アフター・メイド・アクター

 物珍しげに見ている丸いスカイブルーの目が、普段なら愛らしいと思えるのに今だけはつらい。ギベオンはじっとりとした心持ちで姿勢良く立ちながら、やっぱりこの服貰ってくるんじゃなかった、と何度思ったか分からない後悔を噛み締めた。
「ベオにいさまのくにでは、こういうおちゃのだしかたをするんですか?」
「え、あ、うん、そうだよ。上に置いてるポットに濃いお茶が入ってて、下のこれ……サモワールっていうんだけど、お湯が入ってるから、それで薄めて飲むんだ」
「へえー」
 サモワールと紹介した大きな筒状のポットの上には、サモワールの中に入っている湯で温められる様に茶器のポットが置かれてある。最初は茶葉だけ入れて蒸し、湯を注いでまた蒸すのだ。冷めない様にする目的が一番大きい。ギベオンの故郷である水晶宮の都では寒さが厳しい為、こういう茶器が一般的だった。
 このサモワール、ギベオンが故郷からわざわざ持参してきたもの、ではない。クロサイトが裏庭の倉庫を整理している時に見付けたものだ。彼とセラフィの養親にあたるバーブチカが生前愛用していた茶器で、パートナーのユーリと共によくティータイムを楽しんでいたらしい。それを聞いたギベオンが僕の故郷もそれで淹れるんです、と言ったのを切っ掛けに、今のティータイムの運びとなったのだが、状況が少々特殊だった。
 将来、どこかで茶の席に招かれる事もあるかもしれない為、ローズに茶席でのマナーを学んでもらおうと設けたこのティータイム、先達て辺境伯の屋敷にメイドとして短期雇用されたギベオンが給仕をしている。雇用されていた時に支給された制服――所謂メイド服は持ち帰る事が許され、必要無いとギベオンは微妙な顔をしながら思ったものだが、結局持って帰ってきてしまった。自分の体に合わせて仕立てられたものであったから、屋敷に置いて退去しても無用の長物(大物?)であろうし、売りに出したとしても身長185センチ体重82キロ(少し太ったかもしれないので正確ではないとギベオンは思う)の男が着用していたメイド服など買い手が一切現れないであろうというのは目に見えている。
 デイリーメイドとして雇用されていた彼は持ち回りでパーラーメイドも勤めていた。その為、今着ている様な黒を基調としたシックなワンピースドレスの様なメイド服も午後服として誂えられており、よそから侵入してくる窃盗犯や強盗犯を牽制する目的で時折屈強な冒険者をメイドとして雇っているという辺境伯の意図も聞いたが、それを鑑みてもシルクの靴下にオーダーメイドの靴まで誂える必要は無いと思う。持ち帰った時、辺境伯の時折の奇怪な依頼内容を知っているクロサイトとセラフィを除くギルドの皆から面妖な顔をされたのはギベオンだって遺憾だった。
「タルシスでは初めから適度な濃度にしたお茶を淹れるのが一般的みたいだから、いつもそうやって淹れてるんだけどね。僕の故郷は、こうやって飲むよ」
「このジャムは、どうするんですか?」
「先にジャムを口に入れておいて、それからお茶を飲む風習があるんだ。砂糖を入れて飲む紅茶とはまた違った甘さで、美味しいよ」
「へぇー」
 メイドとして雇われていた時に培った知識を活かして作られたクロテッドクリームがこんもりと盛られた器と、バスケットにこちらもこんもりと盛られたスコーンの他に、各々の前に置かれたティーカップとソーサーの側にコケイチゴで作られたジャムが盛られた花型の可愛らしい小さな小皿が、デザートスプーンと共に添えられてある。それを指差し質問したローズにギベオンが簡単な作法を説明したのだが、それを聞いたペリドットが首を傾げた。
「ジャムを紅茶に入れるんじゃなくて、食べてから飲むの?」
「うーんと、元はジャムを先に食べて、っていう作法らしいんだけど、それがよその地域に伝わる内に紅茶に入れて飲む様になった地域があるみたいなんだ。好きな方で良いと僕は思うけど」
 時折、ジャムを紅茶に入れて飲む者も居るのだが、水晶宮の都では先にジャムを口に含み、その後で紅茶を飲むというのが正しい作法だ。ギベオンは決まった作法でしか飲めないタイプの人間であるからそうやってしか飲まないが、好みの飲み方で楽しむ事が一番だと考えている。ただ、公の場ならばジャムを先に口に含んだ方がカップを汚さずスマートではある。
「帝国ではどんな作法があったりしたか尋ねても良いかね?」
 サモワールの上部に乗せられたポットからカップに茶を注いでいるメイド服姿のギベオンを面妖な顔で見ているモリオンに、クロサイトが興味の矛先を向ける。モリオンは皇帝に仕える家の長子であるから礼儀作法も叩き込まれており、茶席の作法も問題無いであろうと思われたからだ。話を振られたモリオンは逡巡する素振りを見せてから言った。
「帝国は食糧難が長く続いていて、茶菓子を出さねばならないから茶席は滅多に設けられないんだ。殿下の執務の休憩の為に設ける事が多かったが、民が飢えに苦しんでいるのに自分一人が贅を味わいたくないと仰ってからは宮廷内では茶菓子のある茶席は設けられなくなったな」
「……庶民はどうなのだ?」
「殿下は民の限られた娯楽を禁止する事はなさらなかった。何とか捻出した余剰の小麦で菓子を作って、たまの楽しみにしていた者は多い」
「そうか。これからは気兼ねなく楽しんでもらえたら良いな」
「……そうだな」
 帝国では良家であっても、また皇家であっても食は豊かではなかったらしい。絶界雲上域で見た土地は一見すると緑も豊かなものだったが、実際は汚染されており、作物はろくに育たないそうだ。そんな所に自分達冒険者が押しかけ、ただでさえ少ない作物を横取りしていたのだと思うとクロサイト達は居た堪れない。せめてこの豊かなタルシスで食に困らない生活を送ってほしいと思いながら、ギベオンは一番最初にモリオンの皿にバスケットからスコーンを取り分けた。
「初めて見た時は不思議な机だと思ったが、こういう使い方をするのだな」
「ああ、この机かね。私の師が存命の頃、このサモワールを使っていたから、どうしてもポットの保温が必要でな。パートナーのユーリさんという方が作ったらしいのだ」
 サモワールが置かれている机の中央部分は四角い陶器製になっている。その陶器を外すとこちらも四角い金属の箱が設置され、その中に焼いた石を入れられる様になっており、陶器で蓋をすればサモワールが保温されるという仕組みの机だ。クロサイトとセラフィがこの診療所に引き取られた時には既にこの机は存在していて、養親が亡くなった後も二人はこの机を大切に使ってきた。そのお陰で、今日のティータイムを楽しむ事が出来ている。……ガタイの良い男がメイド服を着て給仕しているという事を除けば、普通の茶席だ。
 畏まった席が苦手なセラフィはほぼ黙ったまま座っていたが、場の雰囲気からして食べても良いと判断し、目の前の皿にギベオンが置いてくれたスコーンを半分に割ると、クロテッドクリームを山盛りで乗せた。目を丸くしたローズやペリドット、モリオンをよそに、クリームを食べた彼は無言で二、三度頷いた。
「美味く出来てるな、このクロテッドクリーム」
「へへへ、有難う御座います。辺境伯さんからも褒めてもらえました。……あっ、あのね、スコーンってクロテッドクリームを食べる為のお皿なんだ。だからセラフィさんの食べ方はお行儀が悪いんじゃなくて、これが正式な食べ方になるんだよ」
「正式ではあるが盛り過ぎは否めないかな」
「要人が居る訳じゃないし良いだろうが」
 セラフィに褒められたギベオンがローズ達のぽかんとした顔に気付いて注釈を入れると、同じ様にスコーンを割ってクロテッドクリームをやや控えめに盛ったクロサイトが手本としてローズに掲示する。おとなしく待っていたのだからこれくらいは許せというのが言い分なのであろう、セラフィは兄の言葉を気にせず大きな口でクリームと共にスコーンを齧った。
「僕、タルシスに来てメイドが白のシルクの靴下履いてた事にびっくりしたんだけど、帝国はどうなの?」
「シルクの白? コットンやリネンの黒ではなくか?」
「あ、やっぱり帝国も綿か麻の黒なの?」
「シルクは貴重品だからな、カシミアと同じで皇族や上級貴族だけが特別な席で着用する」
「そうか、山羊が居るな、帝国は」
 雇用されていた際にギベオンが一番驚いた事項は果たして帝国も同じなのかと思い、モリオンに尋ねると、モリオンだけではなくてペリドットも意外そうな表情を見せた。彼女の故郷は激しい身分差別があるので着用する服の素材から差がある様だが、帝国は物資が乏しい事も手伝って限られた身分の者しか着用出来ないらしい。ローズは見た事も無い上流階級の生活が想像出来ない様で、先程から不思議そうな顔をしている。
「……ギベオン、靴下と言えば気になっていたんだが、お前のその靴下、ひょっとして留めてるのは……」
「聞かないでお願いだから」
「ベルトかね、それともリングかね」
「だから聞かないでください!」
 そして少々引き攣った顔で尋ねたモリオンに、ギベオンは悲しみを湛えた声で懇願したのだが、クロサイトから遠慮も無く突っ込んで聞かれた為に今度こそ拒絶の返答を寄越した。彼だってボリュームを出すパニエの下に隠された太い足を飾るものを知られたくない。だがその彼の秘匿はいつの間にか背後に居たセラフィから無情にも破られた。スカートをパニエごと捲られたのである。
「わああぁっ?!」
「リングか。先生と同じだな」
「せっ、せっ、セクハラ!! セクシャルなハラスメントです!!」
「オーガンジーのレース付きだったな、本当に先生を思い出す」
「聞いてます?!」
「パンツが見えるまで捲らなかったんだ、ガタガタ言うな」
「ひどい!!」
 ぎょっとしたモリオン達をよそに、オーガンジーのレースで飾られたガーターリングを見たクロサイトとセラフィは懐かしそうに彼らの師の事を話したが、スカートを捲られたギベオンはそれどころではない。ガーターリングをしなければ靴下がずり落ちてしまうので着けざるを得ず、それが似合わないフリル付きのものであれば見られるのは恥ずかしい。顔を赤くして文句を言ったギベオンにもう興味は無いのか、セラフィはまた自分の席に座った。
「どうだいローズ、いつもとちょっと違うお茶会は」
「え、えっと……たのしいですけど、ベオにいさまもすわられて、ごいっしょしてほしいです」
「お前は本当に優しくて良い子だね。という訳でベオ君、君も座りたまえよ。サモワールの湯もまだたっぷりあるのだし」
「着替えて良いですか?」
「折角だからそのままで構わんぞ」
「僕は構うんですけど?!」
「うるさいさっさと座れ」
「はい」
 ローズが気を利かせて給仕してくれているギベオンも座る様に促してくれたものの、クロサイトは着替えさせずにそのまま居させる気らしい。せめて茶を飲む時は普段の格好で居たかったギベオンは抗議の声を上げたけれども、三つ目のスコーンを平らげたセラフィの一言でおとなしく座る羽目になった。そんな光景にペリドットは苦笑するしか無かったし、ローズはギベオンがやっと座った事にほっとしていた様だったが、モリオンはやはりこの街の者達は変なのではないかと、肩に掛かったヘッドドレスのリボンを背中に払ったギベオンを見ながら首を捻るばかりだった。