幕間6

 よく晴れたその日、ギベオン達は皆で揃って買い出しに出掛けていた。セラフィがアイスシザーズに斬られた傷もほぼ塞がり、明日にでも探索を再開しようという頃合いで、足らないものや必要になったものを全員で確認して工房で買いつつ、ついでに私的に必要なものなどを買う為に様々な店を巡っていた。
「あっ、アイスクリームだ!」
 大小の荷物を抱え、小腹も空いてきたし一旦荷物を置きに戻ろうとした帰途で、ペリドットがぱあっと顔を明るくして黄色い声を上げた。彼女の視線の先には出店のテントが張られており、数名の客が嬉しそうに店員から渡されたものを口に運んでいる。テントの前には、可愛らしいアイスクリームのイラストが書かれたボードが飾られていた。
「あいすくりーむ? って、なんですか?」
「あ、ローズちゃんは知らないかな。牛乳とか卵で作る、冷たいデザートなの」
「へぇー」
 ペリドットのその声に首を捻ったローズは生まれも育ちも深霧ノ幽谷である為に、アイスクリームだけでなくセフリムの宿の女将が作る料理の大半を知らず、だから今も興味津々で見ている。漂う甘い香りは確実に皆の腹を直撃していたが、クロサイトだけは僅かに眉を顰めた。彼は、冷たいものが苦手だからだ。
「霊峰で氷が採れる様になったからかな? 私達がタルシスに来た頃はアイスクリームの出店なんて無かったですよね」
「高級店でしか出されなかったな、冷却用の氷はそう手に入らなかったから」
「ガーネットさんも絶対確保しなきゃいけないって言ってましたもんね……」
 ペリドットの問いに、クロサイトよりも先にセラフィが軽く頷きながら答える。タルシスは経済的に見て豊かな街だ。緑も水も豊富にあるし、辺境伯の統治もあって元から貧しい街ではなかったが、世界樹への到達のお触れを出して冒険者が大勢滞在する様になって交易が活発になり、結果的に更なる経済成長を遂げた。それ故、比較的温暖な地域であるタルシスにも氷は輸入されてきていたけれども、やはりそう多くは流通していなかったので冷却に回せる氷は医療品などの生命に関わる様なものが優先され、アイスクリームなどの嗜好品にまでは殆ど回ってこなかった。
 そんな中の銀嵐ノ霊峰への到達で、磁軸は切り出した氷をすぐに運ぶ事を可能にし、また急な入用にも対処出来る様にと安全な場所に採掘小屋も設けられた。その結果の、アイスクリームの出店である。
「ローズ、食うか?」
「たべたい! たべたいです!」
「じゃあ買うか……不服そうだな、クロ」
 じっと出店を見ているペリドットとローズを見て少し考えたセラフィは、右手に持っていた荷物を左手に持ち替えると懐を探り、財布を出しながら顰め面をしているクロサイトに声を掛ける。セラフィから見て姪とは言えローズはクロサイトの娘なので、食べさせても良いかは親の許可が必要だ。気が進まなさそうな顔をしているクロサイトが渋っている原因が分かっているセラフィには、兄を説き伏せる自信があった。
「腹が冷えるだろう」
「お前だけな」
「ローズも僕に似ているから冷たいものは食べ過ぎない方が良いのだ」
「素直に半分こしようと言え」
「半分こしようローズ」
「はい」
 そうなのだ。クロサイトは単に自分だけが食べられないというのが不服なだけで、ローズに食べさせたくないのではなく食べ過ぎなければそれで良いのだ。セラフィの言に素直に従ったクロサイトはすぐに手を繋いでいるローズに分け合う提案をし、彼女もはにかみながら頷く。そして出店の側に設置されている簡易のテーブルと椅子に荷物を置き、荷物係になったギベオンとクロサイトは椅子に腰掛けて三人が戻ってくるのを待った。
「アイスクリームかあ。あんまり食べた事無いなあ」
「ふむ? だが、君の故郷はいくらでも作れるのではないのかね?」
「寒いから鶏が産む卵の数が少ないんですよ。それに、わざわざ冷たいものって食べないですし」
「ああ……それもそうだな、わざわざ霊峰でヴィシソワーズを飲まないのと同じか……」
「でもペリドットもローズちゃんも嬉しそうで良かったですね。甘くて良い匂いだなあー」
 両肘をテーブルについて顔を支えながらフレーバーを選んでいるペリドット達を見遣りながら言ったギベオンに、クロサイトは納得しつつ口元に手をやる。ギベオンの故郷の水晶宮は氷の世界と言っても過言ではないと聞いているから、そんな極寒の地では確かにわざわざ冷たいものは食べないだろう。ギベオンが好んで選ぶのは大抵温かい料理、取り分けシチーというキャベツのスープは好物な様で、たまに女将に頼んで作らせてもらっている。
 だが、それでもバニラや砂糖の甘い香りに顔を綻ばせるギベオンは、ペリドット達がどんなフレーバーを持って来るのかを楽しみにしていた。タルシスは果物も豊富であるから、果汁や果肉を練り込んだアイスクリームもある様なので、特に嫌いなものは無さそうだから選ぶのは任せるねと伝えてある。果たして、三人が持って戻ってきたアイスクリームは、シュガーコーンにこんもりと盛られていた。
「ギベオン、ラムレーズンで良い?」
「あ、うん。ペリドットのそれ、なあに?」
「えへへ、私はココアクッキーが入ってるの」
「へえー。ローズちゃんは?」
「わたし、いちごです」
「セラフィさん……は、それ、腹壊しませんか……?」
「そんなやわな腹はしてない」
「そ、そうですか……」
 ペリドットから受け取りつつ、金属製の長いスプーンをもう片方の手で取ったギベオンは、スプーンを使わずアイスクリームの山にかぶりついているセラフィを見てぞわっと腰が震えたのを感じた。自分達が一つのフレーバーのアイスクリームであるのに対し、セラフィは二段のものを平然とした顔で食べている。見たところ、キャラメルのものとバニラのものを重ねて貰った様だ。クロサイトも見るだけで寒いと言いたげに苦々しく弟を見たが、ローズが嬉しそうに口に運んでいる姿に目線を移して自然と表情が苦笑のそれに変わった。
 溶けてしまわない内に食べようと、ギベオンもラムレーズンが埋まっている部分のアイスクリームを掬って口に運ぶ。広がる上等なラム酒の香り、そして干しぶどうの味は、濃厚なバニラアイスクリームに負けていなかった。やっぱりタルシスは素材も良いものが集まるんだなあなどと舌の熱で溶ける甘味を堪能しつつ、重たい荷物を持ち運んで熱を帯びた体に冷たいものが下る心地よさを味わう。意識せずとも顔付きはにこやかなものとなり、ギベオンは故郷では滅多に口にしなかったアイスクリームを実に美味そうに食べた。本当は皆と話しながら食べたいところであるが、陽気な天気の中では呑気に食べていたら溶けて手がべとべとになってしまう為に、ペリドット達も黙々と口に運んでいた。ただ、美味いのだろうというのは彼女達の顔を見ればすぐに分かる。
 やがてアイスクリーム部分を半分食べ終わったローズから受け取ったクロサイトは一口食べた後、無言でスプーンで掬ってずいとセラフィに差し出し、既にコーンも半分食べ終わっているセラフィは特に何の疑問も躊躇いも無くそれを食べた。隣のテーブルで食べていたよそのギルドであろう者達がぎょっとした顔をしていたが、ギベオン達は日常茶飯事の光景なので、いちごおいしかったですとローズが言ったりこのラムレーズンだけ売ってないかなあとギベオンが言ったり、ペリドットに至っては一口貰えて良かったですねなどと言って微笑んでいる。
「美味しかった! また皆で食べに来ましょうね」
「わたし、つぎはチョコレートたべたいです」
「じゃあ僕、コーヒーにしようかなあ」
 綺麗にコーンまで平らげ、スプーンを返却してから今度こそ診療所への帰途に就き、道中でペリドットとローズが手を繋ぎながら並んだギベオンと三人で次回食べたいものを話し合う。すっかり体が冷えてしまったクロサイトは口の中が甘すぎると困った様な顔をして、帰ったらすぐに熱い茶を淹れてもらおうと思っていた。そんな兄の横で、セラフィがぼそりと呟いた。
「またと言えるのは、良い事だな」
「……そうだな」
「なあクロ、あいつら死なせない様にしような」
「当たり前だ。ついでに言うなら、僕もお前もだ」
「……ああ」
 楽しそうに笑いながら歩く三人の後ろ姿を少し離れて歩きながら見遣って言ったセラフィのその言に、クロサイトは間髪入れずに返答する。誰も生還を保証出来ない探索ではあるが、二人にとっては前を歩く三人は死守すべき者達だ。当然、お互いも然り、である。もう遠くなってしまった背後の甘い香りを忘れない内にまた全員で食べに行きたいものだ、とクロサイトはメディカやネクタルが入った麻の袋を抱え直した。明日からまた、探索の日々が始まる。