王虎ノ月

 タルシスの街が位置する地域は一年を通じて温暖な気候が続く。それでも所謂四季というものはあり、夏は暑くなるし冬は寒くなる。皇帝ノ月に新しく登録した冒険者達も暖かな日差しが心地よく感じられる様になってきたこの頃になるともう手際よく荷造りが出来る様になっており、タルシスの区画された所だけではなく昔ながらの入り組んだ路地まで迷う事なく歩ける様になっている者も少なくない。探索をするにはまず金が必要であるので拠点のタルシスでアルバイトをする冒険者も居り、交易場に届いた荷物の配達は定番の稼ぎ口なので、タルシスの隅々の道を覚えている冒険者だって居る。
 アルバイトをしている冒険者の中には熟練の冒険者も少なくなく、今日診療所に荷物を配達してくれたのもワールウィンドという名の古参の冒険者だった。彼は10年程前にタルシスへとやってきて、気球艇を飛ばす為の浮力となる鉱石を進言した男だ。実力もある遣り手の男だが本人は飄々としていて、誰かとギルドを組む事もしない。辺境伯からもそれとなく一人ギルドからの脱却を注進されている様ではあるけれどもその気が無いらしい。クロサイトとセラフィも冒険者への復帰の意思は毛頭無く、そんな二人にワールウィンドは復帰を再三持ちかけるのだから、いつも話は平行線を辿る。
「アルバイトをしながら一人のギルドを続けるより、誰かを迎え入れたらどうだね」
「君らが加入してくれるなら考えるよ」
「私は単なる医者だし、フィーは単なる植物採集家だ」
「君らの「単なる」の基準、よく分からないな……」
 クロサイトはワールウィンドが配達してくれた手紙の封を、受け取った診察室で開けた。日中は患者が居なくても診察室に詰めているので、配達員は大体この部屋に持ってきてくれるのだ。流れる様な字で書かれた封筒の中から取り出した便箋からは不思議な薫りが漂い、タルシス近辺には無い匂いだとクロサイトは思う。その手紙には来月受け入れ予定の患者二人のうち、女性と言うより少女の事が書かれていた。
「来月からまた新しい患者が来るのだ。冒険などしどころではない」
「へえ? 毎年恒例のダイエット患者か、名物の樹海追い掛けっこが今年も見られるんだね」
「それくらい気骨のある患者であれば良いのだがな」
 ワールウィンドはクロサイトが毎年新米冒険者達が探索に慣れ始めたこの時期に肥満患者を受け入れて治療にあたる事を知っている。そのダイエットプログラムの中でもワールウィンドの様な古参の冒険者には有名なものが樹海追い掛けっこだ。クロサイトがボールアニマルを鎚で打ち、ぶつけられて怒った熊に患者を追い掛けさせるという、熟練冒険者でも身を縮こまらせるそのプログラムはすっかり名物になっている。しかしこれは危険極まりないものであるから、ある程度痩せさせて自由に走り回れる様な体型になってから初めて実行出来る。まずはそこまで痩せさせるのが第一なのだ。
「患者と一緒に樹海を歩くから、鍛錬は怠っていない君なのにな。単なる医者にしておくには本当に勿体無い」
「富も名誉も興味が無いし、世界樹の謎に迫ってみようなどとも思わない。
 私はこの世の全ての患者の恋人だ、足繁く通わねばならん樹海の恋人にはなれんよ」
「樹海の恋人、ねえ。君、結構ロマンチックな事言うよね」
 幼い頃、弟の虚弱体質を治したいと医者を志した時から、クロサイトは常に傷病者を第一にして生きてきた。冒険者をやっていたのは養親が勧めてくれたからで、彼らがもう居ないのであるならば続ける理由など無い。まして、自分を頼って遠路はるばる訪ねに来てくれる物を差し置いてでもやらねばならない冒険者稼業など無いと彼は思っている。
「次の患者はどんな人なんだい?」
「医者には守秘義務がある。答えられんよ」
「そういうとこは徹底してるなあ。ま、来たら見られるしね。
 君の今までの卒業生、本当に目を見張るくらいの痩せ方してるから、君の腕前には感心してるんだ」
「ほう、君に褒めてもらえるとは思っていなかった。明日は雨か」
「失礼だな……」
 クロサイトは患者がこの地に来るまでは、一部の者を除いてどういう患者がどこから来るのかを他言しない。協力を仰がねばならない者、例えば宿の女将などには次の患者がどの地方から来るのかを伝え、あらかじめその地方の食事を作ってもらえる様にはするけれども、それ以外は伝えない。ワールウィンドは手紙の差出人を見たのかどうかクロサイトは知らないが、実際見た方が早いと思っている辺り、配達だけに留めて盗み見などしなかったのだろう。
「……何だ、お前、来ていたのか」
「やあ。郵便配達に来たから休憩させてもらってるよ」
 その時、診察室の扉がノックされ、クロサイトの返事を聞いてから開けられた扉の向こうから茶とスコーンが乗せられた盆を持ったセラフィが入ってきた。来客中とは思っていなかった彼は茶が足らない事に少し眉を顰めたが、特に気兼ねする相手でもないと判断してソファのある低い机に盆を置く。滅多にこの診察室で飲食はしないのだが、患者の付き添いが待機する為のスペースで軽食を摂る事もあり、明け方に帰宅して泥のように眠って昼過ぎに起床したセラフィがダイニングで兄が昼食を摂った形跡が見受けられなかったので持ってきたのだ。彼は長身に見合わない細身で、一日に一食しか摂らないが、こうやってクロサイトと間食を摂る事もある。
「あ、美味い。これどこのスコーン?」
「俺が焼いた」
「相変わらず君は食事関係の実力もあるなあ」
「そうだろう、やらんぞ」
「いきなり牽制するのやめてくれる?」
 籠に盛ったスコーンに白糖キャロットで作ったジャムを乗せてご相伴に預かったワールウィンドは、一口食べて称賛を述べる。一日一食のセラフィはそれ故に食べるものは美味なものでなければ嫌な人間であるから、自分好みのものを作る為に宿の女将に尋ねながら作っていた事もあって、彼女の手伝いが出来る程度には料理の腕前はある。そんな彼を褒めると、一口大に割ったスコーンにジャムを乗せたものを飲み下したクロサイトが弟を譲渡する意思は全く無いと唐突に言ったものだから、ワールウィンドは微妙な顔しか出来なくなる。
「でも、患者が来たら君ら二人が樹海に居るのを見掛けられる様になるって事だね。
 他のギルドの奴ら、特に今年登録したばかりの奴らは縮み上がるかもな」
「縮み上がるとは失礼な。そんな恐ろしい事はやっていないぞ」
「いや怖いよあれ」
 今年冒険者になったばかりの者達は、診療所の住人がその昔碧照ノ樹海で獣王ベルゼルケルを倒したという事を信じない。彼らが戦っている姿を見た事が無いからだ。しかし夜の探索をする様になってからは単独で行動するセラフィの姿を見掛ける者も居れば、力尽きた冒険者をたった一人で埋葬している姿を見掛ける者も居て、そういう者達は何となくセラフィに対しては納得する様になる。何せ危険極まりない夜の樹海なのだ、一目置く様にもなるだろう。そして、毎年素兎ノ月あたりで鎚を片手に患者と共に樹海に身を置く様になるクロサイトを見て、獣王を倒したというのは本当なのだと信じる様になり、二人を恐れる様になる。ワールウィンド同様に何故冒険者に復帰しないのか、自分達のギルドに来てもらえないかと言われる事は多いが、クロサイトもセラフィも冒険者に復帰するつもりは無い。彼らは今のこの暮らしを気に入っており、生死をかけた探索に戻ろうとは思わない。これからも思わないだろう。
「ごちそうさま。じゃ、俺は配達員に戻るとするよ」
「そうしろ。大方また辺境伯から俺達の説得でもしてこいと言われたんだろう」
「説得じゃないよ、再三持ちかけてほしいって言われただけで」
「それを説得と言うのだ。私達にその気は無い」
「やれやれ、君達のそのお硬い考えを改めてくれる様な患者が来てくれたら良いなあ」
 自前の水筒から水を飲んだワールウィンドは、スコーンからはみ出て指に付いたジャムを舐め取ると腰を浮かせた。二人の頑なな意思に苦笑しか出なかった彼は、軽く右手を挙げて退室していく。その背を見送ったクロサイトは、無言で手紙をセラフィに寄越した。
 咀嚼しながら手紙を読んでいたセラフィは、来月に来る患者が二人共不遇である事を再確認した。ここの卒業生である男が送り込んでくる後輩は複雑な家庭の事情により肥満になったそうであるし、この手紙を書いた女の娘は原因不明の病の治癒の為に服用した薬の副作用で肥満になったという。怠惰でなったのならともかく、外因によるものであるなら手助けはしてやりたい。
「僕達の年の半分の年齢の女性を受け入れる様になるとは思ってもいなかったが、これも何かの縁だろう。
 もう一人も二十三歳と若いし、部屋の間取りは十分注意しておかねばな」
「そうだな」
「お前は毎年の通り、「滅多に見掛けない人」になってもらおう。その方が患者達も言う事を聞――」
 冷めてしまった茶を啜りながら暫し話し合いをしていた二人は、同時に扉の方に目を向ける。何やら外が騒がしく、慌てた様な声が聞こえてくる。クロサイトはカップを置き素早く立ち上がると、自分より早く動いて診察室の扉を開けたセラフィの向こうに診療所のドアが開かれた先に見えた光景に眉を顰めた。
「先生、すみません、助けてください! 血が止まらなくて……!」
「診察台に寝かせてくれたまえ、詳しい事は診ながら聞く!」
 真っ青な顔で意識を失っているらしい狙撃手が、仲間であろう剣士に肩を担がれて運び込まれる。その狙撃手を有無を言わさず剣士から引き剥がし、抱え上げたセラフィが診察台に横たわらせたと同時にマスクを着け薄手のゴム手袋を嵌めたクロサイトが診察台の側に立つ。日々、こういう怪我を負って引き揚げてくる冒険者の何と多い事か。そんな樹海に探索の素人を連れて行こうとしているのだから我ながら狂っているなと、クロサイトだけではなくて診察台から離れたセラフィも思っていた。