タルシスではしばしば、冒険者ではない者が姿を消す事がある。
他の地域では神隠しと呼ぶこの失踪の事を、冒険者の街タルシスでは迷宮隠れと呼んでいる。



(迷宮に隠れるのか、迷宮に隠されるのか)




 人気の役者の肖像画が売られる事がある様に、タルシスにおいて人気のギルドや冒険者は肖像画、いわゆるブロマイドも売られている。購入するのは専らタルシスを訪れる観光客だが冒険者にも愛顧されており、中には絵師に依頼して自分の肖像画を描いてもらって故郷の家族に送る者も居て、豊かなタルシスの産業の一つともなっていた。
絵師は、被写体となる冒険者を描く為に本人にモデルを頼む事もあれば観察する事もあり、戦っているところを見たいからとしばしば迷宮に赴いて陰から観察している者も居る。そのせいなのか、魔物ではなく誰かから見られている様な気がすると言い出す冒険者も居たし、魔物に襲われたのか戻ってこなかった絵師も少なくなかった。
「うーん……」
 金剛獣ノ岩窟から戻ってきて、汗だくの体を気球艇発着場の側にある水場で拭いていた彼女は、浮かない表情を隠さない。流れる銀糸の髪が小麦色の肌に張り付き、彼女の艶めかしい肢体を一層扇情的なものにしている。踊り子である彼女はスタイルも良く、すれ違った者が振り返る程の美貌の持ち主で、人気の被写体の一人だ。そんな彼女の曇りがちの表情に、同じギルドの頭巾を被った剣士が首を傾げた。
「どうしたの? ずっとそわそわしてるけど」
「う……ん、自意識過剰かもしれないんだけど……何か見られてる様な感じがするのよね……」
「姐さんのファン多いから、ここ覗き見されてる可能性はあるよね〜」
「ここだけじゃないのよ、今日の探索も見られてる感じがずっとしてたの」
「えー、岩窟の探索なんて一握りのギルドしか行けてないのに?」
「うん……」
 まだ大きな鱗を破壊出来ていないので岩窟内部は暑く、それ故に蒸れてしまった頭を冷ます為に三つ編みも解いて腰を曲げ、頭に水をかけた女剣士は曇らせた表情の彼女に気のせいよと言いたかったのだが、彼女があまりにも深刻そうであったから言うのを止めた。確かに何となく探索中に妙な視線を感じる事があるのだが、潜んでいる魔物のそれではないのかと思っていただけに、彼女の悩みが思い違いだとは言い切れなかった。
 女剣士が言った様に、彼女にはファンも多い。整った目鼻立ち、健康的な小麦色の肌、陽光を反射して光る銀の髪、豊かな胸に引き締まったウエスト、その外見もさることながら舞いも見事で、華麗なステップを踏みながら繰り出される剣術は舞台を見ている様だとも評される。先述した様に人気の被写体になっている事にはギルドの皆も納得しているが、彼女本人としては男に絡まれる事が多く、迷惑と思っていた。
「気晴らしに女同士で甘いものでも食べに行こ。男達先に帰らせてさ」
「……そうね。そうしよっか」
 ある程度の汗を拭って身支度をした二人は、利用者でざわつく水場を武器を携え後にした。その背中に件の視線が向かっている事も気が付いていない訳でもなかったのだが、敢えて二人は知らんふりをした。



「美味しかったねー。ミント草入れた炭酸水、岩窟探索の後には最高かも」
「あんな使い方も良いわよね。自分でも作れそう」
 大通りに面している、タルシスの住民もよく来店するというカフェでケーキを食べてきた二人が宿に戻ったのは、水場で体を清めてから二時間近く経ってからだった。今日の探索でフロア内の両端に鱗が並んで立っている箇所を通った時の苦労や、その先を徘徊していた鎧の追跡者の話などをしていたら遅くなってしまったが、ギルドの他の者達も食事に出掛けた様なので特に問題は無い。所属ギルドは男女別の部屋にしている上に女は彼女達二人だけで、女剣士が解錠しようと鍵をポケットから取り出した。
「……あれ……?」
 だが、解錠した筈のドアノブを捻るとドアは引っかかった様な鈍い音を立て、開いてはくれなかった。探索に出る前、施錠は彼女がしていたところを女剣士も見ていたし、彼女もしっかり鍵をかけた事を覚えている。顔を見合わせた女剣士は神妙な面持ちで彼女に頷くと、もう一度鍵を回して剣を抜き、ゆっくりとドアを開けた。薄暗い部屋の中を窺う様に見回し、同じく剣を抜いた彼女も身構えながら室内に入ると、誰も居なかったが妙な生臭さが鼻を突いた。
「……うえっ」
「ひっ」
 臭いの正体を探ろうと壁伝いに彼女がランタンに灯りをつけ、室内をもう一度見回すと、二人はほぼ同時に顔を引き攣らせて短い悲鳴を上げて身を寄せ合った。剣を片手に持ったまま彼女の肩を抱き寄せた女剣士も、彼女と同様に体を強張らせる。
 視線の先の二つの寝台の内、彼女の寝台の上に、それはあった。出立する前に綺麗にメイキングした毛布は乱れ、真ん中に置かれた彼女の数枚のブロマイドが透明になりかけている白濁した液体で濡れている。その白濁したものが二人が想像した通りに精液だとすると、短時間で透明となるそれが僅かとは言え未だに白濁しているのなら、吐精した犯人は彼女達が戻ってくる直前までこの部屋に居たという事になる。胃からこみ上げてきたものが喉を焼いたが辛うじて飲み下した彼女は、しかし膝が震えて危うく座り込みそうになった。
「他の人――リーダー、リーダー呼んできて」
「わ、分かった、待ってて!」
 蒼白になりながらもギルドの男を呼ぶ様に言った彼女を短時間ではあるが一人にするのは危険だと、普段なら女剣士も反対するところであるけれども、その時は動揺が激しく言われるがままに頷いてしまった。不測の事態に陥った時ほど人は正常な判断が出来なくなるものだ。探索中にもその様な事が数えきれないくらいにあったがそれは対魔物であったからで、対人の恐怖は本当に判断力を鈍らせる。女剣士は不幸な判断をしたと言って良く、彼女を一人残して部屋を飛び出した。
「――ぎゃあっ!」
 女剣士が走り去った直後、残された部屋に悲鳴が響いた。寝台の下から突如伸びてきた手に、彼女のブーツが捕まれたのだ。だが、いくら驚いたからと言って可憐な彼女の口から出たとは思えない汚い悲鳴だった。
「迷宮で手を出してくれたら良かったのに。そしたらいつも通り馬鹿な絵描きが迷宮隠れになったって片付けられたわ」
 先程顔面蒼白で震えていたとは思えない、冷たく鋭い彼女の声は、彼女のブーツを掴んだ手の持ち主である男を驚愕させた。だが、男を叫ばせたのは腕に突き刺さった彼女の剣だった。切っ先が床に刺さる程の力で剣を貫通させた彼女がブーツを解放した手を思い切り踏み躙ると、骨が折れる鈍い感触がソールを通して足裏に齎された。
「あ、あぎっ、手、手は止めてくれっ!」
「商売道具だものね。でもさっきマスかきしてたのもこの手でしょ?」
「ぎゃああぁっ!」
 自分を被写体として描く絵師の一人であるこの男がここ最近感じていた視線の持ち主である事、そして付き纏いじみた行為をしていた事を彼女は知っていた。寝台の下から這い出て手を庇おうとした男を汚らしいものを見るかの様に眉を顰めた彼女が、勢いをつけて男の手を思い切り踏みつけると男は痛みに絶叫した。膝が震えるほど怒りがこみ上げたのだ、彼女にとってはこの程度では腹の虫が収まらない。
 その叫びにただならぬものを感じたのだろう、女剣士の声とギルドの男達の声、こちらに走ってくる足音が聞こえて、彼女は急いで剣を抜くと妖艶に笑んで見せた。
「そうそう、私、最近ナイトシーカーの子に暗殺剣を教えて貰ったの。ちょうど良いから、貴方練習台になって頂戴ね」
「や、やめ、助け、――!!」
 イクサビトに授けて貰った書のお陰で他の者の業もある程度体得出来る様になっていた彼女は、親しくしている他のギルドの夜賊の女に投刃や奇襲の仕方を教えて貰っていた。その中でも彼女が最も気に入っているのだがまだ上手く扱えない暗殺剣を試すべく、逃げようとした男の首目掛けて刃を振り落とした。
「姐さん、大丈夫?! 無事――ひ、ひええぇっ!!」
 絵師にとって不幸な判断をしてしまった女剣士は、真っ先に彼女の無事を確認しようとしたが、目に飛び込んできたのは胴体と首を切り離された見知らぬ男と、まさに座り込んでしまった瞬間の彼女だった。剣を持ったままの彼女は絶命した男に見せた冷酷な顔をどこへやったのか、大丈夫かと駆け寄ったギルド主の狙撃手の男を泣きそうな表情で見上げた。
「どうしよう……絵師、みたいなんだけど、殺しちゃった……」
「衛兵を呼ぼう、君の寝台のそれ、嫌かも知れないけど見せたら納得してもらえるさ。無事で何よりだ」
 騒ぎを聞きつけたらしい他のギルドの者達も出入り口の付近で中を覗いていたが、彼女の真っ青な泣き顔を見てその場の誰もが彼女の方が被害者だと思ったらしい。騒然となった部屋の中で彼女は、肩を抱いて現場指示をしてくれている狙撃手に身を縮こまらせ凭れ掛かりながら男の首の切断面を見て、もうちょっと綺麗に斬りたかったわね、まあでもまだ練習台は居るから次回に期待だわ、とスカイブルーの目を細めた。


(次は上手く迷宮に隠さなくちゃね。)