ぼくたび4話幕間

 クロサイトが茶を飲み干したのを見て、セラフィもマグカップに伸ばしかけて止めた手を再度伸ばして一口啜ると、冷たくはないが温かくもないその茶は不味くも美味くもなく、茶が趣味のギベオンが淹れた茶ではない事が分かった。あの朴訥な青年が来てからと言うものクロサイトは飲む茶を彼に淹れてもらっている様であったから、この茶も淹れてもらったのだろうとセラフィは思っていたのだが違ったらしい。淹れる人間が違うと味も全く違うという事はクロサイトの師であり茶を淹れる事が得意であったバーブチカが存命の頃に学んだ事ではあったけれども、改めてまたそれを知った気分になってセラフィは微かに口角を上げた。間違いなく、兄が淹れた茶の味であった。
「………?」
 そのマグカップを、前に立ったままのクロサイトが取ってサイドボードに静かに置く。何だ、と尋ねる様にセラフィが見上げると、クロサイトは両手でやんわりと弟の頬を包んでから尋ねた。
「最後に、キスをしても良いか」
「………」
 その質問に、思わずセラフィも押し黙る。好いた女を攫いに行け、と行った割に口付けても良いか、と尋ねるのは矛盾していると人は言うかも知れないが、彼らにとっては幼い頃からの挨拶でもあるので特におかしな事ではない。男同士の兄弟で、しかも成人して久しい彼らがそういう事をするのは背徳的であろうけれども、クロサイトは一切気にした事が無かった。
 ただ、口付けはいつもクロサイトから与えるものであって、セラフィから求めたり与えたりという事は無かった。彼は基本的にクロサイトに逆らわないし、そもそも逆らわなければならない様な事をクロサイトはしない。セラフィが本気で拒絶する事は決してしないのでそれが却って卑怯だとクロサイトも自覚しているが、自分の執着心の凄まじさは自分がよく知っている為に矯正しようとした試しが無かった。
 僅かに流れた沈黙は、セラフィが逡巡した事を知らしめている。好いた相手が居るのに別の人間と、しかもよりによって実の兄と最後とは言えキスをするのはさすがに抵抗があるか、と苦笑を零して手を離し冗談だと言おうとしたその時、不意にセラフィが立ち上がってクロサイトの腰に手を回し、空いた手で頭をぐいと引き寄せて口付けた。
「………!」
 今まで一度もそうされた事が無かったので驚きのあまりに見開いたクロサイトの目の前に、静かで穏やかなセラフィの目がある。先程まで涙が浮かんでいたとは思えないその穏やかさに安らぎさえ感じ、またこの柔らかな唇に触れるのもこれが最後だと思うと愁傷が胸を過った。何とも浅ましい、とクロサイトは思ったのだが、それを正そうとも思わなかった。セラフィの方が若干背が高い為に少しだけ顔を上げた体勢での口付けはクロサイトの全身から力を抜いてしまい、彼は両手を弟の背に回して体を支えてもらった。
「……これで、最後だが」
「うん?」
「お前が兄で、俺が弟なのは変わらん、から」
「うん」
「………」
 暫くの間、見つめ合ったまま口付けていたが、クロサイトがもう十分だと軽くセラフィの背を叩くと、唇は離したがまだ顔を近付けたままのセラフィがぼそっと呟いて沈黙した。何と言葉を続けたかったのか、何を求めたかったのか、クロサイトにはすぐに分かったので、癖のあるセラフィの髪をわしわしと撫でて不安を払拭してやった。
「分かっている、側に居る」
「……ん……」
「彼女だけでは足りないか、欲張りな甘えん坊め」
「うるさい、俺は愛情も大食らいなんだ」
「違いない」
 自分が伴侶を娶る事で兄が離れていく事を懸念したらしいセラフィをからかうと、彼はクロサイトの肩に顎を置いて拗ねた様な声音で反論した。その反論が可愛らしく、弟の大きな背を撫でたクロサイトは少食の僕も愛情だけは大食らいだな、と苦笑した。