薬剤課外授業

なにかんがえてるの」様のグレイアム先生お借りしました


 そこに足を踏み入れた時、クロサイトが真っ先に思ったのは、煩雑な部屋だな、の一言に尽きる。机であろうものの上にも棚であろうものの上にも、とにかく様々なものがところ狭しと放置されて――否、置かれている。
「申し訳ない、散らかってて。お茶の一つでも出せたら良かったんですが、生憎と淹れてくれそうなのが不在でして」
「……いえ、お構い無く」
 この部屋の主が無造作に床に置いたブリーフケースはそれなりに良い革で作られたものと見えるが、何の液体で満たされたのか分からない瓶の側に置かれたのなら、広がる不自然な染みも納得がいくというものだ。恐らくこの御仁は物に頓着しないのだな、と解釈したクロサイトは、しかし広さはあるのに物がありすぎて狭く感じるこの部屋に、身の置き場を見付けられなかった。
 タルシスの街にあるいくつかの診療所は、全て統治院の側に建てられている病院の管轄下にある。セフリムの宿に隣接する診療所の主であるクロサイトは、その病院に定期的に報告に行かねばならない。診療所から病院への患者の受け入れの有無、病院が引き受けた患者の経過、クロサイトは診療所の主であると同時に迷宮探索をしている冒険者ギルドに所属しているから常駐出来ないので臨時の患者に対処する為の医師の派遣についての確認など、様々な事を打ち合わせる席を設けねばならなかった。
 取り分け重要であったのが、薬品の出納だ。診療所に置く薬品は全て病院から買い取っているし、古くなったものは病院に持って行って処分してもらわねばならない。そういう決まりが、タルシスには存在した。ただ、これはあくまでも「タルシスの医師の間で」の話であり、よそから来た医師達には当てはまらない。そういう者達は基本的にイコール冒険者であり、そんな厳密な事をやっていれば探索に支障を来してしまう。そもそも、タルシスの医師でない者達は独自の薬品を作る事が殆どで、タルシスで管理するにはそれこそ品目が増え過ぎて管理不可能になってしまうのだ。
 クロサイトは、外科処置は師から徹底的に叩き込まれたので得意なのだが、薬剤の調合は得手とは言い難い。メディカやネクタルなどの基礎中の基礎のものは配合表を見らずに作れるけれども、例えば緋衣草を使ったハマオや焔模様の木の実を使ったマドラ、鹿子草を使ったウニコウルの調合は出来なくはないが若干手間取る。それらの薬品は冒険者が持ち帰った材料を元に、薬剤の調合が得意な病院の者達が開発して作っており、クロサイトはただの一度も新薬の開発に携われた事が無かった。不得手であったからだ。
 そんな折、懇意にしている病院勤務の医師から、冒険者ギルドに所属してて薬剤調合が上手い人が居るよと教えてもらった。勤務中の癖にぶらりと花街や裏路地の住民相手に回診に出て様々な話を聞くその医師は、締まらない顔でへらへらと笑っている顔とは裏腹に、口が固い事で有名だ。そんな彼がベルンド工房を経由せず自分のギルドで薬品を精製して売っているという男の事を話したので、多少興味を持った。ほんと上手いよ、ただ薬にムラっ気もあるけど、と言った彼がそれを購入した事があるのか、それとも伝え聞いただけなのかは聞かなかったので分からない。詳しい事は本人に聞いたら、と言われた為、それもそうだと思って話題を終わらせてしまった。
 冒険者ギルドに登録されている者の内、メディックと呼ばれる医師達は、定期的に開かれる会合に一定の回数出席せねばならない。今では絶界雲上域と呼ばれる、帝国があった大地まで冒険者達は行き来しているが、以前はそこに辿り着くまでは冒険者達は皆手探りの探索をし、開拓をしていた。故に、未知の病気の罹患という危険はつきものだったのである。巨人の呪いと呼ばれた奇病もその内の一つであったし、所属ギルドの者達が何らかの伝染病に罹患をしていないか、迷宮や大地で不審な死骸を見なかったか、知らぬ症状ではないか、そんな意見交換をする場を、辺境伯が設けさせていた。暗国ノ殿というそれまでとは全く雰囲気が異なる迷宮を探索している者達が居る今はどんな些細な情報でも良いから得ておきたくてクロサイトはその会合に出来る限り顔を出していたし、よそのギルドの医師達もそこそこ出席していた。その場で件の医師に会えたら良い、と思っていた。
 果たしてその医師とはそう日も経ずに会合で会う事が出来たが、タルシスが狭いのか世間が狭いのか知らないけれども、クロサイトは名だけは知っていた医師だった。自分の元患者であり現在のギルド主であるギベオンの友人の城塞騎士が所属するギルドの主で、グレイアムという名の男だ。いつだったか、まだ金剛獣ノ岩窟を探索していた頃にギベオンがうっかりその友人――確かユベールという名であったとクロサイトは記憶しているが、名を略す癖がある彼はベル君と呼んでいる為に本名をたまに思い出せない事がある――を孔雀亭で酔い潰してしまった事があり、よそ様の盾役を潰すとは何事かね、きちんとギルドの主殿にも謝罪をしておきたまえと叱った事がある。
 グレイアムもユベールから聞いていたのか、はたまた宿屋に隣接する診療所の医師であるからセフリムの宿を塒にしている冒険者は大体の者が知っているのか、クロサイトの事を知っていた。会合が終わり、病院の医師に仲介してもらって自分の苦手分野なので薬剤調合や製作の場を見せて欲しいと言ったクロサイトに、特に何の含みも無く構いませんよと返答したグレイアムは、出されていた茶を一気飲みしてカップを静かに置いた。
 そういう経緯を経てクロサイトはこのセフリムの宿の、グレイアムが一室丸ごと借りているという部屋を訪れたのであるが、何とも形容し難い部屋だった。冒頭に述べた様に物が溢れていると言っても過言ではない室内に、クロサイトは鞄の置き場どころか身の置き場すら見付けられなかったのである。
「えーっと……椅子、椅子……ああ、あった。鞄は適当な所に……置いたら汚れるかな、えー……」
「膝に置きますのでお構い無く。それより、椅子はこれしか無いのでは?」
「私が立っていれば良いだけの事ですから。これ以上椅子を増やしても物置にしかなりませんので」
「でしょうな」
 結局机の所にあった椅子を引っ張り出したグレイアムからどうぞと言われたものの、机の側に座って良いものかどうか悩んだクロサイトは、厚意を無碍にする事もあるまいと床に置かれた――恐らく放置されているものも多数あるのだろうが――瓶や汚れた衣類を蹴飛ばさない様に慎重に足を運び、素直に着席した。机に積まれてある書類は換気の際に風で飛ばない様にしてあるのか、書籍やノートが上に置かれている。ちらと端が見えただけで断言は出来ないが、中には統治院に提出せねばならないものも含まれている様に思われた。クロサイトはほぼ出向する事は無いが一応外交官の肩書きを持っているので、統治院からの書類を見る機会が多い。紙の色や質を見ただけで、統治院のものだとすぐに分かった。
 診療所に居候しているギベオンの部屋も来た当時はこの部屋と似た様なもので、物が煩雑に転がっていた。ただ、彼の場合は片付けられないのではなく、片付けの仕方が分かっていなかっただけなので、物の場所を決め、例えば鞄を置く場所にはメモ紙をピン留めしたり、装備品も適当に置くのではなくてきちんと置き場を作って壁紙の色を変えその場所であると分かりやすくしたり、持ち帰った鉱石は専用の棚を作らせて抽斗に紙を張らせて整理させるなどの指導をすると、劇的に部屋が片付き足の踏み場が多くなった。可視化するという事が功を奏したのだ。
 しかしそれはたまたまギベオンに適した方法であっただけで、このグレイアムに適しているかはまた別問題であるし、言うのもさしでかましい様な気がして可視化すれば良いのでは、とは言えなかった。そもそも、グレイアムはクロサイトより年上の、歴とした医師だ。謂わば大先輩に当たる。口を出すのは憚られた。
「いやしかし、クロサイト殿が薬品調合が苦手とは思いませんでしたな。腕が良いとの評判を聞いていたので」
「外科処置は得意なのですが、内服薬の調合はあまり……独自の配合も出来ませんし」
「やり始めると楽しいものですよ。
 うちのユベールくんによくお遣いを頼んで材料を採ってきてもらうのですが、
 まだ採取に慣れないのか形が不揃いで使えないものを採ってくる事がありましてね。
 工房に売れない様なものもありますし、それで作ったりとか」
「ああ、ベ……彼は確か医学を少し学んでいると聞きました」
「私が探索に出られない事が多いものですから。手当てを誰かにさせようにも、適役が彼しか居りませんで」
 唯一あまり物が置かれていなかった作業台であろう四脚のテーブルの上に、床に無造作に置いていた様々な瓶や天井から吊るして干していた植物を並べたグレイアムは、一瞬ユベールの事をいつもの癖でベル君と呼びそうになって言い直したクロサイトの僅かな沈黙を大して気にしていない様であった。彼は綺麗に整えられた顎鬚を一撫でし、赤みがかった液体が満ちた瓶を指してこれがハマオですね、と言った。
 並べられた瓶に入った液体や抽斗から出された粉末、丸薬は、どれもグレイアムの自作であるらしかった。原料も知っているし自分も採取したり魔物を仕留めて材料を得たりしているとは言えクロサイトは製法を詳しく知らないので、この雑多な部屋で全て作られているとは到底思えなかった。冒険者は様々な迷宮、大地に足を運ぶ生き物であるから衛生など二の次であるし、胃も頑丈な者が多いので、製作現場が清潔でなければならない事は無い。ただ一点、傷まない様に気をつけていれば良いだけなのだが、グレイアムがああそれ一回溶けてしまったんですよね、と悪びれもせず言った、小瓶に入ったいびつな形をしたアメにはさすがにクロサイトも閉口した。溶けたとは何だ、この部屋はそんなに暑くなるのか、それとも湿度が高くなっても換気しない事があるのか、と思ったが、やはり黙っていた。
「そのブレイバント、パープルアノールの舌の抽出物から作ってますが、配合を間違えると中々面白いものが出来ますよ」
「ほう……? 面白いもの、とは?」
「えーっと……そうそう、これなんですが。ん……、うん、相変わらず不味い」
 クロサイトが繁々と眺めていたいびつな形のアメは、どうやらブレイバントだったらしい。どうやってあのカメレオンの舌から成分を取り出すのかクロサイトは知らないが、抽出したものと温めて柔らかくした麦芽糖を混ぜて固めたアメは口にした者の筋力が一時的に高まり、武器を振るう威力が増す。早い話がドーピング剤だ。そのブレイバントの配合を変えたらしいものが入った別の瓶を戸棚から取り出し、蓋を開けて一粒摘まみ口に含んだグレイアムは、ころころと口内でアメを転がしながら目を細め眉間に皺を寄せた。クロサイトも何度かベルンド工房の店頭に並んだブレイバントを食べた事があるが、確かに美味いとは言い難い味がした覚えがある。その市販品よりも不味いらしいアメが入っている瓶はクロサイトが先程眺めていたブレイバントが入っている瓶よりも大きく、グレイアムがそれなりの量を作った事を知らしめていた。彼がそれなりに売り捌いた、即ち需要があるという事だ。効能の答えを目線で促したクロサイトに、グレイアムは持っていた瓶をテーブルに置いてから言った。
「普通のブレイバントはこう、力が漲る感じでしょう。力というか、筋力ですかな。
 私や貴方でいうなら鎚をいつもより簡単に振り回せる様になったりとか」
「しますね」
「これも力が漲りますが、高揚というか何と言うか……まあ、早い話が精力剤になるんです」
「………… ……はあ」
 ……そして得られたその回答に、クロサイトは暫しの沈黙を挟み、間抜けな声を出すのが関の山だった。なるほど、筋力増強剤であるブレイバントの配合を変えれば精力増強剤になるらしい。もしグレイアムがそれを売った先が花街であるなら、クロサイトの知人である病院の医師がグレイアムを知っていたのも納得がいく。あの医師は花街にも回診に行くからだ。
「ブレイバントと同じでこれも即効性がありましてね。
 これだけはお客が減らないし安定した収入になるから、パープルアノールを見付けたら必ず麻痺させて仕留める様に言ってます」
「……失礼ですが、そんなにギルド財政が切迫しているので?」
「うちには食べ盛りの子が多いので」
 冒険者の街であるタルシスに存在する花街は閑古鳥が鳴くという事が無い。日々死と隣り合わせで生きる冒険者も性欲を満たす事は重要であり、花街だけでなくてもそれなりの数が売却出来るのだろう。クロサイトはグレイアムのギルドの構成員など彼とユベールくらいしか知らないし、そもそも何人のギルドなのかも知らないが、それだけ利鞘を稼がなければギルドの経営が苦しいと暗にグレイアムが言う程度には大所帯なのかも知れない。
 否、それは良いのだ。良くないかもしれないが、今は特に重要な事でもない。その貴重なアメを消費する必要はどこにも無かったのでは、と、クロサイトは神妙な顔付きになってしまった。市販の精力増強剤に比べて高価なのか安価なのかは分からないけれども一粒それなりの金額で売買している筈であるし、即効性があるそれを今食べてどうするというのだ。
「……あの、効用さえ教えて頂けたなら別に食べられなくても良かったのですが」
「え? でも、見せないと信用してもらえないかと思って」
「見せ……」
「今45歳の私でもこれ食べるとこうなりますからね。いや本当、これが偶然出来た時は思わずガッツポーズをしました」
 どうやらグレイアムは同業者であるクロサイトにきちんとその効用というものを見せたかった様で、自身の股間を指差しながら薄い笑みを見せた。濃い紺色の上下のスーツは、この埃っぽい部屋の主に着用されているにも関わらず表面が綺麗であったから、着る前にきちんとブラシを掛けたのだろうと分かる。それなりに年季が入っていると推測されるスーツはそこそこ上物だという事は容易に分かるのだが、しかしそのスーツを着たままで実演はしないで欲しかったと、クロサイトは何とも言えない微妙な顔になってしまった。
「……ガッツポーズは良いのですが、どうなさるおつもりで?」
「何がです?」
「その状態のままですと貴方も私も気まずいのでは」
「ああ、処理してきますから別に。ちょっとお待ち頂いてしまいますけど」
「はあ」
「それとも貴方が手伝ってくれます?」
「………」
 調合の説明をして貰う間に勃起されていてもそれはそれで困るので早いところどうにかしてきてもらおうと処理を促したのだが、想像だにしていなかった言葉がグレイアムの薄い笑みを象った口から出てきて、クロサイトは思わず閉口してしまった。冗談で言ったのだろうから腹は立たないけれども、さらりと男相手にそう言ってのけるその度胸がすごいなどと妙な感想を抱いてしまった。
「勿論冗談です、気を悪くされたなら申し訳…… ……クロサイト殿?」
「手と口と、どちらでお手伝いすれば宜しいので?」
「……え、本気で言ってる?」
「そちらの盾役をうちの者が潰してしまったお詫びを私がしておりませんのでね。この程度で宜しいのなら、しますよ」
「へぇ……じゃあ口でお願いしようかな」
 笑みを消さぬままからかった事を詫びたグレイアムは、しかしクロサイトが膝に置いていた鞄をおもむろに椅子に置いて立ち上がったのを見てきょとんとした表情を見せた。素が出ているのか敬語が消えた辺り、処理の手伝いの申し出という不意打ちは成功したらしい。そして処理の手伝いをあっさりと引き受けた自分に再度口元だけで笑い、扉の方へ向けていた足を戻したグレイアムの正面に、クロサイトは片膝をついた。
 革製のベルトに手をかけ、股間の膨らみを空いた片手でゆるゆると撫でたり揉んだりしながらベルトを外してからボタンも外し、ファスナーは軽く歯で挟んで口で下ろす。下ろす時に膨らみに触れた鼻に滑り込んできたのは、ミント草の微かな香りだった。ミント草は精製したオイルを練り込んだ石鹸が売られているので、恐らくそれを使用しているのだろう。下着が洗い立てなのか、それとも会合直前に風呂に入ったのか、或いは両方なのかはこの時点ではクロサイトには分からない。手触りでやはり上物だったと確認したズボンはファスナーも良いものを使っており、布を食う事も滑りが悪い事もなく、スムーズに下ろせた。その向こうに現れた、下着の中で窮屈そうにしているものを食みつつ、クロサイトは上目遣いと布に触れて少し篭りがちになった声で尋ねる。
「ズボン、脱がれますか」
「ああ……、どうしようかな。何だかお上手みたいだし、脱ぐ間の時間が惜しいからこのままで良いです?」
「そちらが構わないのでしたら」
「洗ってもらえば良いだけですので。すみませんね、跪かせて」
「お気になさらず」
 このまま口淫すればグレイアムのズボンや下着を汚す様な気がしたので一応は伺いを立てたが、どうやら構わないらしい。上物は汚すと大変だがあの苦労性の彼が洗うのかな、などとクロサイトが自分のループタイを緩めてシャツの一番上のボタンを外しながら布越しに唇で形を確認するかの様に食んでいると、薬草の灰汁が滲んだ指先が首筋に伸び、肩に掛けている髪を背中に垂らされた。髪を汚すかも知れないとの気遣い、ではなく、その髪が肌に当たって痛いから、だろう。
 下着から僅かに見える陰毛に鼻先を寄せながら、指を引っ掛けて下着を少しずらす。ミント草の香りは下着よりも体の方が強く、会合前に風呂に入ったのだろうが、誰に入らされたのかは容易に想像出来た。ずらした下着から顔を覗かせた亀頭に舌先で触れると、頭上から短くも熱を帯びた、鼻に抜けた様な声が落ちてくる。そのまま舌先で刺激しながら、やはり布越しに暫く手で掴んだり下から陰嚢を揉んだりしていると、舌に潮の味が感じられた。自分の唾液だけではなく、グレイアムの体液が漏れ始めた事を知らしめていた。
 下着とはいえあまり汚しても悪いか、と、クロサイトはもう硬くなったグレイアムのペニスを下着から出し、ズボンも足の付根まで下ろす。そして指先で竿を支え、もたげた亀頭の先端を軽く吸った後に根本から筋を舌で刺激しながら舐め上げ、漸く口内に咥えた。
「随分……っ、焦らすのが、お上手で」
「お世辞言っても何も出ませんよ」
「いやお世辞じゃなくて……、ん……、随分、慣れていらっしゃると、思って。
 ひょっとして、男性のステディでもいらっしゃるの、かな?」
「貴方こそ、男にペニスを咥えられる事に抵抗が全く無い様ですが?」
「奉仕されて、気持ち良くなる、なら、別に相手が同性でも、構いませんよ」
 浮いた筋や亀頭の段差を口の中で刺激しながらの遣り取りは歯を立てぬ様にとかなりの神経を使う為、クロサイトは普段の速さで話せなかった。グレイアムは挑発に乗らせて口を割らせようとしているのかけしかける様に敬語を使っているのが分かり、駆け引きを楽しむかの様にクロサイトも口を割らせようと試みた。ただ、別にお互い口淫を誰にされたのか、或いは誰にしているのかを知りたい訳ではない。少なくとも、クロサイトには興味が無い。単なるじゃれ合いの様なものなのだ、この会話は。
 サイズとしてはそこまで大きくはないが、それでも小さい訳でもなく、グレイアムのペニスを根本まで口内に収めるには喉奥まで侵入させなければならない。いきなり動かれるとえずいてしまうので、動きを制する様に片手でグレイアムの体を押さえながらゆっくりと根本まで咥え、息を口で吐く要領で喉の肉を少し震わせてやれば、顔に触れた体がぶるりと震えたのが分かった。吐息に混ざってたまに漏れている声と硬いままのペニスは、紛れもなくこの男が快感を享受しているとクロサイトに教えてくれていた。
 だが、快感を得ているのは何もグレイアムだけではない。クロサイトの性感帯は口、取り分け口内であるので、硬くて温かいペニスが頬肉に触れる度に背中に微弱な電流が走り下半身の力が抜けてしまい、結局両膝をついてしまった。
「あぁ、……ぅ、……、……」
「……あのアメは、達しやすくなったりしますか?」
「私は、ね……。他人もそうみたい、ですけれど」
「射精の回数は?」
「二回が限度ですね、私だと流石に」
「なるほど」
 挿入時の様な出し入れをされると自分も快感を得ているとばれてしまうから、一旦体を離してペニスを外気に晒してやる。スーツのポケットに両手を突っ込んでいるグレイアムは自分を見上げているクロサイトの質問に、軽く息を上げて肩を竦めながら答えた。その位置からであればグレイアムが髪で隠している左目の辺りの皮膚も見て取れたけれども、やはりクロサイトは彼の過去に大して興味が無いので尋ねる気にはならなかった。興味があるのは、敏感になっているらしいグレイアムがどれくらい自分の口淫に耐えられるか、だけだ。あまり耐えられても顎が疲れて筋肉痛になるのでやりたくはないが、早々に達せられても楽しめない。そう、クロサイトはそれなりにこの時間を楽しんでいた。
 暫し放置されたグレイアムのペニスの先端から滲み出た先走りの体液が、糸を引いて床に零れる。それを見たクロサイトが両手を床について口を開け舌を出すと、グレイアムが片手をポケットから出してクロサイトの頭をそっと掴み、自分の方へ引き寄せた。が、クロサイトは頭にわざと力を入れてペニス全部を口には入らせず、口に入れた亀頭を舌で執拗に愛撫した。ざらつく舌で割れ目を擦り、唇で亀頭の段差を締めれば、グレイアムがくぐもった声を漏らす。彼の腰は少しずつ動き始めており、擬似挿入にはまだ早いと咎める様にクロサイトは口からペニスを出して陰嚢を食んだ。
「ふふ、全く、クロサイト殿がここまで意地の悪い男だとは思わなかった」
「おや、心外ですね。折角の売り物を食べられたのですし、楽しまなければ貴方も損でしょうに」
「そろそろその具合の良い口の中で暴れたいのですが?」
「もう少しこの立派なものを可愛がっても?」
「……じゃあ、もう少しだけ」
「どうも」
 顔を股間から離されてしまい、眉根を下げて唇を指の腹で軽く撫でながら暗にそろそろ本格的に口で扱いてくれと言ったグレイアムに、クロサイトは許可を下ろさずその指すら食んだ。懇願やおねだりは、彼にはあまり通用しない。クロサイトの口淫に長年付き合わされた彼の弟の、泣きながらの懇願でさえ通用しないのだから、況やグレイアムをや、だ。頑として自分のペースで口淫を施すと言ったクロサイトに、グレイアムは初めて苦笑いを見せた。
 下着をずらされて露になったグレイアムの素肌は、うっすらと湿って汗ばんでいる。性的興奮を感じて体温が上がっている証拠だ。とうとうネクタイを緩めてシャツのボタンを寛げたグレイアムは背を少し丸め、自分のペニスを弄んでいるクロサイトの項を軽く撫でたり揉んだりした。細やかなお返し、なのかも知れなかった。
「……ん、……」
「……気持ち良いですか?」
「良くないと、ここまで勃起しませんよ」
「グレイアム医師特製のお薬の効能かと思いまして」
「クロサイト医師の献身的な介護のお陰ですかな」
「ご冗談を」
「本音ですがね?」
 人差し指の腹で尿道を優しく擦り、中指と親指で輪を作って亀頭の段差を捏ねながら、竿の根本の裏筋に舌を這わせる。空いた手で陰嚢を揉めば、随分と膨らんで弾力が増していた。さて、普段からこういう勃起の仕方をするのかどうか、とクロサイトが口や手を休めずに視線を向けて言えば、グレイアムはクロサイトの額に汗で張り付いた前髪を指先でずらし、手の甲で汗を拭いた。飽くまでクロサイトの左目が露にならない様にした辺り、気遣いはしてくれているらしい。
 汗のにおいと精液のにおいは、グレイアムの体付きがそこまでガッシリしていると言い難いとはいえ、オスそのものだった。ただ、クロサイトはそのにおいに対して腰の痺れを感じているのではない、筈だ。しかし、未だ片手をポケットに入れ、もう片方の手で頭を自分の体に引き寄せているグレイアムのペニスを食みながら、クロサイトは紛れもなく性的興奮を感じて勃起させていた。鼻を抜けていく息も、口から漏れる声も随分と熱を帯び、この煩雑な部屋に溢れている様々なものに全ての音は吸い込まれていった。片付いた部屋であったならよく反響して耳に届き、苦い思いをしていた事だろう。
「っ、?!」
 そして、唾液で濡れそぼった唇で再度亀頭の先端を吸うと、突如として頭を両手で掴まれそのまま口内にペニスを強引に捩じ込まれ、不意を突かれたクロサイトは一瞬目の前が真っ白になって抵抗を忘れてしまった。舌に触れたペニスの、はっきりと分かる程に浮いた筋は、思った以上にグレイアムが我慢していた事を教えてくれている。そうか精力剤を食べたのだったな、などと頭の片隅で冷静に考えてしまったクロサイトは、しかしかなりの力で頭を捕まれ動く事が出来ず、乱暴に口内に出し入れされるペニスに歯を立てない様にするのが精一杯だった。何せ口の中が本当に弱いので、はち切れんばかりに勃起し先走りを漏らしているペニスで暴力的に乱されてしまうと、頭の奥も腰も股間も痺れてしまう。ぞくぞくと震える背中に気取られぬ様にしたくともそれどころではなく、喉奥まで遠慮なく突かれながら硬く勃起したペニスに触れる事も出来ず、何一つ抵抗する事など出来なかった。
「は、あ、あぁ、あっ、あぁ、善い……っ」
「んん、ぅぶ、う、ぅ、うぅ、うっ、」
「あぁ、本当に、具合の良い口でっ……」
 世辞なのか本音なのか分からないが、愉悦の混ざったグレイアムの声からは彼の限界が近い事が分かり、クロサイトは力の入らない下半身を支えようと何とか両手を床についてその時を待った。鼻だけでの呼吸による酸欠で意識がぼやけているのか、それとも好き勝手に口内で暴れられて濁流の様に腰に迫る快感によって頭が乱されているのか、クロサイト本人にも分からない。オスのにおいが今まで以上に強くなり、飲み込めずに口から零れた唾液が音を立てて床に落ち、経験した事など無いがまるで後背位で突かれて精液を漏らしているかの様だ。
「スーツ、汚しても悪い、から、口に、出します、ねっ……」
「う、っく、ううぅ、ん、んっ、」
「あぁイくっ…… あぁっ……!」
「う゛………っ!」
 容赦なく喉奥を突かれ、そしてそのまま射精され、下着の中で窮屈な思いをしながら垂涎しているペニスは触れもしなかったので無事だったが、まるで射精寸前の様な快感が下半身を支配し、クロサイトはぼやける視界と意識の最中で絶頂してしまった。熱湯の様だと錯覚してしまう程の熱い体液は、クロサイトの口の中に収まりきれずに唇とペニスの隙間から唾液と共に顎鬚を汚しながら流れていく。今日初めて会話した男相手にドライオーガズムを迎えてしまうなど、と、恥の様な苦い様な思いをしながら体液を必要以上に床に零さない様にと震える腕を何とか床から離し、自分の顎の下に皿の様に手をやったが、単なる気休めにしかならなかった。
 精液の粘度の高さは、単に溜めていただけなのか、それともアメのせいであるのか、クロサイトには分からない。射精の余韻を楽しむかの様に暫く解放されなかった頭は自分も絶頂を迎えてしまった為に痺れ、それでも口の中の硬さを保ったままのペニスに歯を立てない様に口を窄め、ゆっくりと引き抜かれていったグレイアムのペニスの先端とクロサイトの唇の間に引いた糸は、皿にした手の上に落ちる。その手の上に口に出された精液を流し落とすと、白濁の強さが目立った。
 荒い息を何とか整えながら、クロサイトは空いた手でポケットを探ってハンカチを出して広げ、精液を染み込ませながら手を拭いた。タオルを借りれば良かったのだろうが、この部屋にはタオルなど無い様な気もしたし、よしんばあったとしてもいつ使ったのかすら分からない様なものを差し出されると容易に想像出来、要求する気にもなれなかった。
「………?」
 そして絶頂したとは言え射精をした訳ではないので、努めて自分の興奮を抑えつつ指と指の間まで精液が混ざった唾液を綺麗に拭き取っていたクロサイトの顎に再度グレイアムの手が伸び、湿った顎鬚を人差し指で拭われた。何の意図があるのかはクロサイトには窺い知る事も出来なかったし、そのままその指で猫の喉を撫でるかの様に顎を撫でながら親指で口の中を優しくかき回され、また腰が砕けそうになって無様な声が混ざった息を吐きながら顔を僅かに歪めた。
「どうも。夢中で腰を振ってしまうくらい善かったです」
「………」
 何とか快感を抑えこみつつ自分を見上げてきたクロサイトに、グレイアムは薄い笑みを口で象ったまま、短く礼を言う。クロサイトはその礼に応えもせず表情を戻して黙ったままハンカチを畳み、グレイアムが自分の口にペニスをそうした様にポケットに強引に捩じ込んだ。埃のにおいよりもまだオスのにおいが鼻の辺りに漂っていて、いつまでもクロサイトの頭を痺れさせていた。



「クロサイト先生、これ、グレイアム先生からお預かりしたんですが」
 会合から数日経った日の夜、昼間に銀嵐ノ霊峰へユベールとワカサギ釣りに行くと言って出掛けていたギベオンが持ち帰ったものを手渡され、近所の回診から戻ったクロサイトは小首を傾げた。正方形に近い平たい箱が、薄い若草色の包装紙に包まれている。
「……グレイ殿が君に渡したのかね?」
「いえ、ユベールくんからの言伝で。渡しておいてくれって言われたので」
「………?」
 グレイアムとは、あれ以降顔を合わせていない。というか、ギベオンとユベールと違って親しい訳でもないし、そもそもあの日初めて会話を交わした程度の間柄であるので、何か物品を渡される様な覚えは無かった。……その程度の間柄で、あの様な行為をしたというのも変な話だが。
 はて何を寄越してきたのやら、と、包装を剥がし、箱を開けると、淡いピンクと白が斜めに走る、恐らくツイル素材のものであろうハンカチが畳まれて入っていた。手に取ればミシン縫製ではなくハンドロール縫製の、生地も上質なものだと手触りで分かる。こんな上等なものを寄越される覚えがますます無くて、クロサイトはまた眉根を寄せて繁々とそのハンカチを眺めた。
「ハンカチ? クロサイト先生、グレイアム先生にハンカチでも貸したんですか?」
「貸した……あ、あぁ、貸したというか、うん、まあ、そんなものかな」
「何ですかそんなものって」
 ギベオンに言われて、クロサイトははたとあの日の事を思い出した。グレイアムに口淫を施した後、口に出された精液は持っていたハンカチに染み込ませ、帰宅した後に処分してしまった。普段から医師として活動するクロサイトは怪我人や病人の様々な体液や汚物を触る事もあり、他人の精液を汚らしいものとは特に思わないのだが、かと言ってそのハンカチを洗って再使用する気にはなれなかったからだ。
 グレイアムがその行動を見越したのか、単に汚してしまった事に対しての謝罪でこのハンカチを寄越したのか、それは分からない。ただ、ギベオンからの又聞きでしかないが、無精者であるらしいかの御仁がわざわざ着替えて外出し、このハンカチを買い求めたのかと思うと、何とも言えず苦い笑みが口元を象ってしまった。量産されるハンカチとは違い値もそこそこ張るもので、必然的に扱う店はそれなりに敷居が高い店となる。身嗜みもそこそこ整えなければ入店も躊躇う様な店であるから、それなりの格好で出掛けたのだろう。
 会合の席で出された茶を飲む時、音を立てぬ様に静かにソーサーにカップを置いたグレイアムの所作は自然なものであったし、言葉選びも決して雑ではなく丁寧であったし、汚してはいたがブリーフケースもシンプルであったが作りがしっかりとしたものだった。加えて、このハンカチのチョイスだ。言動や小物選びのセンスは、自分と違ってグレイアムの育ちが良い何よりの証拠を示している。ただ、片付けが下手、もとい苦手なだけであるのだろう。クロサイトはこういう、所作からも「育ちの良さ」が分かり「物に頓着しない」、「年上」の「男」の「医師」という条件が揃った者に、師であるバーブチカを思い出してしまうせいかすこぶる弱い。師には似ても似つかぬ外見のグレイアムにですら口淫を施してしまった程度には、弱いのだ。かてて加えて、彼の御仁は元軍医なのだという。バーブチカもまた若い頃は軍医であったそうなので、グレイアムから軍医崩れだと聞いた時は心臓が凍る様な錯覚をしてしまった程驚いた。
「ベル君は何か言っていたかね」
「ほんとすみませんでしたって言っておいてくれって……僕、結局何の事か聞けてないんですけど、何なんですか?」
「君が彼を酔い潰した件とこの件でチャラ、という事だな」
「……ますます分からないんですが」
「別に分からなくて良い。それより、今日の成果はどうだったね」
「あ、そこそこ釣れましたよ。
 ユベールくんはあんまり釣りが得意じゃないみたいで、途中からウサギ捕まえに行ってましたけど。
 オカミさんにお願いしたから夕食に食べられると思います」
「そうか、楽しみにしていよう」
 ギベオンの質問を曖昧に濁し、話題を変えたクロサイトは、ハンカチを畳んで元の様に箱に戻してから白衣のポケットに入れた。普段使いにするには勿体無いそれは、当分出番は無いだろう。そう、会合の席の様な場でもない限りは。グレイアムは毎回顔を出している訳でもない様だが、またそのうちに姿を見せるだろう。……見せてほしいものだと思う。
 その時に結局あの日聞けていない薬剤調合の話が出来れば良いのだが、と思いながら、クロサイトは夕食までにはダイニングに出てくると言い残し、あの日帰宅して剃ってしまった後に漸く生え揃ってきた顎鬚を指で擦りながら自室へと向かった。グレイアムの部屋を見て何となく始めてしまった部屋の片付けを、今日こそ終わらせてしまおうと思った。






other side・after

「は?! この部屋にあの先生入れたんですか?! この魔窟に?!」
「魔窟って。だって来たいって言ったから」
「身内の恥晒した気分なんですけど」
「そう? 案外平然としてたよ?」
「平然を装ってただけじゃないですか?」
「大丈夫だよ、あちらも色々修羅場をくぐり抜けてきただろうし。
 それよりユベールくん、これクロサイト殿に渡しておいてくれる?」
「何ですかこれ」
「ハンケチ。あちらのハンケチ汚しちゃったから」
「あああぁー……は、ハンカチのチェック忘れてた……
 風呂にも入れたしシャツも下ろしたてだしネクタイも曲がってなくて完璧だって思ったのに……」
「ユベールくんって苦労性だよね」
「誰のせいですか!!」