モンキーショルダー

「坊やって、肩がめちゃくちゃ凝ってるよなー。だいぶ前からっぽいけど、何かやってたの?」
 肩に受けたバブーンの豪腕の傷の処置をしてくれていたパチカが腕の上がり具合などを見ながらふと思い付いた様に言った言葉に、スフールは傷口に遠慮無く腕を上げ下げしてくれるパチカに痛ぇよと不服を言ってから顰めっ面のまま頷いた。
「フロアモルティングやってたからな」
「フロア……なに?」
「フロアモルティング。俺の実家がウイスキーの蒸留所なのは言ったろ?
 最初らへんの工程に、フロアモルティングってのがあるんだよ。大麦を発芽させて麦芽にする工程」
 スフールは子供の頃から、実家の蒸留所で手伝いをしていた。勿論子供では手伝える事など殆ど無いが、思春期になって筋力がつき始めると、両親は良い労働力として彼に重労働を手伝わせた。父親も兄もやっていた事なので特に反発せず手伝っていたその工程は、しかし内情を知らぬ者からしてみれば本当に過酷できつい労働だった。
「二日間水に浸した大麦を床に広げて四時間ごとに撹拌して麦の発芽の発熱を均等にすんだけど、
 発芽を均一にするためにでけえ木のモルトシャベルをこうやって、麦を空中に放り投げて撹拌すんだ。
 発芽させすぎると麦が糖を食っちまうから、神経使って寝ないで様子見なきゃいけなくてな」
「ふぅん?」
「あと、グラッバーっていう鋤を引いて麦の層をほぐして根っこが絡まるの防いだりとか。
 部屋の温度も日によって違うから、窓の開け閉めも温度計見ながらやるんだ。
 このフロアモルティングが重労働でさ、肩すげー痛めるんだよ。
 猿が肩に乗ってるみたいに重いっつって、モンキーショルダーって言ったりしてさ」
「へえー……それでこんな肩ばっきばきなんだ」
「いててて! 痛ぇよ!!」
 実家でやっていたその工程を大まかに説明したスフールの肩を、パチカはやはり遠慮無くぐいぐいと揉む。怪我をした所は押されなかったものの、そこそこの力で押されてその手を振り払う様に文句を言った。解放された肩を自分で揉みながら、凝ってるのがばれたのは相手が医者だからなのかそれとも自分の肩が他人に分かりやすいほど凝っているのかは分からないななどと思った。
「でも、意外だなー。坊や、そんな真面目に働いてたんだ?」
「お前ほんと失礼な奴だな、俺だって家業ぐらい手伝うっつーの」
「えー、だって実家追い出されたんだろ? 追い出す様な家で真面目に働く奴とは思えないもん」
「………」
 パチカが自分の鞄の中に包帯を仕舞いながら言った言葉に噛み付いたスフールは、しかし続けて述べられた意見に沈黙した。実家が蒸留所であった事は全く隠すつもりはないが、家族の事についてはあまり触れて欲しくなかったからだ。
 言われた通り、スフールは実家から追い出された。理由は密造酒を造ったから、であったけれども、両親や兄は粗暴で問題ばかり起こす末っ子を追い出したかっただけなのだろうとスフールは思っている。自分が良いと思ったものを造ってみろと姉や兄には言っていた癖に、自分にはそれが許されなかったのは未だにスフールには納得出来ない。
 彼は故郷で好んで飲まれる独特の香りと風味のあるウイスキーがあまり好みではなかったから、麦芽を乾燥させる時に焚き染めるピートを敢えて焚かずにその風味を消した。造りたては勿論荒く、味など年数が立たねば深みが出ないものだが、スフール本人としては良くなるんじゃないか、と思っていたし、試作であったから自前の蒸留器で造ったので量など精々ボトルに五本も無い程度だった。それを、両親と兄は厳しく責め立てた。蒸留所の息子が密造酒を造るとは何事か、しかも伝統を無視するなど、と、散々詰られた。ただ、姉だけは新しい事に挑戦すんのは良い事だぁな、と事も無げに言ってくれたし、庇ってくれた。
 姉は、誰からも敬遠されがちで家族からも疎まれるスフールの、唯一と言って良い理解者だった。およそ女とは思えない豪快な笑い声を上げ、美麗とは言い難くも愛嬌のある顔立ちで、決してスタイルが良いとは言えないが肉付きの良い体でボトリングされたウイスキーが入った木箱を軽々と運んだり、蒸留所内で働く従業員を少女の時分から巧みに纏め、時には樽の上に座りマグカップでウイスキーを呷る姉が、スフールは小さい頃から好きだったし尊敬した。そんな姉が自分を庇う事で立場が危うくなるならと、スフールは実家を追い出されたというより自分から出奔したのだ。彼が出て行く際に、姉は恐らく彼女の全財産であろう金を渡しながらお前がのたれ死んだら骨は拾いに行ってやるからなと豪快に笑った。裏を返せば、どこに居るのかちゃんと知らせろよと言ってくれたのだ。
 姉は、いつでもスフールを庇ってくれた。そんな姉の様になりたくて、でも粗暴な自分がそんな細やかな気配りが出来るとも思えず、ならばせめて頑丈な肉体だけはあるのだからとスフールはこのタルシスでフォートレスになった。だが先に所属していたギルドの仲間をホロウクイーンの斬撃から守れず死なせてしまい、頑丈であるが故に自分だけが生き残ってしまった。いくら誰が死んでもおかしくなかったとは言え、その事実と女王から刻み込まれた傷痕は、一生スフールを苛む事だろう。それこそ、フロアモルティングの際に痛めた肩に残る重みが未だに苛んでいる様に。
「でも、お姉さんとは仲良かったんだっけ?」
「ん……あ、あぁ」
「坊やの事だからさー、ぶつぶつ言う割にはお姉さんの為にってそのフロアなんとかってのやってたんじゃない?」
「……わ、悪いか!」
「図星でやんの! やーいシスコン!」
「うるせぇっ!!」
「だーい好きなお姉ちゃんを手伝ってきた誇り高ーいモンキーショルダーだな! 自慢して良いよ」
「な……」
「ついでにおれにそのウイスキー造ってくれても良いよ」
「……ど、ど、どさくさに紛れてねだってんじゃねー!」
 思いがけず突然褒められ動揺したスフールは、しかしついでの様に要求された酒の製造に顔を赤くして抗議の声を上げたが、数ヶ月前に比べて筋肉が盛った肩をぱんぱんと叩きながらいつもの様にへらりと笑ったパチカにそれ以上の文句は封じられてしまった。湧き上がった郷愁の思いは一瞬の内に拭い去られ、パチカ本人は意図したものでないとしても、感傷を吹き飛ばしてくれた事には変わりない。頬を染めたまま苦い顔をしたスフールは、ウイスキーは貯蔵しねえと美味くならねえんだよと毒づいたが、少量であれば麦芽も分けてもらえるだろうかとタルシス郊外にある酒造所に行こうかと思っていた。