってくれたパストラミがたくさん挟まれた昼飯のサンドイッチにかぶり付きながら叔父さんは笑った。叔父さんは、勝手に造ったウイスキーが伝統を無視しているとじいちゃん達に物凄く責められて家を出て、その時造ったウイスキーは全部捨てられたらしかった。でも母さんは少しだけどこっそり残してて、叔父さんが帰ってくる少し前に黙って皆に飲ませて、じいちゃんもばあちゃんも、上の叔父さんも美味いって言ったのをあたしも聞いていた。あんたらが追い出した男が造ったウイスキーだよと母さんが言ったら、皆黙った。それをあたしが教えると、叔父さんはちょっと困った風に笑っただけだった。照れていたのかもしれない。
 昼飯を食ってから猟を再開させたあたしと父さんは、叔父さんが見付けてくれた比較的新しい猪の足跡を辿って追い掛けた。そして見付けた猪を、木陰から父さんに手伝って貰って猟銃で撃つと、一発で仕留める事が出来た。

「すげえすげえ、一発だ。将来有望だな!」

 仕留めた事は嬉しかったけど、叔父さんがそう褒めてくれた事の方が嬉しかった。でも、仕留めた猪を回収しようとした時、数メートル先の藪の中から突如熊が出てきて、あたし達を威嚇しながら近寄ってきた。熊は銃声や人の声を聞くと大体逃げていくというのに近寄ってきた辺り、多分あの熊はそれ以前に人間を襲って食った事があるんだと思う。父さんが猟銃を構えようとするより早くその熊がこちらに走り出し、怖くて動けなかったあたしを背に、叔父さんは持ってきていた盾を素早く構えて鎚で打ち鳴らし、まるで獣が吼えるかの様な大声を出して注意を自分に向けたかと思うと熊に向かって走り出した。
 あの時の叔父さんの背中を、あたしは多分一生忘れないと思う。自分より大きな体の熊に向かって及び腰になる事も怯む事もなく一直線に駆けていき、熊が振りかぶった腕を下ろすより早く盾ごと体当たりして、体勢を立て直そうとする熊の脳天に鎚を思いきり落とした。熊は、それきり動かなくなった。
 あたしはすっかり腰が抜けていて、歩けなかったから、父さんがおぶって帰ってくれた。まさか熊を仕留める羽目になるとは思っていなかった叔父さんが息をあげながら荷台を引っ張った。帰ってきたあたし達、というより熊を見たじいちゃん達はぎょっとしていたけど、母さんは大物を仕留めてきたなと豪快に笑い、解体は父さんに任せてかなり汚れた格好をしていた叔父さんにあたしと一緒に風呂に入ってくる様に言った。叔父さんはいくら子供でも女と風呂に入れないと渋ったけど、母さんのとっとと入って来いの一言で頷いた。
 風呂で見た叔父さんの体には、たくさんの傷跡があった。小さなものから大きなものまで、本当にたくさんあった。中でも腹にあった横一直線の傷跡は大きく、一緒に浴槽に浸かってたあたしがそれどうしたの、と聞くと、叔父さんは少しだけ沈黙して言った。

「これなあ、オレが仲間を守れなかった証拠だよ」
「うそ。だって叔父さん、あんなに強いじゃない」
「嘘なもんか。あんな熊よりもっとでかい魔物を前に、一人も守れなかった」
「………」
「良いかスカーレット、人は本当に簡単に死ぬ。オレだって、お前が持ってた猟銃で頭ぶち抜かれたら死ぬ」
「あたしそんなことしないよ!」
「分かってるよ、ものの例えだ。でも猟銃を持つ様になったんだ、ちゃんと覚えとけ。人はお前含めて簡単に死ぬ」
「………」

 浴槽に両腕を乗せて、向かい合って話す叔父さんの目は真剣そのものだった。子供相手というより一人の人間として、否、一人の武人として話してくれたんだろう。あたしは猟銃を持つ様になったから、よくよく考えてその銃を使えと言っていたのかもしれなかった。
 返事も出来ずに黙りこんでしまったあたしは、暫く叔父さんと見詰め合っていた。叔父さんはあたしが理解しててもしてなくてもどっちでも良かったんだと思う。だけど、きっと知ってておいてほしかった事なんだとも思う。黙ったままのあたしの濡れた頭を撫でた叔父さんは、人差し指を曲げて丸出しのあたしの額をこんこんと軽く叩いた。

「銃とか狩猟道具の手入れはきちんとしろよ、人は裏切っても武具は裏切らない。お前が手入れした分だけ応えてくれる」
「……道具が応える?」
「お前にはまだちょっと難しいかな。そのうち分かるよ」

 その時のあたしには叔父さんの言葉が理解出来なくて、でも大切な事を教えてもらったというのは分かったから、今度は素直に頷いた。そんなあたしを見て、叔父さんは満足そうな顔をした後に繁々とあたしの顔を見た。

「しっかしお前、本当に立派なデコしてんなあ……」



 あの時の叔父さんは確かに武具は裏切らないと言った。今ならあの言葉は理解出来る。あたしは手入れを終えた銃を手に、魔物を前にしてそう思う。叔父さんが熊に対して盾を打ち鳴らし咆哮とも思える声を上げたのを見て、あたしも自分に注意を引き付ける時は大声を上げる事にした。母さん譲りの腹の底からの声は、まるで竜の咆哮の様だと一時期所属した部隊の同僚から言われた事がある。満更でもないと、あたしは思う。
 叔父さんは数日間の滞在の後、あたしが寝ている夜明け前にまた出奔してしまったし、それきり二度と戻って来なかった。ただ、年に二、三通手紙が届き、どこで何をしているのかの報告は寄越されていた。ずっと追い掛けていた人の最期を看取り、その後は各地を転々としながら鉱山夫をしていたらしくて、母さんとあたしの誕生日には必ず綺麗な鉱石が送られてきていた。そんな叔父さんは、異郷の地で死んだ。何でも採掘中に転落死したらしい。人は簡単に死ぬ、と叔父さんはあたしに言ったけど、本当だった。
 母さんは叔父さんの訃報を報せる手紙を読んだ後、あの馬鹿が死んだとこに花でも供えてきて、と、休暇を取って帰省していたあたしに言った。あたしはそのまま軍を辞して、すぐに故郷を後にした。その時のあたしはもう二十三歳になっていて、十七歳で出奔した叔父さんに比べたら何てこと無かった。でも、気が付いたら叔父さんが死んだとこじゃなくて全く知らない地で叔父さんと同じ様に冒険者をしているのは、妙な気分になる。
 叔父さんが褒めてくれたから、あれ以来あたしはずっと髪型をオールバックにしてる。軍隊に入ったのも、将来有望だって言ってもらえたから。人は簡単に死ぬのと同じで、人は簡単に人生を決める。叔父さんが何気なく言っただろう言葉は、あたしの人生を決めた。アルカディアに来たのは本当に偶然だったけど、そこに世界樹とやらがあるのなら、あたしはまた別の場所の、叔父さんが見たかもしれない似たような景色が見たかった。だから冒険者になったし、こうやって魔物を前にして銃を構えている。

「よーっしゃ、派手にやろうか!!」

 故郷で所属していた部隊で戦闘狂と揶揄されていたあたしは迷わず魔物に向かって駆けていく。熊に向かって一直線に駆けていった叔父さんの様に。あたしの永遠のヒーローで、憧れの人で、もう二度と会えない男。

 貴方が見た景色をあたしも見られるだろうか。肩を並べる事が出来るだろうか。


 出来たらなら夢でも良いからまた頭撫でて褒めてよね、スフール叔父さん。