賑やかなイーリスの城下町は歓喜の声に包まれている。何処にこんな数の住人が居たのかと言うくらい大勢の人で賑わっていて、今日が何かの祭り、祝い事である事を町全体が表していた。
ペレジア王ギャンレルを討ち、イーリスへと凱旋帰国したクロムは、姉であるエメリナの遺志を引き継ぎ聖王として着任し、戦いの最中に婚約を交わしたスミアを王妃に迎える旨の通達を出した。国民は気高く美しかった聖王エメリナの死を悼み、悲しんだが、新たな若き聖王の誕生を喜び、また美しい王妃の誕生も喜んだ。本来ならばイーリスは王を喪ったのだから1年は喪に服しているべきなのかも知れなかったのだが、エメリナが未婚であった事、それにより世継ぎが弟妹のクロムとリズしか居なかった事もあり、民衆は王妃の誕生を喜んだ。
そして、そのクロムとスミアの婚礼の儀が執り行われるのが今日なのだ。イーリス城のバルコニーから王と王妃が出てくるのを心待ちにしている民衆が、城の広場で今か今かと待っている。そして町の大通りには広場に入りきれなかった者達が祝杯を上げていた。どこを見渡しても祝福ムード一色で、町は大いに沸いていた。
クロムはそれまでに戦いに協力してくれた仲間全員に婚礼の儀に参加してくれないかと持ち掛けていた。スミアもそれを望んだし、身分などは関係無いからとの誘いもあったのだが、矢張り一部の者達は辞退していた。祝いたいのは山々だが性に合わぬと言う者、後で個人的に祝いを述べたいと言う者、様々居たが、グレゴもその内の一人で性に合わないと辞退する旨をフレデリクに告げていて、剣を挿して目立たない様に見回りをしていた。
「雇い主だし、そりゃー祝いの一言も奏上した方が良いんだろうけどよー…
 俺ぁ見回りしてた方が気が楽だね」
「見回り?と言いますと?」
「そのまんまだよ。祭りの日の方が火事場泥棒が多くなるだろー?
 あんたの主が纏める自警団のメンバーは全員出席だろうし、
 城の警備はがっちり固めてても城下はそうはいかねーだろ」
「それは…そうですね」
「ま、宜しく言っといてくれや」
婚礼の儀が執り行われる前日の夕方、自警団のメンバーが何時も集まる部屋にグレゴは居た。他の者達は婚礼の儀に着用する正装の準備の為居らず、グレゴは商売道具である武器の手入れをする為にここを訪れていて、フレデリクはそれを聞きつけて彼を訪ねたらしい。
グレゴに限らず辞退を申し出た者はほぼ城下町や城内の見回りをすると言った様で、ギャンレルを討ち取ったとは言えペレジアの私恨がある者が居ないかと言えばそうではない。民衆に混じって暗殺を企てる者が居ないとは言い切れないし、そういった者が万が一居た場合、取り押える者が居るに越した事は無いのだ。勿論、婚礼の儀に出席する者達は最低限の武器は携帯するのだが、念には念を押した方が良い。
クロムやスミアを狙う者が居ないにしても、祭りの場ではアルコールが入るし、そういった者達の中に気が大きくなって刃傷沙汰に発展するケースだってある。そういう者達を取り締まる為にも、警備の者や見回りの者の数は多い方が良いのだ。そういう事を、色々な国を転々としたグレゴは良く知っていた。勿論、フレデリクだってそれは重々承知の上だった筈ではあるが。
ペレジアとの戦は終わったので、別にグレゴはイーリスに居る必要は無い。ギムレー教団に雇われていたけれども、マムクートのノノを捕まえる事を命じられたものの容姿がまるきり子供で捕まえるには忍びなく、(雇われている身である傭兵にしてみたら有るまじき事ではあるが)逃がそうとした所をクロム達に誤解されて事情を説明したら一時的に雇われた、それだけの事だ。だから彼が今この国に留まる必要は何処にも無かったのだが、自警団メンバー、正式名称はイーリス騎士団であるが、その一部のメンバーから暫く手解きを受けたいと言われたから留まっているに過ぎない。特にソワレなどは型に当て嵌まらない、悪く言えばグレゴの知る汚い戦い方には興味があった様で、最近時々手合わせをしている。
「ああ、それと、ロンクーさんも同じ様にご辞退されましてね。
 丁度良いのでご一緒に見回りをして戴いても宜しいでしょうか?」
「んー?そーりゃ良いけど、あいつ、フェリアに戻ってねえのか」
「バジーリオ様もフラヴィア様とご一緒に婚礼の儀にご参加なさるそうですからね。
 帰国される際にご一緒するのでは?」
「ふーん…まあ別に俺はどうでも良いぜ」
ロンクーは元はバジーリオからクロム軍に貸し出された、という様な立場であったらしく、グレゴ同様にイーリスに居る必要が無い。だからフェリアに戻っていたのだとばかり思っていたのだが、まだイーリスに留まっている様であった。バジーリオという高い目標を掲げているロンクーにとってはまだフェリアに戻れる程強くなれていないと思っているのかも知れない。
「あー…それはそうと、あんた、俺にそんなご丁寧な言葉遣いしなくて良いぜー?
 俺ぁそんなご身分でもねーし」
「…そう申されましても…私は誰に対してもこうですので」
「落ち着かねんだよなー…ケツがむず痒いっつーか…」
フレデリクはクロムに仕える騎士であるし、誰から聞いたのだったかグレゴは忘れてしまったが、元々フレデリクはクロムの姉のエメリナと乳兄弟に当たるらしく、幼い頃より丁寧な言葉遣いを要求される様な環境に居たそうだ。だから口調が自然と丁寧なものになってしまい、クロムの様な慣れ親しみやすい口調では決して話さない。うんと年下であるリヒトに対してもずっとこの口調だ。グレゴは正直、こういう話し方を自分にされると調子が狂う。
「あー、フレデリクも居た!
 ねえねえ、何お話してるの?遊んでるの?」
その時、普段とは違う格好をしたノノが、部屋の扉の無い入り口から無邪気な表情をひょっこりと見せて入ってきた。何をどう見たら遊んでいる様に見えるのかグレゴは勿論フレデリクにも分からなかったのだが、フレデリクは彼女に微笑んで見せた。
「おやノノさん、明日のお召し物ですか。お似合いですよ」
「えへ…似合う?大人のいろかがあるでしょ!」
「え…えぇ、そうですね」
「おいおい、俺にフォローを求めるなっての」
明日の婚礼の儀で着用する服装を見せに来たのか、淡いブルーのドレスを着たノノは小首を傾げて男二人に尋ねた。返答に困ったのであろうフレデリクが助け船を求める様にちらとグレゴを見たのだが、そんな事をされても困る。
どうも最近ノノは「大人の色香」だの「大人のお姉さん」というものに拘っているらしくて、事あるごとに聞いてくるのであるが、残念な事にそうやって聞き回る時点でまるきり子供であるという事に気が付いていない。
「サーリャが見立ててくれたんだよ!ノノ、ピンクにしようかなーって思ったんだけど」
「ほー、意外だな」
「でしょ?青い服はあんまり着たことなかったからびっくりしちゃった」
「いやそっちじゃねーけど、うん、まあ良いやそれで」
「えー?」
グレゴの言いたかった事とノノが解釈した事は全く違ったのだが、説明が面倒だったのでグレゴは言葉を濁した。サーリャはエメリナを救出する作戦の最中に仲間になったペレジアの呪術師で、呪術師だからなのか何なのかは分からないが根暗っぽく見え、ユーリの事が大のお気に入りらしくて何時も尾行している。グレゴも以前ユーリが具合が悪そうであった時に「膝枕をされる夢を見た」などとユーリが言ったのをどうやら聞いていたらしくて、グレゴは全く悪くないのにとばっちりで呪いを掛けられそうになった事もある。効かなかったが。
そんなサーリャが、ノノの着るものを見立てたというのだからグレゴは意外に思ったのであるが、ちらと横目でフレデリクを伺うと彼も同様の思いであったらしくて感心した様な顔をしていた。他人の面倒など見ないと思っていたが、考えを訂正した方が良さそうだ。
「そんで?わざわざ見せに来たのか?」
「あっ、そうなの!だってグレゴ、明日居ないでしょ?」
「居らんぜ。街中見回りするからなー」
「宜しくお願いしますね」
「グレゴ、いーっつもノノの事こども扱いするんだもん。
 大人のところを見せたら良いかなって思ったの」
「そ、そうかい」
デザインとしてもそこまで大人びたものではないので、残念ながら大人っぽくは見えない、などと言ったらまた煩いだろうと判断したグレゴはそれ以上何も言わなかったし、フレデリクも分かっているのか何も言わなかった。こういう風に気遣えて初めて大人なのだという事にノノが気付ける様になるまであと何年掛かるのか、二人には分からなかった。何せノノは二人よりも余程長い時間生きているのにこうであるのだから。
「んじゃ、気が済んだだろ?早ぇとこ戻って着替えな。
 折角の綺麗なおべべ汚しちゃ悪ぃぞ?」
「おべべってなーに?」
「…すみません、私も分からないのですが…
 おべべとは何でしょうかグレゴさん」
「………。その、何だ…服の事だ」
うっかり年寄りが使う様な単語を使ってしまった所為かフレデリクにすら通じなかった事に、グレゴは思わず右手を額に当てて若干落ち込んだ。フレデリクに真顔で尋ねられた所為で精神的なダメージも何割か増した様な気もする。意味を伝えるとノノもフレデリクも感心した様な声を上げたが、こんな事で感心されてもグレゴは少しも嬉しくない。どうせおっさんだよチクショウ、と心の中で毒づいてしまった。
「じゃあ、確かに汚したくないし、ノノ戻るね。
 えっと…『それではみなさま、ごきげんよう』」
恐らくマリアベルから仕込まれたのだろう、ドレスの裾を両手で抓むお辞儀と挨拶を披露して、ノノはくるりと踵を返して小走りに戻って行った。その走る動きに合わせてひらひらとドレスの裾やリボンが舞っていて、グレゴにはノノが竜に変身して翼を羽ばたかせている様にも見えた。
「普段からああいう服着ろとは言わねーが、せめて腹隠れる服着りゃ良いのになー…
 見てるこっちの腹が冷えちまう」
「仲が宜しいのですね」
「なーんでそういう話になるかね」
初めて会った時からグレゴは思っていたのだが、普段のノノは服とは形容し難いものを着ていて、良くあの太陽が照りつける砂漠の中あんな格好で平気で居られたものだと未だに疑問に思っている。マントである程度素肌を守っているとは言っても十分とは言えない。だから率直な意見を述べたまでなのだが、フレデリクからは的外れな感想が飛んできた。どう反応して良いか分からず眉を顰めていると、フレデリクは顎に手を沿えて何かを思い出す素振りを見せながら口を開いた。
「いえ、以前ノノさんに特訓のお願いをした時に、
 礼として配給の果物の他に私が拾った小石をせがまれましてね。
 ノノさんは綺麗な石を集めるのが趣味なのだそうですね」
「らしいなー」
「グレゴさんに差し上げるのだと仰っていたのですよ。
 役に立ってるみたいだからと…どう役立てるのです?」
「……… …あ、あー…なーるほどな…」
フレデリクから聞かれた事に、最初は全く思い出せずに顰めっ面のままグレゴは考えていたのだが、思い当たる節があって思わず納得してしまった。道端に落ちている小石など本来なら何の役にも立たないが、使い様によってはかなり役に立つアイテムになる、とグレゴは思っている。
「あー…まあ、あんたにとっちゃ信じられねぇ使い方だなー」
「と言いますと?」
「投げるんだよ、至近距離で。斬り掛かる時とかにな」
「…それは…」
回答を聞いたフレデリクが「それは如何なものか」と言いたそうに眉を顰める。予想通りの反応だ。グレゴは普段通りの薄笑いで肩を竦めてみせ、難しい顔をしているフレデリクに言った。
「俺は汚ぇ事もする傭兵さ。あんた達みたいな騎士様とは違うってこった」
「そう…かも知れませんが」
「良いんだよ、あんたはあんたの戦い方で。それでクロムを守れば良い。
 俺は俺の戦い方で、あんた達の援護をするさ」
石を投げたり砂を目潰しの為に投げたりする事は卑怯だから、と、騎士達にとっては受け入れられない戦法であるし、実際グレゴもそう罵られた事もある。だが彼はそうやって今まで生き延びてきたし雇い主の依頼を果たしてきた。だから何を言われても平気だし改めるつもりもない。ただ、ノノがそれを見て真似をしたらと思うと少し考えてしまうのだが、彼女は人間や屍兵相手ではなく蛇相手に石を投げて捕まえていたから手遅れかも知れない。余談だがノノが捕まえた蛇は、ユーリと一緒に捕まえたよとわざわざグレゴに見せに来てくれたのであるが、あんたそれどうすんだとグレゴが尋ねるときょとんとした顔で沈黙してしまったので、毒蛇ではなかった事を確認して皮を剥ぎ、血抜きしてから焼いて食べた。命を粗末にしてはいけない。
「んじゃ、ま、明日見回りする奴が全員決まったら教えてくれや。
 交代とか持ち場とか決めにゃならん」
「そうですね、今日の夜までにはお知らせ出来ると思います」
「よろしくなー」
この話はここで終わり、と言わんばかりにグレゴは話を切り上げ、明日の話を出して暗に解散の態度を示すと、フレデリクも分かったのか、では、と頭を下げてから退室して行った。一人残ったグレゴは気を取り直し、再度剣の手入れをし始めた。何時何が起こっても良い様に、何時もよりも念入りに、そして丁寧に。他人は裏切る事はあっても武器だけは自分を裏切らないし、護ってくれるという事を、グレゴは良く知っていたので。



そんな訳で大いに賑わっている雑踏の中、グレゴは剣を挿して見回りをしている。傍らには無口な黒髪の青年、ロンクーが同じく剣を片手に沈黙を守ったまま同じ歩幅で歩いている。今の所大した混乱も無く、正午には無事クロムとスミアが二人揃ってバルコニーから顔を見せ、城の広場は大層な盛り上がりを見せていた。自分達を守り、そして死んでいったエメリナの遺志を継ぐ新たな聖王と、その王妃の顔を一目見ようと集まった民衆は満足したのか、帰途に就く者も居れば往来の飲食店で祝杯を上げる者も居り、目立った混乱は無い。その方が見回りをしている者達は有難いが、酒を飲んでのトラブルは恐らくこれ以降多くなる筈だ。祭りの日に酒飲めねーなんてな…自分から言い出した事とは言え、などとグレゴは思っていたのだが、これは彼の仕事の一環でもあるし、辞退を申し出た身なので文句は言えない。ソールやソワレ達が夜になったら交代するよと言ってくれたから、夜はゆっくり出来るとは思うのだが。
ロンクーは相変わらずむっつりと黙ったまま歩いている。愛想は無いが腕は立つこの男は女が苦手だと自他共に認めていて、往来を擦れ違う者が女であればさり気なく距離を取って擦れ違う様にしていて、面倒臭そうだなとグレゴは思った。彼は世間一般的な成人男性同様、普通に女性は好きだし必要であれば花街で買う事だってある。一度ロンクーを花街に放り込んでみたらどうだろうかとも考えたが、別にそこまで面倒を見る程親しくはないし、そこまでする義理も無い。ただ矢張り、女性嫌いは治して貰った方が戦場では何かと楽ではある。ダグエルのベルベットが彼と良く茶を飲んでいるから少しは治ったのかと皆思っていたのだが、ベルベット以外の女性に対してはそうでもないらしく、ティアモがペガサスに乗って一緒に偵察に出てくれないかと頼まれた時は全力で断っていた。代わりにガイアが同行したので問題は無かったけれども。
大通りを抜けて、細い小道や路地裏に入る。ここまで来ると日常と何ら変わり無く時間が流れていると思ったのだが、案外イーリスの国民は祭り好きの様で人っ子一人居なかった。建物の所為で薄暗く、こういう辺りで良く窃盗は起こるものなので一応見ておこうと思っただけで、すぐ戻るかとグレゴが踵を返そうとした時、それまでずっと黙ったままだったロンクーが漸く口を開いた。
「…受け取れ、グレゴ」
「んー?」
じゃら、と音を立てて投げて寄越された小さな袋はそれなりに重く、グレゴの大きな掌の中に納まる。中身は見ずとも分かるのだが、一応開けて確認するとそれなりの金額の金貨が入っていた。
「なーんだよ、この金貨は。俺に小遣いくれる訳かい?」
「傭兵は…金を出さないと戦ってくれないのだろう…?
 俺と本気で勝負しろ。それが…依頼内容だ…」
「…あー、そう来ちゃったか。そいつは断れねぇな」
ロンクーは以前、グレゴに刃引きしていない剣を用いての真剣勝負を持ちかけた事がある。だがグレゴは金にもならねぇ依頼はごめんだと言って相手にもしなかった。どうやらそれを真に受けて、金貨を寄越したらしい。律儀なこった、とグレゴは頭を掻きながら金貨の入った袋を懐に入れた。恐らくロンクーが今日グレゴに同行すると申し出たのも、この為であったに違いなかった。
「それにしてもまあ、どーしてそんなに俺と戦いたいのかねえ。
 バジーリオさんを超える手始めの一歩ってやつかい?」
「…無駄口を叩いてくれと依頼した覚えはない」
「はーいはい、わーかったよ」
余計な質問はするなと言わんばかりに三白眼で睨まれ、グレゴは肩を竦める。図星を突かれると腹が立つというのは何処の国の人間であっても同じらしい。挿した剣の柄に手を置き、グレゴは尋ねた。
「じゃ、ちょいと確認だ。
 まさか仲間同士で命の取り合いは出来ねぇよな。勝利条件は?」
仲間という言葉を使う事自体、グレゴにとって不思議な感じがしてしまうのだが、恐らくロンクーも同じなのだろう、奇妙なものを見る様な表情を少しだけ見せて考え、そして答えた。
「相手が負けを認めるか…明らかに勝ったと分かる状況での寸止め」
「妥当だな。じゃ、いつ始める?」
「今すぐだ」
「ほー。じゃ、俺の勝ちだな」
「何…?」
その条件を聞いて、グレゴはにやっと笑って左手で剣を鞘から少しだけ抜き、そして右手でロンクーが持っている剣を指差した。目線をロンクーのそれからほんの少し逸らし、わざわざ彼の剣に向けて。
「わーかんないかねぇ?鞘を見ろよ。さっき剣を抜いといた」
「ば、馬鹿な…!」
「ほい、隙あり」
「ぐっ…」
グレゴの言に慌てたロンクーが自分の手元を確認する為にグレゴから目線を外し、大きく隙を作ったと同時に、グレゴは素早く剣を抜いて踏み込み、切っ先をロンクーの喉元に突きつけた。ロンクーが言った寸止めに該当するより深い所での突きつけは、単にグレゴの悪戯心からくるものだ。普通、寸止めと言ったら僅かな隙間を作るものだが、グレゴはロンクーの喉に切っ先が触れるか触れないかの所で止めている。ここまで馬鹿正直に信じてくれると却って拍子抜けだぜ、とグレゴは内心苦笑した。
「動くな。俺がくしゃみでもすりゃ、喉に剣が突き刺さるぜ。
 まー、あれだ。明らかに勝ったと分かる状況での寸止め…ってやつだな?」
「卑怯な…!下らん嘘で俺を惑わすなど…!」
「卑怯で悪いねぇ。でもな、これがバジーリオさんとお前の差だよ」
「ほざくな…!」
体勢から、グレゴが自然とロンクーを見上げてしまう形で指摘をすると、ロンクーは苦虫を噛み潰した様な顔をしてグレゴを睨んだ。卑怯と言われようが何だろうが、グレゴは全く気にならない。寧ろ褒め言葉だと思っている。この卑怯なやり方で、彼は何時も生き残ってきたのだから。
「青いねぇ、ロンクー。でも嫌いじゃねぇぜ、そういうの」
くっくっく、と喉で低く笑い、グレゴは剣を引いて鞘へ収める。昔の自分はこうであったのかは分からないが、誰にでも青い時分はあるものだ。強くなろうとする向上心、それに向かって馬鹿の様に突き進もうとする姿、卑怯な手は認めようとしない真っ直ぐさ。果たして若かった頃の自分にはあっただろうか。そんな事をグレゴは思う。青かった事は、間違いないのだが。
ロンクーは気付いていないが、バジーリオはグレゴが唯一敬称を付ける相手でもある。彼は誰が相手であろうと呼び捨てるのに、バジーリオにだけはきちんと「さん」を付ける。弟を亡くし、世の中の全てが憎くて荒れに荒れていたグレゴの剣を真正面から受け止め、勝ちはしなかったが負けもしなかったのは未だにバジーリオくらいしか居ない。女は犯す様に抱いたし掴み掛かってくる者は誰であろうと斬り伏せていた、そんなグレゴを諌め、宥め、殴ってでも止めたのがバジーリオだったのだ。あの時バジーリオに会えていなかったら今頃自分がどうなっていたのかなど、グレゴには分からないし想像もつかない。生きていないかも知れない。恩人と言っても過言ではなかった。
そんなバジーリオが目に掛け、期待しているのがこの青年だと言うのだから、少しはその成長に手を貸しても良い。グレゴはそう思い、もう一度肩を竦めて薄く笑った。
「よーし、じゃあロンクー、負けたんだから今から少し付き合えよ。
 酒飲みに行こうぜ」
「何…?」
「お前に小遣い貰ったし、奢ってやるよ。元はお前の金だけどなー」
「………」
見回りの最中ではあるが、トラブルが多い酒場に居るのであればそこまで文句は言われないだろう。ロンクーが複雑そうな顔をしたけれどもグレゴは構わず行こうぜ、と親指で大通りの方面を指した。じきに此処にも住人が戻ってくるだろう。不承不承頷いたロンクーはやっと剣を鞘に収め、むっつりとした顔で歩き出したので、グレゴはもう一度、今度は声に出さずに、青いねぇ、と口の中で呟き、彼と肩を並べる様に歩き出した。大通りの喧騒が、すぐそこまで迫ってきていた。