白蛇ノ月

 机の上に置かれている、少しいびつな形をしているケーキに、一日一度の食事を摂る為に簡易キッチンに足を踏み入れたセラフィは首を傾げる。ご丁寧に小ぶりのピッチャーに入れられた、色からして紅茶も添えられてあり、はて、と思っていると、ダイニングに誰か来た気配がした。
「そこのケーキはお前の分だから食べて良いぞ」
「……何か祝い事でもあったのか?」
「まあ、話すと長くなるから食べながら聞いてくれ」
 ダイニングからキッチンへ姿を見せたのはクロサイトで、患者の報告会は一昨日したばかりなのでもう自室から出てこないだろうと思っていたセラフィは何か報告があるのだろうと考え、デザートにするのではなく前菜にしようと素直に着席した。クロサイトと話す時はいつもダイニングなので、長年同居しているのに何となく新鮮な感じがした。
「今日、出先でベオ君の誕生日の話をしていてな。
 カルテの誕生日の欄が空白と言ったら、出生の記録を破棄されたから誕生日が分からないと言われたんだ」
「……破棄したのは両親か?」
「そうらしい。父親に後継ぎを強制した祖母が亡くなった後に破棄されたそうだ」
「聞けば聞く程頭がおかしいな、あいつの両親は。それで?」
 以前真夜中に仕事から帰ってきた時に出くわしたギベオンが下着を洗っていて、その際に聞いた彼の両親の事を聞いていたセラフィは、眉間に皺を寄せながら一口分をフォークで掬った。生地がカトルカールだがバターは控えめに作られているしクリームも砂糖を控えて泡立てられているので、どこかの店で買ってきたのではなく誰かが作ったのだろうと判断する。素朴な味ではあるがやはり水分は少ないので、ピッチャーからカップに注いだ常温の紅茶を口に流し入れた。
「誕生日が分からないから勝手に毎年鬼乎の日に年をとった事にしていたらしくてな。
 ただ、今年で生まれて二十三年目だから、僕には二十三歳と報告していたそうだ。
 じゃあ勝手に鬼乎の日を誕生日にしていたなら勝手に今日を誕生日にしても良かろうと、僕が言ったんだ」
「……ああ、それで泣いてたのか?」
「うん。僕が意地悪した訳じゃないぞ」
「どうだか」
「失礼な」
 昼間、クロサイトがギベオンとペリドットを連れて碧照ノ樹海へ出ていた時、いつも通りセラフィも二人に気が付かれない様に後を追っていて、その光景を樹の上から見ていた。耳が良いセラフィでもさすがに三人が何を話しているのかは聞こえず、何故ギベオンが泣き出したのかは分からなかったのだが、そういう事らしい。
 セラフィは両親が離婚し、引き取られた父親から育児放棄はされたが、生育を否定されるどころか出生まで否定されるなどという事は一切無かった。クロサイトも心を病んだ母親から過干渉の虐待は受けたが、出生の記録を破棄されるなどという事は無かった。二人にとって、またペリドットにとってもギベオンの両親はどう考えても「おかしい」人間だった。
「それで、折角誕生日なのだからケーキでも食べようと言ったら、ペリ子君がケーキを焼くと言ってくれたのだ」
「……これはペリ子が作ったのか?」
「先に言えと言おうとしたな? 美味かったか?」
「美味かったぞ」
「良かったな」
 いつも通りのペースで食べてしまったセラフィの前にある皿には、既にケーキの姿は無い。先に聞いていたらもう少し味わって食べたものを、と言うのも気恥ずかしくて、セラフィは兄をじっとり睨んで黙り込んだ。クロサイトはそんな弟を見て、口元を覆った。彼が笑う時の癖だった。
「お前、もう休め。飯食ったら俺も仕事に出る」
「いや、居るよ。いつもこの時間に食事を一人で摂っているみたいだから、時々でも一緒に食べられたらと気に揉まれたしな」
「……誰に」
「そりゃあお前、小さくて丸くてころころしてる彼女にだ」
「………」
「っふ、ふふ、お前、本当に、照れると僕を物凄く睨むなあ」
 生活時間がずれているセラフィが一人で食事を摂るのはいつもの事だが、それを知ったペリドットがいくら美味なものを食べても一人では味気ないだろうと、ケーキを食べながら言った言葉を弟に伝えると、彼が普段よりも眉間にぎゅっと皺を寄せて睨んできたものだから、クロサイトは思わず吹き出してしまった。殆ど話した事は無いのに、たった一度の遭遇でそんな事を言ってもらえるのは気恥ずかしくも嬉しいものがある。だが、兄にからかわれたのは面白くない。むくれたまま食事の用意をしようとキッチンの鍋に入っているミートボールのトマト煮を温めている間、セラフィは背中に兄のくすぐる様な視線を感じていた。