虹竜ノ月

 生活時間がずれているクロサイトとセラフィは一月に最低一度は夜に話す日を設けており、それは患者を預かっている期間も変わらない。寧ろ、患者が居る時の方が報告や連絡を密に取り合わないといけないので、機会は多くなる。今夜も二人はダイニングのテーブルに向かい合って座り、近況報告をしている。
「さて、何か変わった事や気が付いた事はあったか?」
「ベオの足がまだ縺れ気味だな。熊はもう少し待った方が良い」
「あの足でも走れるのだから本当に大したものなんだがな。確かに熊はまだ無理だな、ペリ子君を庇える様になってはきているが」
「あいつも避けられる様にはなってきたが、熊から逃げるのは厳しかろう」
「地下二階は?」
「もうそろそろ良いだろうな。ビッグボール相手はペリ子にベオの後ろに隠れろと言えば良い」
「そうだな。そうしよう」
 患者がどういう状態であるか、また彼らがどういう魔物相手であれば上手く立ち回れるか、側で見ているクロサイトと遠くで見ているセラフィでは意見が分かれる事があり、そういう時は必ずお互いが納得いくまで話し合い、時には翌日に樹海に出た後にもう一度話し合う事もある。人の命を預かっている以上は慎重な判断をする、というのが二人の共通の考えであり、また患者を守る事が二人の最大の仕事でもあった。
 現在預かっている、水晶宮の都から来たというギベオンと南方の熱帯地方から来たというペリドットは、初めて来た時に比べて既に服がワンサイズ小さくなった程には痩せた。森の廃坑での体慣らしを経て足を踏み入れた碧照ノ樹海でぎこちない動きではあったが魔物を倒し続け、時には息を殺して熊が居る場所の近くを通り、朝から晩まで戦いながら樹海を歩かせられているのだから痩せるというものだ。だが、そんなギベオンとペリドットもまだ体積が大きい事には変わりなく、動きが俊敏で獰猛な森の破壊者と戦わせる事は危険なので、今暫く様子見がしたいというのがセラフィの意見だった。それはクロサイトも同意する。
「ベオのあのガントレットの調子はどうだ?」
「作ったばかりだからまだ何とも言えないが、鎚にある程度放電出来る様になったから帯電の程度が軽くなっているかな。
 初めて放電された時に驚いたら随分と怯えた顔をしていたから、不安が少しでも和らいでいれば良いのだが」
「上手く使える様になれたら、それこそ熊相手にもでかい一撃を落とせるだろうな。それにペリ子が追撃出来たら尚良い」
 数日前、ギベオンがひどい帯電体質であると知ったクロサイトは、ベルンド工房に頼んで体内の静電気を鎚に送り込める様なガントレットを注文し、昨日からそのガントレットを使用させている。まだ上手に使いこなせないギベオンは、それでも鎚を振り下ろす事にも随分慣れてきており、グラスホッパーや森ネズミなどには一人で対処出来る様にもなっている。ペリドットは力がそこまで強くないけれども、初日に比べるとステップの踏み音が若干軽くなってきていた。
 今までの患者の中にも飲み込みが早く、樹海に順応する能力が高かった者が居たが、ギベオンとペリドットは順応というよりも楽しんで散策している様に見受けられる。素直さが取り柄の一つである二人の指導は、クロサイトにとっても楽しいものだった。
「ペリ子と言えば、寝る前に裏庭で踊りの練習をしている日があるな。
 診療所の敷地内とは言え変な奴も居るから気を付ける様に言っておいてくれ」
「ふむ? それは気が付かなかったな、言っておこう。用心するに越した事は無いからな」
 セラフィが思い出したかの様に触れた内容に、クロサイトも頷きながらメモをとる。この診療所は宿に隣接している事もあり、冒険者の往来もタルシスの元からの住民が暮らす住宅区画に比べて遥かに多い。冒険者が必ずしも狼藉を働く訳ではないし、タルシスの住民だって変質者が居ない訳ではないが、探索を終えた後の高揚を持て余す者も多いので、ペリドットには注意を促しておかねばなるまい。
 セラフィの性犯罪に対する懸念の言葉には、クロサイトにとっても重みがある。彼は若い頃に暴漢に襲われ、強姦される寸前にクロサイトに助けてもらった経験がある為、変質者は相手が男だろうが女だろうが関係無いと身を以て知っているのだ。
「そう言えば、ペリ子君は六弦が趣味だそうだ」
「……踊るだけじゃなくて演奏までするのか」
「唄も上手かったぞ、楽団育ちなだけはある。痩せて元の体型に戻ったら、随分とモテるだろうな」
「……だから何だ」
「別に。そう思っただけだが」
 不意に、クロサイトがどこか意地の悪い声音を織り交ぜて提供してきた情報に、セラフィは眉を顰めて閉口する。ペリドットに対して好意を抱いていると知っている兄は、報告会の度にこうやってからかう様にペリドットの事を教えてくるので、素知らぬ顔で受け流せば良いと分かっているのにセラフィは毎回それが出来ずに睨んでしまう。本当に可愛いと思うのであれば自分から話しかけろ、と暗に言ってるのかもしれないが、患者には絶対に手出しをしないというのが絶対的なルールだ。そもそもセラフィは、否、クロサイトもそうだが、ペリドットの年齢の倍の年齢であるし、しかも母親は自分達より生まれ月が後だという。その上、セラフィはリズム感も音感も皆無であるから、踊る事も歌う事も出来ないのだ。どう考えても釣り合いが取れない。
「……ベオの茶はどうなんだ」
「ああ、美味いぞ。さすが茶器まで持参しているだけはある。僕でも茶葉の違いが分かるくらいだ」
「そうか。なら、今度淹れてもらうかな」
 話題を無理矢理変えたセラフィの質問に、クロサイトは嬉しそうな笑みで答える。彼は茶の名人でもあった師が淹れる茶の味を覚えているので、例えば辺境伯の執務室に呼ばれて出される茶に対しても師の茶の方が美味いと感想を抱く様な者であったから、そんなクロサイトが褒めるという事はつまり本当に美味いという事だ。セラフィが自分が淹れた茶の不味さを反芻しながら早くご相伴に預かりたいものだと思っていると、クロサイトは机の上に広げた碧照ノ樹海の地図を指さしながら言った。
「じゃあ、明日から地下二階に進もう。階段前の熊は……どうしようかな、僕が足止めして二人に扉を潜ってもらうか」
「いや、いつも通り俺がこっちから投擲ナイフを投げて注意を引きつける。ベオはまだあまり走らせない方が良い」
「そうか、じゃあ、そうしよう」
 話を元に戻したクロサイトが地下二階へ行く為の算段を尋ねたので、セラフィは以前の患者達が地下二階へ行く時と同様の手立てを申し出た。もう少しギベオンが体重を落として走る事が出来る様になれば、クロサイトが熊の注意を引き付けている間にペリドットと共に扉を開けて階段のある広間に逃げ込めるだろう。それまでは、木の上からセラフィが熊の注意を引き付けた方が安全だ。お互いそれを確かめ合うと、僅かな沈黙を挟んでからどちらともなく椅子から立ち上がった。クロサイトは患者の命を預かる身なのだ、寝不足のままで樹海へ行く事は出来ない。
「地下二階までの道に死体が無いか確かめておく。明日も俺の鍵がある事を確認してから出発してくれ」
「ああ。気を付けてな」
「ん……」
 今から就寝するクロサイトとは違い、セラフィは今からが本職だ。鍵がダイニングにある事はつまり帰宅している事を意味しており、クロサイトは毎朝それを確認してからギベオンとペリドットを連れて樹海へ行く事にしている。鍵が無い時は、遺体を埋める作業に時間を食っているからだ。患者には悲惨な有様の遺体を見せずに済む様にという弟の心遣いを有り難く思いながら、クロサイトは仕事へ向かうセラフィの背を見送った。