あおいさん宅のギルド「にゃんにゃん(娘々)」をひろみが書くとこうなる・2

 鬱蒼と茂る木々の中で火を熾す事は危険ではあるが、先達の火熾しの跡に木を焚べればリスクは低い。湿度が高い森の中では中々難しい作業も、両手の指の本数以上も回数をこなせば慣れてくるというもので、聡実は焚べた枝を鎚の先で弄りながら空気を送り込んでいる。金属とは言え武器を炎の中に入れるなと恵凛香は思うけれども、言うのも面倒臭くていつも何も言わなかった。
 宿に戻ればスプリングがへたれている点を除けば文句は無いベッドがあるし、宿の女将の美味い食事にもありつける。瘴気が充満し、毒を持つ大型の蜥蜴が徘徊しているこの森にわざわざ野営を張る必要は無い。だが、この森に咲く花を納品する依頼を酒場で引き受けた時に女主人が言った、早朝にはどんな花が咲くのかという言葉に興味を示した聡実がその時間に採取すると言い出し、恵凛香はこの上なく嫌な顔をした。彼女は低血圧で、眠ってしまうと目覚めが良くない。花の為に早起きなどしたくはなかった。そう渋った恵凛香に対し、聡実はこう提案したのだ。夜中に探索に出て早朝に採取、アリアドネの糸で戻り納品してから宿へ帰投して寝れば良いと。
 そう上手く運ぶ筈が無いという事くらい、恵凛香も分かるし聡実だって分かっている筈だ。しかし聡実はいつでも根拠の無い自信で先へ進むし、物事も進めようとしてしまう。成功と失敗は、今の所は五分五分だ。失敗しても死んでないから大丈夫、という謎の理論を持ち出す聡実に少々辟易しつつも、恵凛香は別のギルドに籍を移す気は起こらなかった。だから今こうやって、夜の森の中で焚き火を前にしている。
「ねえ恵凛香、頭撫でてくれない?」
「は?」
「頭撫でて」
「何で」
「何ででも」
 そして聡実は今まで恵凛香の周りには居なかった、こういう突拍子も無い事を言ってくる人種でもある。持ってきたパンやチーズ、森に入る前に捕らえた鳥や採った茸を炙って軽い食事を済ませ、恵凛香はタルシスで買った何の変哲もないリンゴを剥いている。料理は得意ではないが皮剥き程度なら出来る恵凛香は、食後の果物を剥く係だ。剥いている最中にそんな事を言われても困るが、さりとて褒美を待つ犬の様に目を輝かせている聡実に邪険に出来ず、毛量の多いその頭をわしわしと撫でた。剛毛とは言わないが硬い髪質の聡実の頭は、手を乗せると中に埋もれるし多少痛い。胡座をかいたままの聡実は、雑とも言える恵凛香の撫で方にそれでも満足したらしく、にしし、と笑った。
「何、いきなり」
「鳥捌いて魔物殺して人殺した手がリンゴ剥いてるなあと思って」
「それで何で「撫でて」になるわけ?」
「そういう手で撫でられるってどんな感じかなあと思ったから」
「どんな感じだった?」
「普通だった!」
「あ、そ」
 聡実は恵凛香に、自分の素性をほぼ話していない。同様に、恵凛香も聡実に素性を話した事が無い。興味が無いのではなく、話したくなったら話すだろう、という暗黙の了解の様なものが二人の間にはある。だから襲ってきた冒険者を恵凛香が鮮やかな手付きで屠ったとしても、聡実は何も聞かなかった。
 魔物を殺すのもそうだが、人間を殺すにも技術と知識が要る。急所は何処か、どこをどう斬れば怯むか、どう動けば欺けるか、そういった事を、恵凛香はタルシスで冒険者として登録する前から知っているし経験がある。タルシスの街中ではある程度の治安は守られていても、街から一歩出ればそこは無法地帯であり、冒険者を隠れ蓑として物取りを生業としている者も多数存在しているので、今回の様に襲われる事は珍しくなかった。特に女だけのギルドは狙われやすく、聡実と恵凛香も今回が初めての事ではない。ただ、聡実は人を殺す事に慣れておらず巧く始末が出来ないので、いつも恵凛香がやっている。今回はあまり広くない森の中に留まらなければならない事もあり、瘴気が充満するエリアに死体を放り込んだ。近くに死体があると、血の臭いにつられて魔物が寄ってくる事もあるからだ。
 聡実は、毒蜥蜴が徘徊するエリアに死体を――中にはまだ生命反応がある体を放り込んでも特に何の感慨も無さそうであったし、実際何の罪悪感も抱いていなかった。恵凛香に言わせれば、聡実は得体の知れない女である。しかし、あの街に集まる人間なんて、自分を含めてまともな素性の者ではないのだ。そう恵凛香は解釈している。
「それを言うなら、私もオオヤマネコだの森ウサギだのを捌いた手で作られたサンドイッチを食べたんだけど?」
「どうだった?」
「普通だった」
「そこは美味しかったって言っても良いよ」
「血生臭かったって言われるよりマシでしょ」
 まだ息のある人間を魔物が蔓延る場に捨て、魔物を捌いて使えそうな素材を手に入れ、持ってきた食材を調理したその手で愛撫されるのは、確かにどんな感じがするだろうと、最後の一欠片の皮を剥きながら恵凛香は思う。だが、剥いた端から何の遠慮も無くリンゴを口に収めていく聡実を見て、撫でてほしいとは思えないと苦い顔をした。