プリーズ!

「そう言えば、セラフィさんってギベオンへの言い換えがお上手ですよね」
 明日から二日、探索を休む事になったペリドット達は、久しぶりにゆっくりと夜の時間を過ごしていた。普段なら体力回復の為に早々と眠ってしまうが、休息日の前日の夜は本を読んだり繕い物をしたり、セラフィは投刃に使用する薬草の調合をしたりする。トリカブトの根がもう無かったな、と、薬草棚の整理をしていたセラフィは、寝台の上でストレッチをしながらふと思い立った様に言ったペリドットを振り返った。
「言い換え?」
「ほら、走るな、じゃなくて歩け、って言ったりとか。急いで食べるな、じゃなくてゆっくり噛んで食べろ、とか」
「ああ……、クロに鍛えられたからな」
「え? クロサイト先生、ギベオンと同じなんですか?」
「いや、同じと言うか……」
 話題に上ったギベオンは、今ではかなり改善されたとは言え、気を抜くと多動になりがちだ。運動による発散が十分過ぎる時はそうでもないが、気球艇に乗っている時間が多かった日はどうしても生活音が大きくなる。
 そういう場合にクロサイトやローズが付き合って散歩に出たりする時もあるが、どうしても都合がつかなければ、クロサイトもセラフィも決してギベオンに駄目出しをするのではなく言い換えて指導した。ペリドットは、その言い換えがいまいち上手く出来ない。
 ただ、クロサイトが患者に対しての言い換えが上手いのは他の患者にもそう接していただろうから分かるのだが、クロサイトの患者とあまり接触を持たないセラフィが何故上手いのか分からなくて首を捻ったペリドットに、セラフィは少々苦い顔で兄の名を口にした。
「昔、まだ俺が体が弱くて外に殆ど出られん頃に、クロが母親と一緒に服を買ってきてくれていたんだ」
「お洋服、ですか」
「それが何でそんなもんを俺に着せようとするんだと思う様な服でな」
「た、例えば」
「……リボンが付いた薄紅の服とか……こう……襞がある袖の……薄緑の服とか……」
 子供時代のクロサイトが買ってきたその服は、語彙力が然程無いセラフィの説明でもペリドットには容易にパステルカラーの可愛らしい、恐らく女物という事は分かった。確かに何故そのチョイス、と彼女は一瞬思ったものの、まあでもクロサイト先生だし、で終わった。ただ、母親も一緒についていたなら止めたのではないかという疑問もある。
「それに、母親も普段は俺に付きっ切りだったから、
 せめてクロと二人で出掛ける時はクロの言う事を聞いてやろうと思ったらしくてな。
 着ておあげ、なんて言った」
「……着たんですか?」
「…………」
「着せられたんですね……」
 それを聞こうと思ったら先に言われ、なるほど母親からも言われてしまってはいつも臥せっている身であれば拒否も出来なかっただろう。ずっと苦虫を噛み潰してた様な表情をしているセラフィは、多分それを着るのは嫌だったに違いない。女物を持って来られたら大抵の男は嫌がるだろうと思うのだが。
「この服は嫌だと言っても似たようなものを買ってくるから、
 黒とか灰色の無彩色でリボンもフリルもレースも付いてないシンプルな服が良いと言うと、
 素直にそれを買ってきてくれる様になった」
「あ、なるほど、言い換えてるんじゃなくて何が良いのか具体的に言ってるんですね」
「ベオもそうだろう、駄目ならどうしたら良いのか言わないとまた同じ事をする」
「中々それが難しくて。しない方が良いよ、ってつい言っちゃうんですよね」
「して欲しくない事をしていると思ったらして欲しい事を言えば良い。俺のさっきの服みたいな感じで」
 セラフィのギベオンに対する指導は自らの経験則を生かしている、と理解したペリドットは、どんな経験でも役に立つのだなあ、と妙な感心をした。この診療所に来た当時はあまり分からなかったが、嫁いできてからというもの、クロサイトのセラフィに対する溺愛ぶりはそれはすごいものだと知ったが、彼女は特に気にしていない。寧ろ、仲が良いのは良い事だと思っている。……それが他人から、例えばギベオンからしてみればすごいと思われている事に、彼女は気が付いていない。
 薬草棚の扉を閉め、テーブルに向かって補充する薬草のリストを書き始めたセラフィに、ストレッチの最後の伸びをしたペリドットは再度思い立ち、提案した。
「そしたら、セラフィさんで練習しても良いですか? して欲しい事言うの」
「練習? ……まあ、構わんが」
「やった! じゃあ、ピンクのお洋服着てください!」
「……は……?」
「黒いお洋服じゃなくてピンクのお洋服! お願いします!」
「……な、何でだ」
「黒が一番かっこいいですけど、たまには明るい色のお洋服着て欲しいです」
 それは最早言い換えではなく単にして欲しい事なんじゃないか、と言いたげな、それでいて戸惑った様な困った様な顔をしたセラフィに、ペリドットは寝台から上目遣いでお願いする。彼の衣類棚の中に黒以外の服は存在しておらず、勿論それが一番似合っているし細いスタイルに相まって格好良いのだが、ペリドットとしてはたまには色味のある服を着てみて欲しい。チョイスがピンクだったのはたまたま口をついて出ただけで、特に理由は無い。
「明日お休みですし、一緒にお出掛けしましょう。お洋服買いに行きましょう」
「……や、薬草の補充があってな……?」
「デートしたいです、私も補充手伝いますから」
「………」
 ペリドットの押しに弱いセラフィは、それこそたっぷりの沈黙を挟んだものの、結局最後には細く長い溜息を吐いてから諦める様にこっくりと頷いた。多分、幼少の砌にクロサイトにパステルカラーの服を持って来られたら時もこうやって頷いたのだろう。健気な弟さんだなあ、などと呑気に思ったペリドットは、健気な夫という感想には至らず、そんな妻にせめてもの仕返しの様にセラフィはリストもそこそこにして寝台に寝転びながら彼女の体を抱き枕にした。



 なお、翌日に薄紅のカッターシャツを着て髪をアップにして結っているセラフィを見て、クロサイトはペリドットに君が義妹で本当に良かったと目頭を押さえながら言い、ローズからよかったですね、とにこにこしながら言われていた。