食物連鎖

 タルシスの街が存在する風馳ノ草原と呼ばれる大地の北にある深い谷は、強い風が長きに渡って人間の侵入を阻んできた。その谷の封印を兄と共に解く事に成功した彼は、谷の北に広がる大地の事を師である男に兄が寝静まった深夜の鍛錬の時に伝えた。兄は高所恐怖症であるから上空から大地を見下ろす事が出来ず、彼が大まかな地図を書く。その羊皮紙を見せると、男は顎に手をあて軽く二、三度頷いた。
「豚が居たか。しかも野生の」
「……はい、人工飼育ではなさそうでしたが」
「それは良いな。良い」
「………?」
 男は、意味深に頷きながら口元を手で隠した。その仕草がどういう時に見せるものであるのか、彼は知っている。何が良いと言うのか、と彼は思ったのだが、口元を隠したままちらと自分を見た男の昏い目にぞわりと背筋が凍ったのを感じた。
「セラフィ君、豚はな、何でも食うのだ」
「……何でも、ですか」
「何でもだ。野菜でも肉でも、死骸でも」
「………」
 男の隠れた口がどんな形に歪んだのか、彼には見る術が無い。だが、予測は簡単についた。――笑っている。明らかに。
「クロサイト君が手に負えず殺せない事を嘆かずに済むように、人を殺せる様になりたいと君は言ったな」
「……はい」
「後始末の方法まで私は教えたし、君はきちんと全て覚えた」
「……そのつもりです」
「もう一つ、覚えておくと良い。豚は何でも食う」
「………」
 口元を隠していた手で地図を指差し、男は彼に繰り返す。彼が手に掛ける対象は専ら手の施しようが無い傷病人であるが、時折樹海で冒険者を装い他の冒険者を襲い、魔物の仕業に見せかけて殺し金品を奪う者を始末する事もある。そういう者達を冒険者の様に埋葬するのは癪だと彼が漏らしたのを、男は覚えていたのだ。

「使えるものは何でも使いたまえ。たとえ誰かが食うであろう動物であっても、な」

 兄に見せる医者の顔ではなく、自分に見せる殺人鬼の顔を見せた男に、彼は全身が凍った様な気がして歯を食い縛る。しかし辛うじて震える声ではい、と返事をすると、男は目を細めてぞっとする程美しい笑みを見せた。命を助けてくれた兄の為であったとしてもこれ程までの狂人にはなれないと、遠のきかけた意識の中で彼は思った。