たった数時間の反抗期

 指に絡む肉の感触が不思議なものに思えて、ギベオンは面妖な顔をしながらも内心はらはらしていた。爪は切っているから傷付けはしない筈であるし、無茶な動きをさせている訳でもなし、負担は掛けていないと思うのだが、自分の下から漏れ出る呻きにも似た声が肝を冷やす。
「……ぅ…… ……あ……、……」
「………」
 感じているのは痛みなのか、それともまた他のものか、それはギベオンには分からなかったが、汗を滲ませた額に手をあて少しだけ顔を逸らし、目を閉じたまま指の感触に耐えているクロサイトは、何だか別人の様に思えた。



 事の発端は、定期的に重ねてしまっている逢瀬で情事を終えた後、珍しくクロサイトが壁に凭れ掛かって開いた股の間にギベオンを座らせて後ろから抱きぼんやりと時間を過ごしていた時の事だ。自分より体格が小さいクロサイトを背凭れにして体重をかけてしまえば潰してしまいそうな気がして恐る恐る座っていたギベオンは、何の疑問も抵抗も無く自分をこうやって抱き枕の様に抱えて座るクロサイトに思うところがあって尋ねてみた。
「あの、もしもなんですけど」
「うん?」
「セラフィさんがクロサイト先生を抱きたいって言ったらどうします?」
「喜んで股を開くよ」
「あ、そ、そうですか……」
 得られた回答は想像していたものと大差無かったが、しかし即答されるとは思っていなかったので、質問した癖にギベオンはたじろいだ。彼はクロサイトと肉体関係を持ってしまったとは言っても所詮は夢の中での事であるから、現実世界で抱かれた訳ではない。が、クロサイトやセラフィに直接聞いた訳ではないけれども二人が挿入を伴わない性交をしていたと知っており、弟相手でもクロサイトはトップであったともまた、知っている。ただ、それはセラフィがクロサイトに対して覆い被さる気が無かったからなのではないかとギベオンは思っており、言葉は悪いがクロサイトもそれを利用して弟を抱いていたのではないかと考えていた。早い話が、ギベオンはクロサイトがボトム、つまり挿入される側になるつもりなど無いのではないかと思っていたのだ。ただ、未だに弟を溺愛しているクロサイトの事だから、望まれたなら下になるつもりもあるのだろうという推測も出来たから、何とはなしに尋ねてしまった。
「じゃあ、僕だったらどうします?」
「君は私相手に勃起するのかね?」
「するしないは別として、質問に質問で返さないでください」
「おや、君も言う様になったものだ」
「僕も図太くなったんですよ。で、どうなんですか」
「喜んでとは言わないが、開くよ」
「………」
「何だねその意外そうな顔は」
 では自分だったらどうなのかと、本当に純粋な疑問で尋ねてみると、クロサイトは最初こそはぐらかしたものの何の躊躇いも無く下になると言い切った。その回答は全く予想していなかったので驚き、ぽかんとしてしまったギベオンを後ろから覗き込んで自分の方に顔を寄せたクロサイトは、僅かに眉を顰めていた。頬に当たる鬚の感触が痛いんだか心地好いんだか分からず、何も言えずに居ると、クロサイトは表情を変えずにギベオンの頬に軽くキスをした。
「まあ、君が私に勃起するとは思えないがね。出来ない事を聞くものではないな」
「……僕も男ですけど?」
「おや、今日も挿入されて散々喘いだ挙句にちょっと焦らされただけで泣きながらおねだりしたのは誰かね?」
「ぼ……僕ですけど……」
 花街にも行った事がないギベオンは妻に迎えたモリオンの体の事を考慮して夫婦の営みを行わない。故に彼は未だに童貞である上に、夢ではあるが抱かれた事により、ある意味処女ではなくなった。男なのに処女とは、とギベオンだって思うのだが、クロサイトが君の後ろ処女を食ってしまったなあなどと以前言っていたので、不承不承そういう事にしている。しかも今クロサイトが言った様に、挿入され突き上げられ快感に身悶えて達しそうになった時に雁首を戒められ泣いて射精を請うたし、解放された一呼吸後に最奥を突かれて触ってもいないのに吐精してしまった。そんな男が自分を抱けるのかと暗に尋ねたクロサイトに、ギベオンは後に退くのも何となく悔しくてなおも食らいついた。
「じゃあ、次は僕が上になってみても良いです?」
「やれるものなら構わんが」
「言いましたね、約束ですよ」
「おやおや、君がそんな一端の男の顔をするとは思わなかった。怖じ気づかずに来る事を楽しみにしているよ」
 今夜はもう疲れたのでやろうとはお互いの口からは出なかったが、ギベオンがむきになって次回の約束を取り付けてきた事が余程おかしかったのか、クロサイトは喉の奥でおかしそうに笑いながらちょっとだけ意地悪な顔で笑った。それもいちいち、ギベオンを拗ねさせた。



 そういう経緯があった十日後、ギベオンは診察室に姿を見せたしクロサイトはちゃんと待っていた。今日は全部僕が上ですからねと念を押す様に言ったギベオンに、診察室の主はやはりおかしそうに喉の奥で笑って好きにすると良いと言った。やり方など自分がされていた事をやれば良いだけなので診察台の上に寝そべったクロサイトを跨いで見下ろしてみたのだが、視界が全く違って新鮮な気分だった。押し倒す様な体勢でクロサイトを見下ろした事が無かったので一気に緊張したし遅れ馳せながらの羞恥心が襲ってきて、それらを排除するのに苦労した。
 口付けたり、耳朶を愛撫したり、首筋に顔を埋めながらシャツのボタンを外している間、手持ち無沙汰だったのかクロサイトはギベオンの上腕や背中を撫でる様に愛撫していた。触られたり撫でられたりする事が苦手なギベオンであるが、心地悪さの鳥肌ではないざわめきを感じ、鼻から抜ける様な声を時折漏らした。挿入の為に勃起させようと口淫を施した事はあっても上半身へ口を這わせた事が無かったから、それもまた不思議な気分だった。気持ち良いのかどうなのか、クロサイトも小さな吐息を聞かせてくれていた。
 ペニスを可愛がるのは何の躊躇いも無かったが本当にその奥に進んで良いのかと尻込みしてしまい、暫くゆっくりと口淫を施していたギベオンは、頭上から漏れた喘ぎの中にほんの僅かだが笑いが混ざっていたと気が付き、やはり何となく悔しくて案外しっかりと筋肉がついている足をぐんと持ち上げて窄んだそこに舌を這わせた。躊躇いが無かった訳ではないが、ここで退けば後々ずっとからかわれると思ったので意を決したのだ。これにはクロサイトも驚いたのか体を強張らせたが、抵抗らしい抵抗を全くしなかった。ただされるがまま、そこに寝転がっていた。
「……う……く、……あぅ……」
「……痛いです?」
「いや……痛くはない、んだが……」
「気持ち良くもないですか?」
「うーん……何か…… ……じんじんする、なあ……」
 そして口を離す代わりにまずは人差し指をゆっくりと挿入し、内壁を傷付けない様に細心の注意を払いながら内部を解していたギベオンは、顔に腕をあてその感触を感受していたクロサイトに気遣いながら尋ねた。幸いにも痛みは無いらしく、じんじんするというのも悲しい事に分かってしまうので、指を締めようとする蠢く温かい肉を優しく撫でながら前立腺を探る。
「あ、ぁー…… ……はぁ、あ、ぃ……っ」
 探りながら中指をそろそろと挿れ、割って入ってくる指に痛みを感じたらしいクロサイトは初めて逃げる様に身動いだ。咄嗟に背中に腕を回して捕まえると、縮こまる様に体を寄せて短い息を吐いている。汗で濡れたシャツは、一層深い紺色が斑に浮かんでいた。上下する胸に口を落とし少しでも痛みを紛らわせようと試みたものの、自分と違ってクロサイトはそこまで胸の感度が良い訳でもないのであまり効果は無かった。
 しかし、とギベオンは既に背中をびっしょりと濡らしたインナーの上腕部分で顔の汗を拭いながら思う。初めて自分が挿入された時は気持ち良さなど無かったし、犯される様に突き上げられたので痛みも生じたが、元から痛みを快感に変換してしまう部分がある為に初めてであっても最後には快感の中で泣いていた。だが、クロサイトがそうなるとも思えない。指二本でさえきつそうに顔を歪めていると言うのに自分のものが入るとは到底思えず、挿れたところで自分に果たして何の益があるのかよく分からない。無理矢理女にされてしまったが、それでもクロサイトは自分の人生をすっかり変えてしまった尊敬する師である。
『何か……良いのかな……ほんとに……』
 そう思った途端、下着の中で大きくなりかけていたペニスが一気に萎えていくのを感じ、ギベオンは妙と言うより情けない顔になった。指に絡む肉の感触、齎される溶ける様な体温、上気した眦や汗が流れ落ちる首筋はギベオンの性欲を偽りなく刺激しているのだが、萎えてしまったのだ。
「ぅあっ…… ……、……どう、したね」
「いえあの……すみません、あの……」
「ここに来て怖じ気づいたのかね?」
「その…… ……な、萎えちゃいました……」
 突然指を引き抜き心底すまなさそうにしょげるギベオンに、クロサイトも微妙な顔付きにならざるを得ない。上になると言うから下半身を自由にさせていたのに萎えたなどと言われては彼も傷付く。
「君なあ、萎えるほど私が気持ち悪いかね」
「そうじゃないんです! あの、あの、お、恐れ多すぎてその……」
「恐れ多い?」
「だ、だって、クロサイト先生、指二本でも苦しそうですし……痛い思いさせたくないので……」
「………」
「や、やっぱり僕が下で良いです。生意気言ってほんとすみませんでした……」
 上体を起こして珍しく不機嫌を露わにしたクロサイトに、今度はギベオンが縮こまって項垂れる。抱いてみたいと思ったのは本心なのだが、その大半は好奇心であったから、果たして好奇心で自分が初めての時に味わった痛みをぶつけても良いのかと思ってしまった。クロサイトはギベオンが痛みを快楽に変換出来ると知っていたからわざと乱暴にしている節があるし、実際多少乱暴にされる方がギベオンの好みになっている。だがそれは体が頑丈なギベオンだから無茶が出来るのであって、挿入中に激しく放電してしまうだろう事を考えるとクロサイトが気持ち良くなれるとは到底思えなかった。何度やっても痛みで苦しめてしまうだろうと簡単に想像出来た。何故そんな簡単な事に気が付けなかったのか、と、ギベオンは項垂れたまましゅんとしてしまった。
「あの……も、もう来ない方が良いですか」
「……何故そうなるのだね」
「すごく失礼な事してしまった、ので……っ?!」
 暫しの沈黙が恐ろしく、真っ青な顔のままこわごわと上目遣いで見上げたクロサイトから両肩をいきなり掴まれたかと思うと、噛みつかれる様に口を塞がれ強い力で頭を固定されて口内を蹂躙された。驚きのあまり抵抗が出来なかったギベオンはぞわぞわと上がってくる電流に腰が砕けそうになり、診察台に肘をつくと、思い切り股間を膝で刺激されて今度こそ呻いた。
「詫びは体で貰おう。君は萎えたかも知れないが、私は萎えてないのでね」
「う、うぅ、」
「見上げる君も良いが、やはりそうやって怯えた様な顔を見下ろす方が良いな。私は明日休みでね、寝坊しても良いのだ。意味は分かるね?」
「ひっ……は、はいぃ……っ」
 先程のしおらしい顔はどこへ行ったのか、いつもより性悪な表情を浮かべたクロサイトから言われた言葉に、ギベオンは更に顔を青くする。寝坊しても良いと言う事は、つまり夜が明ける寸前まで解放する気は無いという事だ。そこまで体力があるとは思えないが、クロサイトの目は本気であるし嘘を言うとも思えない。ギベオンはもう二度と自分が上になるなどと言わない事を心の中で誓い、股間を無遠慮に攻撃してくる膝からどうやって逃れ、どう許しを得てズボンを脱がせてもらうかに思考を巡らせた。そんな涙目になったギベオンの胸を吸ったクロサイトは、この子は本当に心根が優しいと柔らかな微苦笑を浮かべていた。