ずるいひと

 常々思っている事だがこいつはずるい、とセラフィは鼻先が触れる程に顔を近付けてじっと自分の目を見ている兄を見ながら眉を顰める。飛び抜けて美形ではないがそれなりに均整な目鼻立ちをしている兄は、その顔を見慣れているセラフィでさえ時折見惚れるくらいの表情を見せる。
 子供の頃から弟にべったりだった兄は両親が離婚して約一年離れ離れになり、父の元で栄養失調で死にかけていたセラフィを連れ出して逃げてからというもの、以前にも増してべったりになった。路地裏で何とか命を繋いでいた頃は抱き合って寝ていたくらいには離れず、その時の癖が抜けないのか今でもたまにセラフィが拒むなど一切考えもせずに抱き枕の様にして眠る事がある。……余程の事が無い限り、セラフィも拒む事は無いけれども。
 鼻先が軽く触れる。甘える様に擦り寄る肌は心地よい温もりがある。子供の頃から体温が低いセラフィを温めようと抱き寄せる事が多かった兄の温度は、認めるのも少々癪だが体に馴染む。自分が抱き寄せる事を待っているのだろうと分かってもセラフィは敢えて兄の背に腕を回さなかった。その事に拗ねたのか、僅かに目を細めた兄は触れるか触れないかの所で唇を止めた。
「……何だ」
「別に」
「何もないなら離れろ」
「嫌なら突き飛ばせば良いだろう?」
「お前は本当に良い性格してるな」
「褒められると照れる」
「誰も褒めてない」
「素直じゃないのはこの口か?」
 近付いた口がいつまで経っても触れてこないので戯れる様に言葉を交わしていると、少し荒れている唇が漸く降りてきて、セラフィの薄い唇を食んだ。母の過干渉のせいで拒食症になった兄は今でも少しずつしか食べられないし一口が小さいが、かと言って口付けが小さい訳ではない。こちらから仕掛けてくるのを待っていると悟ったセラフィは、しかしやはり癪であったから自ら求める事はせず、動きはしなかった。
 冒険者が塒にしている宿が隣接している診療所とは言え、居住区は診察室を挟んだ奥にあるので騒々しさは無い。いたって静かだ。その静寂が、唇を食む音を際立たせる。力を全て抜いて寝台に体を沈めているセラフィは抵抗するつもりもなく、かと言ってされるがままでもなく、唇の隙間から忍び込もうとしてきた兄の舌を前歯で軽く噛んだ。
「おいたはいただけないな」
「俺の睡眠時間を削ろうとするお前が悪い」
「僕に黙って深夜に先生に指導を受けていたお前にそんな事を言われるとは思わなかった」
「……夜中に何をしようと俺の勝手だ」
 下手に刺激すると舌を怪我すると思ったのか、兄は口を離して咎めてきて、セラフィは仕返しは正当なものだと主張したのだが、僅かに後ろめたい事をそれとなく責められ歯切れを悪くした。もう助からない者を楽にしてやれない兄の代わりに息の根を止める事が出来る様になりたいと、養親の医者に頼んで殺しを教わった事は一切後悔していないが、知らせなかった兄にそれが発覚した時に強引に抱かれて以来こういう関係がずるずる続いてしまっている事には決まりが悪くなる。恐らく本気で嫌がれば兄は止めるであろうし、今夜の様に夜這いじみた事もしなくなるだろうと分かってはいるのだが、セラフィはどうしても抵抗が出来ない。
「そうだな、夜中にここに来るのは僕の勝手だな?」
「俺の意思は無視なのか」
「嫌なら止める」
「………」
 ……抵抗出来ないのではなく最初からする気が無いという事を、兄はよく分かっている。そして、本気で嫌ならしないと何の偽りも無く言う。そう言う時の兄の顔が、セラフィは一番好きだ。何とも言えない色気を惜しみなく見せ付けてくる兄の、どこか切なそうな表情を細めた目に収めたセラフィは、小さな溜息を吐いて降参するかの様に兄の背に腕を回した。
「お前はずるい男だな」
「お前に貪欲なだけだよ」
「どこでそんな口説き文句を覚えてきた」
「うん? やきもちか? 可愛いな、お前は」
「……本当に良い性格してるな」
 幾分か余裕が出てきたらしい兄は薄く笑い、それはどうも、と言いながらセラフィの口を再度塞ぐと、口付けながら器用に自分のシャツのボタンを外し始めた。養親にばれない様、声を殺す時ははだけたその肩に噛み付こうとセラフィは考えていた。