シャドウバイトその後

 薄暗がりの中、荒い息を繰り返しながら寝台に体を沈めていると、不意に腹にぞわりとする感触が齎されてセラフィは小さな悲鳴を上げた。気をやった直後にそんな事をされても困る、と言ったところで止める様な相手でもなし、さりとて何も抵抗せずに居るのも腹立たしい。彼は腹を襲う、擽ったい様なぢりぢりする様な、そんな感覚を何とか押し退けて腹の上の頭を掴んで自分から引き剥がした。
「うん? 何だ?」
「な、何だはこっちの台詞だ、やめろ」
「お前の体を綺麗にしていただけだろう。照れ隠しか、かわいいな」
「お前のその自信はどこからくるんだ……」
 舌で自分の唇を舐めたクロサイトの声は、全く以て悪いと思っていないとセラフィに窺わせる。拒絶を照れ隠しと変換するのも凄いし、他人の精液を舐めとって「綺麗にしている」と称するのも凄い。何だってこいつはいつまで経ってもこうなんだ、と半ばげんなりしたセラフィは、しかしまた腹を伝った指に体を強張らせた。
 クロサイトが執拗にセラフィの性感帯である腹を刺激してくるのはいつもの事だが、射精の後まで愛撫してくるのは滅多に無い。先程まで散々焦らされて鳴かされたので疲れているからいい加減終わって欲しいと思っているのに、今日の兄は随分としつこく、耳を甘噛みしながら手の甲で腹を優しく撫でられ、射精した直後の腰が砕けそうになる。段々と腹が立ってきたセラフィはクロサイトの肩を掴み、思い切り体を反転して兄の体を寝台に沈めた。そして。
「いたたた、こら、痛いぞ」
「うるさい、人を散々玩具にしやがって」
 突然押し倒された事に何が起こったのか理解出来ていない表情を見せたクロサイトの鬚を生やした顎に噛みつくと、痛みの声で抗議された。しかしセラフィは自分が痛いとかやめろとかの抗議の声を上げても止めてもらえた試しが一度も無いので、止めるつもりは無い。そもそもクロサイトが鬚を生やし始めたのはセラフィと並ぶと自分が弟に見られる事が多いから、が表向きの理由で、本当の理由は「鬚を生やした状態で腹に頬擦りするとお前がかわいい反応をするから」らしい。そうと聞くと何が何でも剃ってやりたくなるのだが、鬚を剃るにはまず水場に連れて行かねばならない訳で、水場が嫌いなセラフィにはそれもある意味拷問だ。
 なので、日頃の恨みを晴らす様に顎に歯を立て、齧る。力を篭めすぎない様に、怪我をさせてしまわない様に、慎重に。
「うーん、襲われる気分というのはこういうものなのかな」
「知らん」
「いてて。見える所に歯型をつけないでくれ」
「俺には散々つける癖にか」
「お前と違って僕は昼間が活動時間だ」
「知らん」
「いたたたた!」
 だがいけしゃあしゃあと自分がこちらに歯型や痕をつける事を正当化してきたので、セラフィは思わず顎に力を入れてしまい、クロサイトが弟の肩を叩く。セラフィの犬歯は大きく、下手をすると本当に穴を開けかねないから、絶対的な信頼を置いているとは言え多少危機感を覚えたのだろう。
 焦っている兄など久しぶりなので楽しくなってしまい、シャツのボタンを寛げたクロサイトの首元にゆっくりと口を下ろしていく。軽く歯を立て、柔らかい喉の肉の感触や歯に伝わる脈打ちを味わうと、頭の奥がじんとした熱に襲われた。それはクロサイトも同じであった様で、短く吐かれた息には熱があった様に思えた。喉の真ん中、男であると象徴するその出っ張りを軽く噛み、舌を這わせる。塩の味がしたのは、先程までの行為でクロサイトも随分と汗をかいた事を教えてくれていた。紛れも無く、兄の味だった。
 ただ、この体勢はどういうものであるのか、セラフィにはきちんと分かっていた。肉食獣が獲物を捕獲する姿そのものだ。今はもう居ない師が、生前武器が無い状態での仕留め方を教えてくれた時もそう言っていた。

『君の顎は頑丈だし、犬歯も大きい。簡単に標的を噛み殺せるだろう。
 機会があればやってみたまえ、射精するほど快感だぞ』

 はっきりと脳裏に蘇ったその声は冷たく、しかし恐ろしい程甘美な響きでセラフィの体を一気に支配した。この柔らかい喉を、皮膚を、食い破るとどうなるのだろう。出来もしないと決めつけていたが、今なら出来てしまいそうで、思わず顎に力を入れてしまいそうになった。
 しかし、その瞬間だった。
「……食い破ってみるか?」
 まるで見透かされた様に言われた言葉は、セラフィの耳より先に口の中に響いた。クロサイトの喉を震わせたその言葉には冗談の色は混ざっていない。お前の欲はお見通しだと言われた様な気がして、苦い顔をしながらセラフィは口を離した。……名残惜しさは、あった。
「お前は俺を母親殺しの上に兄殺しにもするつもりか」
「……そうだな。すまない」
「もっと謝れ、大体俺が何のためにこの職に就いたと――」
 完全に自己満足で師に教えを請うたというのに、自分の意に反して恩着せがましい事を言ってしまいそうになったセラフィの口をクロサイトが塞ぐ。未だに母親にナイフを刺して手首を捻った時の感触を手に残しているセラフィは、時折夢に見ては泣く。気取られぬ様にしている筈なのに、泣いた後は何故か必ずクロサイトが肩を抱いてくれていた。
 口が重なったまま、目が合う。双子とは言え、クロサイトが何を考えているのかは分からないし、潰れた左目を間近で見るのはつらい。目を伏せがちにして僅かに力を抜くと、あっという間に世界が反転した。油断した、と思っても後の祭りだ。
「は、ぁっ!」
「僕を押し倒した事に興奮したのか、それとも噛んだ事に興奮したのか、どっちだ?」
「……知らん」
「どっちもか。かわいいな、お前は」
 そして軽く手で包まれたセラフィのペニスは、緩やかに起立していた。クロサイトの言う通り、どちらにも興奮して勃起したのは認めるが、兄に素直に頷くのは癪で彼はふいと顔を背ける。だがその手がペニスを可愛がる様に上下し始めたので、セラフィは慌ててクロサイトの腕を掴んだ。
「おい、も、もうやらんぞ、扱くな」
「僕はまだだ」
「し……知るか! 自分でどうにかしろ!」
「自分でどうにかするからお前の体を借りる」
「ま、て、やめろ、やめ……う、っく」
 セラフィは一度精を吐いたが、確かにクロサイトはまだ達していない。だが俺を巻き込んでの自慰はしなくても良いだろうと、恨みがましくセラフィが睨むと、クロサイトは微かに笑って弟の首に軽く歯を立て、ペニス同士を重ねた。もうこうなると、何を言っても何をやっても無駄だ。全ての反撃を封じられてしまったセラフィは、耳元で聞こえ始めた兄の小さな喘ぎに再度苦い顔をしたが、昔の師の声をその声が耳から剥がしてくれる気がして、目を閉じ体の力を抜いて寝台に全体重を預けた。長い夜になりそうだ。