人間は考える魔物である

 タルシスはそこそこに古い街であり、統治は歴代の辺境伯が担ってきた。以前は世界樹が見えるだけの静かな街であり、それ以外これといった特徴など無かったのだが、現在の辺境伯が世界樹の謎を解明せよという触書を大陸全土に出した事を切っ掛けに随分と賑やかになった。集った冒険者達が使用する宿や酒場は元からの住民達があまり接触しなくても良い様にと居住区からは離れて建てられており、故に住民と冒険者の触れ合いはあまり無い。
 とは言え全く無いという訳でもなく、住民と親しくなる冒険者も居る。ギベオンは親しいどころか所属ギルドのうち二名がタルシスの住民だ。彼らはこの街に冒険者が集う様になった頃には既に診療所に住まい、隣接する飲食店が冒険者御用達の宿になったので、冒険者との接触する様になった時期は辺境伯に次いで早い。しかも元冒険者だ。ギベオンが頼み込んで冒険者に復帰してもらった。
 ギベオンの熱意に負けて再度冒険者になったクロサイトとセラフィの双子は、嫁いできたペリドットだけではなく深霧ノ幽谷から移住してきたローズや故郷に戻らず診療所で居候をしながら正式に冒険者となったギベオンの為に、時折タルシスの街に纏わるエピソードを教えてくれた。それは風習であったり行事であったり、日常生活に関する事が多かったが、時折妙な話もしてくれた。
「碧照ノ樹海は、気球艇が無かった頃でも住民が行き来していてな。船や馬車を持っている様な小金持ちでなければ行けなかったんだが」
 その日の銀嵐ノ霊峰での探索を終え、全員温かい風呂に浸かって冷えた身体を温めたギベオン達は、食後の茶を飲みながら雑談に興じていた。ローズがウロビトの里から持ち込んできてくれた茶葉はギベオンが淹れた事が無かったもので、美味く淹れられるかどうかと心配していたが、物事ははっきり言うセラフィが美味いと言ってくれたので合格点を出しても良いだろうとギベオンはほっとする。
 その茶を飲みながらローズに碧照ノ樹海の事を話したクロサイトの発言内容に、ギベオンも感じた疑問の代弁をするかの様にペリドットが首を傾げた。
「でも危なくないですか? 私達でも最初は近くの廃坑の魔物で怪我してたのに」
「今でこそ森の廃坑は新米冒険者の登竜門の様な場所になっているが、廃坑と言うくらいなのだから元は鉱物採取場だったのだ。一応虹翼の欠片は今でも採れるしな」
「その採取場で働いていた大部分がタルシスの住民だから、廃坑や樹海の浅い所に居る魔物なら比較的相手が出来たらしい」
「あ、そうだったんですか」
 クロサイトの言を受けてセラフィが補足し、納得したギベオンは数ヶ月前の自分とペリドットが苦労した廃坑や樹海の魔物を思い出してちょっとだけ渋い顔をする。クロサイトは鎚でボールアニマルを飛ばしては熊にぶつけ、自分達を追いかけ回させていたものだから、あの荒業はいつ思い出しても背筋が震える。
「私達が子供の頃は、悪い事をしたら樹海に連れて行くよ、とよく言われたものだよ。ただ、あの当時は樹海がどれくらい怖いのか知らなかったから、脅しにもならなかったんだが」
 今では碧照ノ樹海がどういう所であるのかを十二分に知っているのはクロサイトだけではなく、ローズを除くこの場の全員が知っているし、ローズだって深霧ノ幽谷で生まれ育っているので迷宮に置き去りにされるという事がどんなに恐ろしい事であるかは分かる。思わず強張った娘の頭を撫でたクロサイトは、話を続けた。
「ある日樹海に小さな花を採取しに行った子連れの薬屋が、大怪我を負って一人で戻ってきた。子供の姿が無いので尋ねると、花を摘んでいた間に姿が見えなくなったので探していたら熊に襲われて、何とか自分だけ戻ってきたそうだ。街の者達は武器を携えて樹海へ行き、子供の捜索をしたが、見つからなくてな」
「………」
「その内、薬屋に詳細を尋ねる中でどうも発言が曖昧であるし、昨日言っていた事と今日言っている事が違うという事もあって、詰問すると、わざと子供を連れて熊の塒の近くまで行ったと白状した。……君達なら、子供がどうなったか分かるな」
「ひどい……」
 ギベオンもペリドットも、碧照ノ樹海に塒を構える熊がどれほど獰猛で恐ろしい動物であるか知っている。そして、熊は獲物を捕らえると塒に持ち帰り、食べ尽くしてしまうという事もまた、知っている。ローズはよく分からなかった様だが、ギベオンとペリドットの顔が真っ青になった事でどういう意味なのかを悟ったらしく、ワンピースの裾をぎゅっと握った。
「……もしかしてですけど、「じゅかいにおきざりにするよ」じゃなくて、「じゅかいにつれていくよ」って、そういうことですか?」
「ん……、ローズは賢いね、そういう事だよ」
 確かに先程クロサイトは「樹海に連れて行くよと脅された」と言った。「置き去りにするよ」ではなかった。碧照ノ樹海という魔物に食わせる為にわざと子供を連れて行く心理は、ギベオンにもペリドットにも、勿論他の三人にだって分からない。
「タルシスの近くの川に、中洲があるだろう。あそこはタルシスの街では悪ガキの仕置き場なんだ」
「へ? それはどういう……」
「悪い事したら中洲に捨てるぞ、が常套句でな」
「それもこわいです」
「俺も怖かったから絶対悪さしないと心に決めてた」
「ああ……四方を水で囲まれてますもんね……」
 奇妙な沈黙を破ったのはセラフィで、体脂肪の低さ故に水に沈んでしまう為、水場を極度に嫌がる彼は、思い切り苦い顔をしてペリドットの言に頷いた。その眉間の皺の深さにどこか奇妙さを覚えたギベオンの疑問を察したのか、クロサイトが続けた。
「実際、私達が昔住んでいた家の近所の子供があの中洲に置き去りにされて、誤って足を滑らせて溺れ死んだのだ。あの時のお前の怖がり様と言ったら」
「うるさい、未だに怖いぞ」
「そうだな。でももっと怖いのは」
「……ああ」
 どうやらこちらも本当に死んでしまった子供が居る様で、それでセラフィが嫌そうな顔をしたのだと理解した三人は、しかし意味深に呟いたクロサイトと頷いたセラフィに再度疑問符を浮かべる羽目になった。彼らに分かっても自分達には分からないので、先を促す様にローズは隣に座る父を見上げた。
「その子供の父親は随分と憔悴していたのだが、母親があまり悲しんでいない様に私達には見えたのだ。訝しんでいたら案の定離婚した」
「……それって……」
「子供が邪魔だったからわざと川に落としたのだろうな、多分」
「………」
 ペリドットもローズも、親からは随分愛されている。ギベオンは愛されなかったし酷い折檻は受け続けたが、殺される程ではなかった。否、彼が強靭な肉体を持つ者でなければ死んでいたかもしれないが、結果的には今ここで生きている。そこまでして子供を殺さなければならない理由は、果たして何なのだろうか。ギベオン達には、理解出来なかった。
「俺達の両親も離婚したが、離婚する前はいつあの中洲に連れて行くと言われるかと気が気じゃなかった」
 普段から青白い顔を更に白くして呟いたセラフィが当時心底恐ろしい思いをしながら過ごしていたのだろうと察したペリドットは、机の上に置かれた彼の手をそっと自分の小さな手で覆った。銀嵐ノ霊峰で見付ける事になるであろう迷宮でどんなに恐ろしい魔物に遭遇しようとも人間より恐ろしいものはないのだろうと全員思ったし、同時にギベオンとペリドットとローズの三人はタルシスでは「樹海に連れて行く」「中洲に連れて行く」の二言は禁句であると肝に銘じたのだった。