二人の男がベッドの上で向かい合って座っている。片や正座で縮こまり、片や胡座をかいて腕組みのまま苦い顔をして。異様な雰囲気が漂っているのは、何も二人がほぼ全裸であるという事だけが原因ではあるまい。
どれだけお互い黙っていたのか、胡座をかいていた赤茶色の短髪の男が腹の底からでかい溜め息を吐き、正座したままの黒髪の若者に言った。

「この、ド下手クソ」
「す…すまない…」



事の発端は数時間前に遡る。
クロム率いるイーリスの自警団は既に自警団と言うよりもイーリス正規軍と呼べる程の規模まで大きくなり、フェリアのツートップであるフラヴィア、バジーリオまで従軍しているという大層なものになっていて、その中には将来バジーリオの右腕として活躍する事になるのであろう若い剣士、ロンクーの姿もあった。そのロンクーは剣の腕も立ち、状況判断能力もそこそこあり、まだまだ未熟な面はあるとは言え将来が楽しみな男であったのだが、一つ重大な欠点を抱えていた。それは、「極度の女嫌い」という点だ。否、女嫌いと言うよりは女が苦手、と言った方が正しいのだけれども、傍から見たら十分に女嫌いに見えた。とにかく、女が近寄れば体を強張らせて拒絶反応を示し、逃亡しようとする。戦場では気合でどうにかしている様であるが、どうせなら日常生活もその気合でどうにかすれば良いのに、と皆から言われる程だった。
そのロンクーが、目標としているバジーリオが昔引き分けたと言うグレゴという傭兵と多少親しくなり、剣の稽古の様なものをつけて貰う様になってから、時折剣以外の事も話す様になってきた。そんな中でグレゴがロンクーの女嫌いについて言及した時、グレゴはこう言ったのだ。
「苦手だって思うからいけねぇんじゃねえのー?
 どうせお前、女の経験ねぇんだろー?花街とか行って度胸つけて来いよ。
 まー、熟練のねーちゃん相手じゃねえと厳しいだろうけどなー」
それが出来たら苦労はしない、とロンクーは思ったのだが、言えば恐らく引き摺ってでも連れて行かれるとも思ったので、逡巡した結果一つの考えに至った。それは。
「女でなければいけないのか?」
「あ?」
「熟練、であればお前もそうだろう」
「…え、いやー…俺そういう依頼は受けてねぇし…」
まさかの展開にきょとんとしたグレゴは、心なし後ずさりながら引き攣った笑顔でそう返答した。ロンクーがそういう冗談を言う男には思えなかったし、表情からして本気で言っているという事は分かったので、尚更顔が引き攣る。
「だ、大体俺、お前には勃たねぇぞー?」
「…? 俺を男にするのであれば、お前が女役ではないのか?」
「尚の事引き受けねえよ!!」
ぞっとする様な事を言ったロンクーに思わず怒鳴ったグレゴだが、目にも留まらぬ速さで取られた手の上にどちゃっ、と音を立てて乗せられた巾着に一瞬声を詰まらせた。これは間違いなく金が入っている。しかしいくら金で動く傭兵であるグレゴにもそれなりにプライドというものがあるので、付き返して断ろうとした、のだが。


「俺を男にしてくれないか」


更にどちゃっ、と乗せられた金貨入りの巾着の重みに、そのプライドとかいうものは崩れ去ったのであった。



そういう経緯を経て野営を張った後、夜番ではなかった二人は近くの街(既に軍は大所帯となっていたので、従軍している者が全員街に泊まれる訳ではないから毎日野営を張っている)に飲みに行くと適当に誤魔化して、また適当な連れ込み宿に入った訳であるが、何と言うか、いくら初めてだからってこりゃーねえわ…とグレゴが思う程、ロンクーが下手だった、のである。確かに男と女の体の構造、特に下半身は違うとは言え、ちょっと酷すぎるとグレゴは判断した。
「…まー…キスで歯ぁぶつけんのは、許容範囲だ」
「そ、そうか」
「焦って愛撫忘れんのも、まあ最初だからしょーがねえわ」
「…う…」
「けーどなあ、慣らさず突っ込もうとすんのはいただけねえな」
「うぅ…」
「考えりゃ分かるだろー?入らねえっつーの、男だろーが女だろーが」
「………」
「しかもお前、突っ込む直前に射精(だ)すとか、ねぇわ」
「す…すまない……」
正座したままのロンクーが居た堪れなさそうに顔を覆ってどんどんと縮こまっていくのを見ながら、グレゴは尚も追撃の言を緩めなかった。男である自分相手であるならまだ良い(と彼は思っている)のだが、あの行為一連を女相手にすると考えると、思い切り頭を叩きたくなってくる。叩くどころか拳で殴ってやりたい。グレゴはこう見えてヴィオールに負けず劣らずフェミニストであるから、女に対して酷い事をする男を見ると不愉快になるのだ。
「良いかぁ、男はな、女を悦ばせてなんぼなんだよ。
 あーんなやり方じゃ、どっちも気まずい思いして終わりだろうが」
「…じゃあ、どうしたら良い」
「…しょーがねーなー…
 お前がまともにセックス出来る様になるまで付き合ってやっから、
 せめて挿れる前にイくのはやめろ」
「す…すまない…」
金も今回のセックスに見合う以上の金額貰ってるし、という言葉は喉まで出かかったが、それは飲み込んだ。人生経験が豊富なグレゴは女でも男でも、体を売る時の金額の相場というものを知っている。かと言って、別に彼が男を買った事があるという訳ではなく、単純に昔体を売った事があるというだけだ。まだ彼が少年と呼べる時分、今の様な厳つい体付きではなかった頃の事なので、今回の依頼(と呼べるのかどうか怪しいが)を引き受けた時は正直どうなるかは分からなかったけれども。成人男性、しかもこんな職業に就いていれば筋肉質になってしまうので挿入する側もされる側も大変な思いをしてしまう。余程好きであるか、仕事と割り切らなければまず出来ない。
「くっそー、こーんな事になるなんてな…
 こうなりゃヤケだ、おいロンクー、俺満足させられる様になったら合格だからなー?」
「…存分に教えを請おうか」
「取り敢えず俺イかせてみな。話はそっからだ」
「わ、分かった…」
ロンクーは何度か射精してしまったのだが、グレゴは一度も射精出来ていない。それどころか、殆ど勃起すらしなかった。男、しかも見知った相手にキスだの愛撫だのされても昂揚出来る筈もなく、まして別に好いている訳でもない。そもそも何故自分相手に男にしてくれなどと頼んできたのかは謎だとグレゴは心底思っている。普通勃たないだろう、こんな中年相手に。


なーんか…めんどくせー事になったなー…。


相変わらず緊張した様な表情で自分の体をゆっくりとベッドに沈めたロンクーを顰めっ面で見上げながら、グレゴは内心でかい溜息を吐いて頭の下の薄っぺらい枕を抱え、「キスする時は勢い良くすんなよー」と忠告した。また歯をぶつけられては、堪ったものではないと思ったので。



それから約3ヶ月、勿論毎日ではなく暇があり、且つ体力がある日に相手をしてやっていたのだが、例えば戦闘が終わった後などは気が昂ぶっているものなので彼らに限らず男性戦士は女性戦士に気付かれぬ様にそそくさと自分で処理をしに行ったり、また恋人に頼んで処理をして貰ったり(勿論そんなに時間は無いのでそこで挿入まではしない)していた様で、そこらは暗黙の了解で誰も何も追求されなかった。何も知らぬ子供の様な者も若干名居るので「どこ行ってたのー?」などと無邪気に聞かれて適当にあしらうのは大変だったが、取り敢えずばれずに過ごせた様である。…否、一部には勘付かれているかも知れないのだが、そんなの知ったこっちゃねぇよとグレゴは開き直っている感がある。
毎回連れ込み宿を使える訳ではなかったが、今回はたまたま行軍途中、大きな街の近くで野営を張る事になったので、多分最後だしたまには布団の上でやろうぜと本当に珍しく、というか初めてグレゴから誘って、薄暗く湿っぽい安宿の一室に至る。
「…平気か?」
「おーう…お疲れさん…」
ぐったりとベッドにうつ伏せで沈んでいるグレゴを気遣ったロンクーは、何となく露見したグレゴの項を指で撫でた。ん、と思わず声が漏れたグレゴはぎろっと横目でロンクーを睨み、そーいう事は女にやれ、と悪態を吐く。
グレゴは女相手の愛撫の仕方や手順を教えはしたが、「俺には最低限しかすんな」と終始言っていた。相手にもよるが女にならいくらでもして良いが、自分相手にはしなくて良いと伝えていたのだ。女ならまだしも何が悲しくて男に愛撫されにゃならんのだ気持ち悪ぃ、と思っているからなのであるが、ロンクーはその悪態にもめげた風は無く、涼しい顔で手を離した。
「まー…、最初の頃に比べりゃ随分上手くなったし、あれで文句言う女もそうそう居ねぇだろうよ。
 おめっとさん、合格だ。後はさっさと良い女見付けるこった」
やれやれこれでやっとお役御免だぜ…とグレゴが気だるさを感じる体を起こしてとんとんと腰を叩くと、目の前にロンクーがずいっと拳を差し出した。金は致す前に貰った(初回にだいぶ貰ったので毎回は貰わないが、今回は貰った)のでその中に握られているのは金ではないという事は分かるのだが、ロンクーが押し黙ったまま目線で「受け取れ」と言っている様なので、首を捻りつつグレゴも手を差し出すと、武骨な掌の上にころん、と何かが落ちてきた。
「…え、何だぁ?これ」
「見たら分かるだろう、指輪だ」
「いやー…うん、見りゃ分かるけど…」
「受け取れ」
「は」
「だから、受け取れ」
「…………ちょ、ちょーっと待て!
 お前、それどういう意味か分かってるかぁ?!」
まさかの展開に動揺したグレゴが目を丸くして尋ねると、こともあろうかロンクーはやや頬を赤らめながらぼそっと答えた。
「知らないとでも思っているのか…?」
「顔赤くすんな気持ち悪ぃ」
思わずグレゴが心底気持ち悪いものを見る様な顔で悪態をついてしまったが、それも仕方ない事であろう。本当に予想外の出来事というか、よりによってこの結末かよ!と突っ込みたくなる様な事態になってしまったのだし、そもそもグレゴは確かに昔体を売った経験があるとは言え、普通に女が好きだしこんな依頼が無ければ男となど絶対に寝ない。大体今回だって渋々引き受けた依頼であって、それで本気になられても困ると言うものだ。
「…それで、受け取ってくれるんだな?」
「いやいやー…、あのなー、ロンクー、落ち着いて考えてみろ?
 男だぞ?しかもむさいおっさんだぞ?
 いくらお前が女知らねぇからって、選ぶかぁ?」
「選んだだろう、今」
「あー、うん、言い方が悪かった。
 つまりな、お前は俺しか知らねぇからその…、そう、勘違いしてる訳だ。
 良い女に巡り会えたら、俺みてぇなおっさんとかすーぐ忘れるって」
な?と諌める様に、なるべく丁寧に説明しながら、何とかグレゴは手の中の指輪をロンクーに返そうとしたのだが、彼は尚も表情を変えずに―しかも指輪を受け取ろうとせずに―言った。
「…お前はミリエルに対して良い女と言ったな?」
「あ?…お、おぉ」
「そしてお前が言うには、この軍の女は大体「良い女」、なのだろう?」
「あー…まあ、うん、そうだな」
「つまり俺は「良い女」に相当数巡り会っている訳だな?」
「…そう、なるかなー」
何故自分がミリエルに良い女だと言ったと知っているのかという疑問がグレゴにはあったのだが、聞くのも面倒臭かったと言うか聞くと更に気持ち悪い返答がありそうな気がしたので聞かなかった。たまたま聞いたのか、それとも意図して聞いたのか、多分後者だとは思うのだが、それはそれで何と言うか、気持ち悪い。歴とした付き纏いではないか。
「巡り会ったがお前を選んだ。何か問題があるのか」
「えー…と、な、2つ、問題がある」
何の疑問も無くきっぱりと問題無いと言い切る目の前の若者に、しょーがねーな…といった顔付きでグレゴは項を擦り、少しばかり眉を顰めたロンクーに指を1本ずつ立てて問題提起した。
「1つ、俺は男だ」
「知っている」
「………。
 じゃーもう1つ。お前、俺の意思とか全然考えてねぇだろ」
「嫌か」
「嫌っつーか…別に俺ぁお前に惚れてねえし」
「…分かった。お前を俺に惚れさせたら良いんだな?」
「…そう来ちゃったか…」
どうやら言えば言う程墓穴を掘っているという事に気が付いたグレゴは半ば諦めのでかい溜息を吐いて、がっくりと頭を垂れた。全く引く気が無いと言うか考えを改める気が無いロンクーに、これ以上何を言っても無駄だろう。
考えたら「男にしてくれ」と言って来たあの日、渡す事が決められていたかの様に周到に用意されていた金貨入りの巾着には本当にそれなりの金額が入っていて、一兵卒がすぐに用意出来る様な金額ではなかった。しかもそれが2つだ。思い起こせば最中も執拗にキスしてきたり愛撫されたり名前を呼ばれた、様な気がする。思い出すとぞっとするので余り思い出さない様にしていたのだが。
「…まー、何だ…取り敢えずこれは返すわ」
「受け取ってくれないのか」
「お前に惚れたらくれって言ってやるよ。
 その前にお前が誰か女を好きになる事を願うぜ…」
「俺は気が長い…待つさ」
「…あっそー…やめろ気持ち悪ぃ」
結局返した指輪を持っていた手に口付けられ、また鳥肌が立つ。グレゴは邪険に振り払ったが、ロンクーはそれでも尚涼しい顔をしていた。何度か体を重ねて自信がついたのかも知れない。その割にはまだ女が近付くと体を硬直させているけれども。
「あークソ…なーんでこうなっちまったんだ…」
気が重いを通り越して頭痛がしてきたグレゴはもう一度盛大な溜息を吐いて頭を抱え、ロンクーはそんな彼の肩に手を置いて少し汗ばんだ額に口付けた。
「そうとなれば、もっと上手くならんとな…」
「ちょ、待て、おじさんはもう突っ込まれるのは限界だ」
「だがまだ射精(だ)せるだろう?」
「う、おっとぉ!いきなり握るな馬鹿痛ぇ!」
「す、すまない」
経験の浅い若者らしく、早急に求めようとしてくる所は初回から変わらないので、こりゃーもう少し教育が必要か…と舌打ちをしたグレゴは乱暴に自分の頭を掻くと半ば自棄でごろんとベッドに横たわり、顰めっ面のままロンクーに言った。
「俺を惚れさせようってんなら、あの程度のテクじゃ無理だぜー?
 精々上達してみろよ、若造」
「…了解した」
つき返された指輪を自分の指に嵌めたロンクーは、挑発めいたその言葉にこっくりと頷くと、嫌がられるのも構わず目の前の厳つい男の唇を自分のそれで塞いだ。もう歯がぶつかる事は、無かった。